さて、毎年恒例の一年のまとめです。
正直、今年もあんまり華々しい成果を得たとは言い難く、一方で思わぬ方面から致命的な打撃を受け、しょんぼりもしております。
というわけであまり盛り上がりのないままに、だらだらとやっていきましょう。
今回は10位から6位まで。
【第10位】女性手帳、発表と共に廃案
【第9位】橋下徹、女性パワー()でおわコン化
10位と9位は新聞など表の世界で取り沙汰された、フェミニストたちがいまだに暴れて影響力を発揮していることを象徴する事件です。
両者とも、話題になった時に当ブログでも採り上げましたが、結局どうなっちゃったんでしょうね。女性手帳については、今ちょっと調べてみましたが、結局話題になった五月に配布見送りとなり、それまでだったようです。
これで連想するのは、やはり70年代のフェミニストたちの行動です。
『放送禁止大全』的なコンビニ本でもよく話題になっていますが、1975年、ハウス食品のインスタントラーメン、ハウスシャンメンのCMが放送中止に追い込まれたことがあります。「放送事故、ハプニングタレコミコーナー」によれば、
姉妹が遊びに来た妹のボーイフレンドの為にラーメンを作ることになり、
女の人「わたし、作る人」 (結城アンナ)
男の人「僕、食べる人」 (佐藤祐介)
とのやりとりになる。放映開始から一か月余り過ぎた9月30日、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のメンバー7人がハウス本社を訪れ、「男は仕事、女は家事・育児という従来の性別役割分業をより定着させるもの」とCM中止を要請。
制作側は蔑視の意図はないと反論するも二ヶ月後放送中止。
とのことです。
上のフレーズは藤子Fも漫画で使ったことがあり、人気CMだったことが伺えます。70年代から80年代にかけては「サベツ反対」を錦の御旗に、こうした市民団体が企業を恫喝して正義感を満足させることが大流行しました。が、90年代というオタクの時代になってよりは、こうした人たちは「表現の自由を奪う悪者」となってしまったのです。
かなり大ざっぱな見方ではありますが、日本の生活が豊かになった70年代、大企業を巨悪とすることにはそれなりのリアリティがあったはずですが、90年代にもなると、そうした人々によって漫画などが封印されることに疑問を感じる層が出てきたというのが経緯ではないでしょうか。単純な正義と悪の図式が揺らいでしまった、ということですね。
むろん「女性手帳」はお役所主導であり、「市民VS企業」という図式から「マスコミ(御用達文化人)VS国家」という図式にスライドしているわけではありますが、一部の人が権力を持っているとされる存在を相手取って暴れ、民意に反する形で成果を上げることで何ごとかを成し遂げたという幻想に浸る、という意味では同じです。
従軍慰安婦発言も同様でしょう。橋下さんのTPOや、そもそも橋下さんの政治家としてのスタンスは置くとして、発言をねじ曲げてメディアでネガキャンを張るやり方は、やはり似たようなものです。まあ、本件だけが原因というわけでもありませんが、それにしてもあれだけ騒がれていた橋下さんがここまで地味な存在になってしまったのには、何だか感慨を覚えないではありません。
しかし同時に、ぼくたちはこうした方法に対しての疑念も、育てつつあるのではないでしょうか。麻生さんのナチス発言も同様で、逆に言えばマスコミというのは政治家の発言の揚げ足を取る簡単なお仕事をする人たちなのだから仕方ない、と思う一方、秘密保護法案を巡るドタバタを見ても、マスコミ自体がおわコン化しつつあるなあと思わずにはおれません。
【第8位】・腐女子テロがネットを賑わす
これ、どうもいまだやってるみたいですなあ……。
詳しくは以下をご覧になってください。
【悲報】腐女子が俺たちの聖地にテロに乗り出した件wwwwww【くさそう】
腐女子フェミニストである和紙子師匠が「ネット上でBLがサベツされている!」とニコニコ動画やpixivなどへのBL画像の集団投稿を計画したのですが、まとめサイトなどで「腐女子テロ」と騒がれ……といったことがあったのです。
これもいろんな見方が可能ですが、まず腐女子の大多数はこの和紙子師匠の偏狭な考えに、決して同意できないであろうこと、そして一体全体どうしたわけか、「腐女子の団結」を夢見る和紙子師匠はそうした現実が全く見えていないらしいことが、本件では一番奇妙でした。
北原みのり師匠は『フェミの嫌われ方』の中でフェミニズムの失墜について、「女たちの連帯が阻害されている」と繰り返します。それはむろん、フェミニズムという思想そのものの幼稚さが原因だと思うのですが、どうも見ていると彼女はそれを「男たちの仕業」であると考えているフシがある。「細かいリクツはともかく、とにかく男がワルモノなのだ」と信じ続けている限り、彼女らは自らの誤謬から永久に目をそらし続けることができるわけです。
これは9位10位のトピックスで語られた事例が、結局「弱者であるワタシが強者であるワルモノに物申す」ことで何かが変わる、という理念で行われていることと全く同じです。
「ワタシがそんな弱者たちのトップとして力を得て、チヤホヤされる」という化石化したサクセスストーリーが本件のバックボーンとなっていることに、何だかため息を漏らさずにはおれません。
彼ら彼女らはこれからも無反省なまま、いつまで経ってもエネルギーチャージの終わらないダメ元気玉の発射準備をし続けたままなのではないでしょうか。
【第7位】渋谷智美師匠「表現の自由」を否定
【第6位】千田有紀師匠「表現の自由」を否定
はい、これもまとめて。
前者は森美術館で開催された会田誠展に澁谷知美師匠などフェミニストが女性サベツだと噛みついた件です(『朝日新聞』3月1日朝刊「アートか「児童ポルノ」か挑発的な美術展」。
これについては、単なるエロ絵なら「いいじゃん」としか思わないのですが、萌え絵で女子高生の足を切断しているといったグロいものを描写していることも、ハナシをややこしくしました。それを残忍で許せないという心情はわかると共に、オタクとしては「アートクラスタ」が俺らのパクリをやった挙げ句妙な騒動を起こしやがって、と言いたい気持ちもあります。フェミニストたちもにとっても、「何だかエロマンガみたいなものがゲージツ扱いでムカつく」といった情念が動機になっていることも恐らく間違いがないことでしょう。例えば本件で、描かれるモチーフが同じでも絵のタッチがピカソみたいなら、或いは浮世絵みたいならどうでしょう。そんなものに「萌え」ようがないわけで、逆に言えば「萌え」を喚起する絵で残忍なものを描いたことが、鑑賞する者に強い刺激を与え、問題になったという側面が強いわけです(それはウンコをリアルに描くのとピカソっぽく描くのと、どちらがこちらへと不快感を催させるか、といった問いと同じです)。
しかしここで突っ込まずにおれないのは(当時も繰り返し突っ込んだのは)澁谷師匠自身が自著である『平成オトコ塾』において、包茎手術の失敗でペニスに酷い傷ができた知人を笑いものにしていたことです。しかしそれはあくまで「弱者たる女性の強者たる男性へのカウンター」だから許されるというのが彼女らの理論なのでしょう。
一方、千田有紀師匠は(新聞を賑わすような騒動になったわけでは全くないものの)もう少し悪質です。千田師匠は上野千鶴子師匠の弟子筋の社会学者であり、ぼくは今年の夏、ずっと彼女の著作を追いかけていました。そのきっかけは彼女の『東京新聞』における「ヘイトスピーチを法規制せよ」との主張でした。ここで師匠は「ポルノもまたヘイトスピーチである」との考え方を紹介、断言はしていないものの、どうみてもポルノ自体を規制したくてたまらないご様子。
オタク界のリベラルたちは彼女らフェミニストを表現の自由を重んじるオタクの味方であると際限なく繰り返していますが、言うまでもなくそれは真っ赤なウソなのです。
フェミニストの主張はただ一つ。
自分たちにとって不快な表現は絶対に認めない。
それが男性に向けられたものであれば、性的虐待などの暴力も無限に許容する。
それだけです。
というわけで5位より上位の発表はまた次回になりますが、まあ大体は、上のような事例について採り上げていくことになりそうです。