sabahito のコメント

>>5
返信ありがとうございます。
逃げるしかない、というのは非常に残念ですね。
実妹がいる方や、女性と言い争いになったことがある方は経験があると思いますが、こちらが正論で言い負かしてもなにも得るものがないんですよね。「女を言い負かして恥ずかしくないの?」という感じになってしまいますから。
真正面から相手を同格として真剣に対峙するのが、必ずしもよい訳ではなく、ある程度相手が小児的衝動で動いていると見越して相手しないとならない場合があります。勿論、聡明な女性もいらっしゃいますが……
フェミの方々との論争にはそれと似た無情感が感じられます。「勝った……だが虚しい」というか、俺何こんなのととマジになっているんだろう……という。でも、逃げうつと相手としては勝ちなわけで……打つ手なし。私としてはその辺の「良い手」を期待しての質問でした。

女性が男性社会で活躍するというのは、個人においては尊重しますが、集団及び全体に対しては全く否と考えています。何故なら、集団の彼女らは男性の楽な部分と、女性の楽な部分のいいとこ取りにか興味がないからです。
女性ならでは不利は勿論ありますが、逆に女性ならではの有利もあります。それを平等によって捨てる覚悟を全く感じられない。それは先のコラムで徴兵の件の話でも感じられました。

私はある意味マチズモ的思考の持ち主です。男とは男らしいのが一番と考えています。ですので、同時に女は女らしくが一番とも考えています。つまりフェミの敵です。
男らしさには「自ら進んで損を被って耐え、かつ平気そうな顔して見返りを求めない強さ」という側面があると思います。カビの生えた古臭い非常に損な美学です。誰でも(勿論私も)常にそうするのは無理がある考えで、悪意に対しては良い食い物ですが、故にこそ尊敬できるものだと考えています。
これが受け取る側に謙虚さと感謝があるうちは非常に好ましく機能しえるのですが、受け取る側にそれを要求する浅ましさが発露すると、もともと非常に損な考えであるだけに、途端に男性に負担を強いるものに変化します。いわゆる「男のくせに」です。
お互いの優しさと、感謝がトレドードされて初めて成り立つ概念であることを忘れているのではないかな、とこの手の男女論争のたびにいつも思います。優しさだけ求めるならば、これもう侵略行為と変わりませんよ。
フェミの方々の主張には男女平等を掲げながらも、この「男の癖に」がその裏側に……というか、ぶっちゃけ根底にあるきがしてなりません。つまり「女性はもっと幅広く自由で、強くあるべき。いや事実強い。しかし可愛がられ大事にされる権利がある。何故なら女性は弱いから」という考えです。これには整合性や合理性を差し挟む余地はなく、挟んだ瞬間バキバキへし折る正気を疑う主張です。強いの?弱いの?という。そもそも「女性は強い」って主張は一時の優越感以外に当の女性に得るものがあるのでしょうか? 強いならそれに見合ったリスクを受けなければならない筈です。少なくとも、今までの彼女らが男性に対してした主張を覚えているならば。

最後に私の誤解であってほしいのですが、文壇の世界では、容易に日本語で表現しえることを一般的に使わないカタカナ英語で代用してみたり、aかbか?という問いに応えることなくどうにかこうにかして逆に質問する立場にたったり、過去にした応答の整合性をうやむやにしたり、兎に角分かりづらくしたりというテクニックが冴え渡っているほど高等で、正統派なのでしょうか?(兵頭氏のことをいっているわけではありません。念のため)
なんというか、御高尚な文ほど高度な読解力と寛容さを求めているようにしか見えず、分かりやすさという点は唾棄すべき低俗なもの、というスタンスで書いてるのかなのかなぁ……という風に見えるんですが、どうでしょうか?私の誤解であって欲しいのですが。

No.8 145ヶ月前

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兵頭新児の女災対策的随想

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