6cc9d9ce3c1fa6987d654bb1c32ff345bea26302


・山田編

 文部科学政務官の山田太郎が辞任しました。
 きっかけとなったのは不倫騒動で、オタク――というか、表現の自由クラスタ界隈も大騒ぎです。
 ぼく自身、不倫などというプライベートを大げさに騒ぎ立てること自体が馬鹿馬鹿しいとは思うものの、ご時世でバレたら一発アウトとわかりきった案件に対し、ガードが甘かったことは愚かとしか言えず、残念な気持ちでおります。
 ただ一方、山田師匠自身はピースボートのスタッフであった経歴があるなど、極左と言っていい御仁。表現の自由クラスタそのものが最初から左派であり(だからこそフェミニストたちと徹底して親和的だったわけで)、それは不思議ではないんですが、左派であるということは同時に(サブカル君のオタクへの執拗な嫌がらせを見ればわかるように)名物の内ゲバをオタクを巻き込んでやらかしてくれるということでもあります。

 例えば、昼間たかし師匠。ずっと当ニコブロをご覧いただいている方ならばご記憶かもしれません。『マンガ論争勃発』といったオタク関連、表現の自由関連の著作があり、「オタクはパブリックエネミーじゃなきゃダメだ!」とわけのわからないことを宣っていたことでおなじみの方ですね。

左翼の異常な粘着 または私は如何にしてオルグするのを止めてオタクを憎むようになったか(再)

 彼は本件に絡んで早速「“オタクを守る議員”は虚像だった…“不倫報道”の山田太郎政務官、取材を重ねた記者が明かす違和感」という奇妙な記事を書いておりました。

“オタクを守る議員”は虚像だった…“不倫報道”の山田太郎政務官、取材を重ねた記者が明かす違和感 

 とにかく昼間師匠は山田師匠がオタクを騙して取り入った極悪人であって欲しくてほしくてならないご様子なのですが、その根拠と言えるものが、同記事にはどこにもありません。せいぜいが事務所でも支持者であるオタクと会話がなかったとか、妻子がレイヤーで腐女子なのに政治活動にあまり参加してないとか、その程度。タイトルだけ先に決めて、それに敵う事実が見つからなかった系の記事、と言っていいでしょう。
 そもそも先の(ぼくが採り挙げた)記事を見れば、まさしく昼間師匠こそがオタクの味方を装って取り入ろうとしたが、うまくいかず逆ギレしている御仁であることは自明。まあ、ええ気なモンです。
 そもそもみなさんの方がよくご承知でしょうが、山田師匠、自民に移籍したとたん、とにもかくにもこの種の人たちに粘着されるようになっていたという経緯もあり、昼間師匠もまた、その一人なのでしょう。
 同記事は山田師匠に詳しい記者(という、週刊誌でありがちな実在の怪しい人物)の「オタクの味方だと思っていたのにパパ活をやっていたとは許せぬ(大意)」との声を挙げてもいますが、そもそも山田師匠が金銭の介在を否定していることに加え、それを知ってオタクが失意するという(昼間師匠の脳内には明確に結ばれた)ストーリーが、どうにもぼくには理解できません。
 これは岡田斗司夫氏の愛人問題を思い起こさせます。ぼくが「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」と揶揄するような人たちはこの問題が発覚した当時、大はしゃぎで「おまいらオタクのボスだと思ってたヤツは非リアではなくリア充だった、重大なる裏切り行為だぞ」などと言っておりましたが、そもそも庵野秀明とか、オタクでも大物になればモテるのは当たり前のことだというのが、大方のオタクの最初からの認識だったでしょう。

 本件を、山田師匠は「こども家庭庁」の立役者なんだから、不倫は許されないだろう、といった論調で叩く人もおりました。
 確かにそれも理屈としてはわかります。不倫は家庭不和の原因になり得るわけで、規範たるべき人物がそれではどうなのだと。いやしかし、ではその意味で、最初から山田師匠は「こども家庭庁」にふさわしい人物だったのでしょうか。
 そもそもこの「こども家庭庁」、元は「こども庁」であったところが保守派という悪者の横やりで「家庭」のワードをねじ込まれたといった評され方をしてきました。そして山田師匠自身が運動家めいた人の口添えで「こども庁」という呼称にこだわっており、「家庭」を入れるのは不本意だったのです。

 ネーミングなどどうでもいい、と思う一方、ここには「家庭」そのものが「家父長制」を象徴する悪しきものだというフェミニズムのイデオロギーが、強烈に内包されているわけです。
 つまり山田師匠のイデオロギーからすれば不倫は家庭という牢獄を破壊する善きことであり、岡田氏の振る舞いもまた、というしかない。
 ところが左派というのは敵をつぶすためなら、信じてもいない規範を平然と持ち出すのですね。
 もう一つ、先の「山田師匠に詳しい記者」は「山田は『文春』に法的措置をちらつかせている、これまで表現の自由を訴えてきたくせに許せぬ(大意)」とも言っています。
 いや、山田師匠の言い分では『文春』の報道の不倫相手に金銭を与えたという部分は虚偽だというのですが。それともデマを流されても黙って耐えることが、表現の自由クラスタには求められるのでしょうか。表現の自由クラスタの女神は以前、児童レイプを擁護したこと(これはデマでも何でもない事実なのですが)を批判され、法的措置をちらつかせていましたが、アレはいいんでしょうか。単に仲間のやることは全部いいんですかね。

・岡田編

 ――さて、本稿の目的は山田太郎炎上と岡田斗司夫バッシングとを比較し、共通点を指摘しようというところにあります。
 こっから先は岡田氏メインなので、山田炎上に釣られてきた方は、ここで引き返していただいて結構ですが、できればついでに見ていっていただくと、大変嬉しいです。
 一応、ここで読むのを止めようかと思った方のために、結論だけ先に書いておきますと、要するに以下のような感じです。

・左派はオタクを自分たちの子分であると信じている(もちろん、それは妄想なのですが)。
・山田も岡田もやはりその意味で、左派にとって「自分たちの子分であったのに、裏切った存在」である(もちろん、それは妄想なのですが)。
・左派にとっては保守派などより、子分だと思っていたのに意に沿わない者への怨嗟が何よりも強い。
・それ故、理屈をつけて燃やされている。

 ――まあ、こんな感じでしょうか。
 岡田氏はオタキングを名乗る通り、オタク文化の黎明期から、常にその中心で活動してきた人物。ニコニコ動画、YouTubeでは圧倒的な登録者を誇る動画配信者であると共に、一体全体どういうわけかここ数十年の「オタク界」では「絶対悪」として忌み嫌われ続けています。
 それには岡田氏の若い頃の毒舌ぶりなど、故なしともしない部分もあるのですが、岡田アンチの言い分を見ていくと、あまり理があるとは思えない。
 以下は「オタク界」における「岡田憎し」の世論が実のところ、今回の山田師匠炎上と同じ構造で作られてきたものであるとご説明するものです。

 さて、いつも言っていることですが、SF、サブカルといったオタクの先代文化は左派的価値観を極めて濃厚に持っていました。しかし学生運動の終焉の後、八〇年代に生まれたオタク文化には、イデオロギーというものはありませんでした。ところがその一方、当時のオタク文化はエロ漫画誌を主なプラットフォームにしていたがため左派に強く影響されてしまった、といったことが言えるわけです。
 この当時、岡田氏を初めとするオタク第一世代によって世に放たれた作品群があります。SF大会DAICONⅣにおいてガイナックスの母体と言えるDAICON FILMが発表したOPアニメーション、『帰ってきたウルトラマン』、『快傑のーてんき』、そして『愛國戰隊大日本』です。
 OPアニメには美少女キャラとメカと怪獣が次から次へと登場します。
『帰ってきたウルトラマン』は『シン・ゴジラ』の元ネタとも言えるシリアスストーリーが展開されるのですが、最後の最後に登場するウルトラマンを、どういうわけか庵野秀明がいつもの小汚いもじゃもじゃ頭の素顔で演じているという代物。
『快傑のーてんき』は『快傑ズバット』のパロディ。これはマニアに圧倒的支持を持つヒーロー役者宮内洋が主役で、徹底的にキザでクールなヒーロー像を演じた作品なのですが、それを武田康廣氏というまあ、岡田氏とあまり変わらないようなデブチンが主役で、元ネタそのままのキザを演じるわけで、もうそれだけで地獄のようにおかしいものになってしまうわけです。
 これら作品群に共通するのは「パロディ」であり、元の作品の「相対化」をテーマとしていること、とでも言えましょうか。
 OPアニメにおいて、怪獣やメカは何の必然性も意味もなく現れ、暴れ回り、また女の子にやっつけられます。そこではただ、描きたいから描くというオタクの欲望こそが優先されているんですね。一方、『ウルトラ』も『のーてんき』も徹底的にヒーローというものを茶化して見せている。
 そしてそれがある意味、一番透徹されているのが最後の『大日本』なのです。この『大日本』、いまでもYouTubeなどで観れるので、よければ一度観てみていただきたいのですが、要するに「もし右翼が戦隊作品を作ったら」といった馬鹿話から生まれたもので、北の大地からやってきた、五ヶ年計画で日本侵略を企む悪の組織レッドベアー団の魔手から日本を守るヒーローの物語。
 言うまでもなく右も左も笑い飛ばしたものであり、しかし洒落というものを解さぬサブカル連中――具体的にはロートルSFファン――から叩かれた、といったことを岡田氏自身、よく語っていました。何しろ文句をつけてきたのはソ連SF愛好団体「イスカーチェリ」。もう、この存在そのものが面白すぎてギャグなのかと思ってしまいます。
 ただ、それも別に間違いではないのでしょうが、実のところ近年、岡田氏はかなり意図的に上の世代の連中、つまりロートルSFマニアと言ってもいいのですが、ぼくの言い方に直すのであればサブカル連中、彼らを挑発する意図を持って本作をSF大会にぶつけたのでは……と思われる節があることが、明らかになっています。
 事実、上の人間たちは本作をホンキで右翼を礼賛した作品だと信じ込み、激怒しました。喧嘩をふっかけられた岡田氏は彼らを徹底的に洒落のわからぬアホ扱いし、痛快ではあるけれども、さすがにお相手が少々気の毒な気もします。

『愛国戦隊大日本』論争をざっと見てみた(その1) - ex検証ブログ

 何しろ、上のブログの語るところによれば本作が最初に上映されたイベント、TOKON8は三十ヶ国のSF関係者から祝辞を贈られた国際的な大会であり、ナイーブになる気持ちもわからないでもありませんから。
 他にも岡田氏の著書『遺言』には(『大日本』とは直接関係がありませんが)鼻持ちならない上の世代の(そして東京の)SFファンに毒を吐く箇所が出てきます(上ののーてんきを演じた武田氏も同様の想いを吐露しています)。
 SF界でもっとも栄誉ある章で「星雲賞」というのがあるのですが、岡田氏たちはこの賞の候補作として『大日本』をぶつけ、『ブレードランナー』に大差をつけて得票数一位となりながら、無効になったと言います。
 岡田氏側も『大日本』に票集めをするために運動するなど、完全にフェアだったわけではないのですが、ともあれこの当時の岡田氏は上にいるSF連中に敵愾心を抱いており、要するにこれは世代間抗争といった側面が極めて濃厚でした。
 岡田氏は、サブカルという連邦に対して独立戦争を起こしたジオンだったのです。

 ついでなので「岡田アンチ」の言い分について、ここで少し検討しておきましょう。
 DAICON FILM時代は岡田氏側は金儲をしていてけしからぬという物言いが強くされておりました。これはまたコミケなどでも儲けを出す同人誌はけしからぬと言われていたことと全く根を一にしており、当時は(少なくともこの業界では)金儲けというものに対する拒否感がかなり強かったのです。それが、オタク文化が商売になったとたん、サブカル陣営は揉み手をして擦り寄ってきたのだから、全くもって恥知らずな話です。
 近年は例の愛人問題が騒がれることが多いのですが、山田師匠の件でも述べたようにリベラルがそれを言うのは、極めて滑稽です。ぼく自身は、これについては確かに誉められたことではないので、むしろ岡田氏には批判的なのですが。

あるオタク評論家の女性問題 ― ジェンダー規範の罠

 他にも、「クリエイターになれないコンプレックスがある」だの「オタク利権を独占している」だのといったことも、よく言われます。
 しかし前者は現実問題として、岡田氏がクリエイターとしての活動もしていることを思うと事実と反しているし、そもそもそのコンプレックスだって、あるに違いないとの思い込みの域を出ないでしょう。後者については商売敵に理不尽な言いがかりをつけているようにしか思えない(具体的にどのような形で排他的に独占しているのか、少なくともぼくはアンチが語っているところを観たことがありません)。
 サブカルがコンテンツを生み出せず、商業的にも成功できなかったことを考えるに、両者とも自分のコンプレックスを敵へとぶつけているだけにしか思えないんですね。
(他にもいくつかあるのですが、それはすみませんが、課金コンテンツの方で……)

 ことほどさように、サブカル連中はオタクを「自分たちのマスターベーションを手伝ってくれないから」という理由で、酸鼻を極めるバッシングをしていたわけです。
 ところが九〇年代、宮崎事件から一転してオタクは被差別者、被害者となり(それ以前、サブカル自身がオタクをバッシングしていたことは、ヒミツです)、『エヴァ』以降、そのコンテンツには市場的、文化的価値が認められ始めた。そのとたんにサブカルはオタクにひっくり返した手のひらで手もみをしながら擦り寄りだした。これもまた、いつも言っている通りです。
 しかし、彼らにとっては目の上のタンコブがいました。
 丁度当時、岡田氏はオタクの市民権を獲得するため、例えば『オタク学入門』といった本を出すなど盛んに活動していたのです。
 しかしオタクを自分たちの子分であると信じるサブカル君にとって、「オタクを差別から解放した救世主」は自分たちでなくてはなりませんでした(それ以前、サブカル自身がオタクをバッシングしていたことは、ヒミツです)。
 さらに言うならば、サブカル君にとっては岡田氏は自分たちに反旗を翻そうとした十年来の怨敵だったのだから、なおのこと彼からオタク利権を奪わなくてはなりませんでした。
 岡田さえ倒せば、オタクたちは俺たちサブカルのお稚児さんになる――それが彼らの妄念であり、ある意味、彼らは既に半分くらいそれを実現してしまったと言えるでしょう。

 ――と、いよいよ話がアブない領域に入って参りました。
 九〇年代からゼロ年代に至るオタク界の秘史については、有料コンテンツにさせていただきます。
 まあ、実際にはほとんど、調べればわかるようなことでしかないのですが、以下をお読みになりたい方は、下の文字をクリックしてnoteに飛んでください。

・X編