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 さて、男性学関連の再録を続けましょう。
 今回は九年前に書いた、千田有紀師匠の著書のレビュー。
 当時、表現の自由クラスタから「真のフェミ」として持ち上げられていたことがきっかけで、師匠の著書のチェックをしたのですが、その第一弾。他の(師匠関連の)記事にもご関心のある方は、元の記事の最後の、「次の記事」を辿っていただけると幸いです。
 上の画像をクリックすると、元の記事に飛べますので……。
 当時はまた、「男性差別反対」といった機運が少々盛り上がっていた時期で、ぼくはそうした層の人々を指して「男性差別クラスタ」と呼んでおりました。本稿におけるぼくの主張は、「しかし彼ら男性差別クラスタはフェミ的ジェンダーフリー的世界観から一歩も出ていない」というものだったわけですが……。


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 UUUのU(アソレ!) UUUのU(コレマタ!)

 有紀タン音頭でUUU!

 というわけで今年もやって参りました、「ドラえもん祭」に代わってすっかりおなじみとなりました「千田有紀祭」!!
 ここしばらく、千田有紀師匠の著作にチェックを入れ続けています。
 有紀師匠は上野千鶴子師匠の一番弟子で、まあ、フェミニズムにとっては期待の新人と言ったところです。
 そんなわけでこの夏、何回かに分けて盛大に有紀師匠を「」ってみましょう。
 今回はその第一弾。
 彼女の著作、『女性学/男性学』を採り挙げると同時に、90年代に少しだけ騒がれた「メンズリブ」、そしてゼロ年代に叫ばれるようになった「男性差別」という概念を簡単に総括し、「女災対策」の手引きとしてみましょう。

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 メンリブ博士のメンズリブ教室

博士:やあ諸君、初めまして。ワシはメンズリブを研究しているメンリブ博士じゃ。
選ばれし者である諸君らはワシのことを「ドクターメンリブ」と呼んでくれたまえ。
これから諸君といっしょに、メンズリブの勉強をしていこう。

助手:博士博士!

博士:おぉ、君は助手のジェン太郎。どうした、慌てて。

助手:呑気にしてる場合じゃないですよ、博士! またしても信じられない「男性差別」です! 三鷹バス痴漢事件でトンデモない判決が出たんですよ!! 車内カメラで様子が撮影され、どう考えても痴漢行為などできそうにないにもかかわらず、「不可能に近いが不可能とまでは言えない」というイミフな理由で有罪判決が出てしまったんです! 許し難い「男性差別」ですよ!!

博士:ふむ、「男性差別」か……冤罪は許し難いことだが、君はどうしてそれを「差別」だと思うのかね?

助手:え? そ……そんなの、議論の余地もないじゃないですか! 司法においては「疑わしきは罰せず」が原則。にもかかわらず、こと性犯罪については女性の言い分が一方的に信用され、男性は始めから犯人扱いされる! これは「男は初めから加害者、女は初めから被害者」という思い込みが社会に広範にあるからなんです。女性専用車両もこれと同じ。ステロタイプな偏った男性像で全てを判断してしまい、加害者としてのジェンダーを男性に押しつける。これは「男性差別」なんですよ!!

博士:ふむふむ……君もなかなかいいことを言うじゃないか。確かに男性はある種の「ジェンダー規範」に縛られていると言える。それはフェミニズムの成果が教える通りじゃな。

助手:え? フェミニズムが!? でもフェミニストって言うと、男に文句ばっかり言ってるババアって印象があるんですが……。

博士:はっはっは、それは君がフェミニストを知らんからじゃよ。本日は千田有紀の著作、『女性学/男性学』で勉強してみようかな。

助手:せんだゆき?

博士:うむ、日本の代表的なフェミニスト・上野千鶴子の一番弟子とも言われる社会学者じゃよ。見たまえ、本書にも、

 女性学やフェミニズムというと、「男」を責めているという印象をもっているひとがいるかもしれません。しかし、個々具体的な場面で男が責められることは、もちろんあるかもしれませんが、理論的にはほとんどないと思います

博士:と書かれておる。

助手:え……? でも、ツイッターとかを見てるとフェミニストを名乗る女性が男性を、それも弱い立場にいる男性を容赦なく罵倒しているところをやたらと見ますけど……。

博士:ほぉほぉ、「ソースはネット」か(嘲笑)。

助手:そりゃネットですよ、ツイッターのつぶやきという一次情報ですもん!

博士:まあそれはよい。しかし見たまえ、本書では続いて、

 女性学の思想や分析の対象は、現在の社会システムであり、わたしたちが住んでいる社会、男も女もともに巻き込まれている社会のシステムのあり方、そのものを問い直していこうとします。

博士:と書かれておる。
つまりこの社会のシステムに男も女も巻き込まれている、と彼女は言いたいのじゃな。

助手:だとしたらいいんですが……。

博士:そうに決まっておる。本書では井上輝子の主張を紹介して、

もちろん、女性が解放されていないという状態は、男性にとってもある種の抑圧でありますから、女性解放をおこなうことは、そのまま男性解放にも繋がると井上はいいます。

博士:とも言っておる。

???:う~ん……それはどうかしら?

博士:な……何じゃ? 今の、誰が言ったんじゃ?

助手:す……すみません、今のはぼくの「毒舌な妹bot」というやつで、百四十文字以内でいろいろとツッコミを入れてくるんですよ……。

妹:見てごらんなさい、今博士が挙げた文章の後に続き、千田はこう書いているわ。

「闇の中にいる者には、光の世界の醜さがよく見える」とリブがいったように。

妹:つまり、女性のいる世界を「闇」と表現しているの。彼女が「女の方が大変だ」と考えているのは明らかよ。

博士:な……何? そんなこと、ツッコミと言うよりは荒探しじゃろう!
彼女の他の著作、『日本型近代家族』にはこうもあるぞ。

 そのような主婦の状況がある一方で、多くの男性は妻に全ての家事をまかなってもらうことを前提として、過重な労働をしいられてきた。働きすぎによる過労死は、このような主婦のありかたの裏返しの現象だった。またおもに男性だけが家計を支えている場合は、リストラなどによる解雇や不慮の事態にとても弱い。

博士:つまり、この社会において、男性もまた深く抑圧されていると、彼女は言っておるのじゃ!

助手:だとしたら素晴らしいですけど……。

妹:でもこれ以降、主張は「だから女も働くべき」っていうものになっていくわね。

博士:彼女は最初からそう主張しておるじゃろうが。

妹:読む限り、彼女が男性の大変さをマトモに考えている様子はないし、「女性は働くべき」という彼女の主張を通す方便として、「その方が男も得だよ」って言ってるだけに見えるわ。

博士:い……いいではないか!
とにかく女性が社会進出すれば、男性も救われるのじゃ!

妹:でも彼女のリクツが正しいとするならば、二人暮らしより一人暮らしの方が圧倒的にリスクが大きいことにならない? そうなると「結婚すべき」というのが論理的な考え方だけど、この人、あちこちで「結婚はおわコン、結婚はおわコン」って書いてるわよ?

助手:ほ……ホントだ。こうなると「夫婦で働く方がリスクが少ない」という言い方自体、女性を働かせるための方便としか思えない……。

博士:……ふぅ~む、今日はいい天気じゃのお……。

妹:『女性学/男性学』のまえがきを見てちょうだい。彼女は思想家の廣松渉とフェミニストの江原由美子の対談を引用して、「上級カーストの女性と下級カーストの男性とを比べれば女性が上だ」との考えを「誤謬だ」と一蹴してるわ。
つまり男女はそのジェンダー構造上、いついかなる場合も女性の方が損だ、とのフェミニズムのロジックを、千田も踏襲しているとしか考えられないわけよ。

助手:なるほど……そういう考えの人間が言う「男性の解放」は、一体どんなものなのか……。

妹:それとここ。どうも田中美津という人の書いた昔の本からの引用みたいだけど、

女にとって「不感症」であることは、その存在の全面否定を意味しても、男にとって、「インポ」であることは、その存在の部分否定でしかないということに、性差別の本質が隠されている。
(中略)
つまり、男が社会と、女に向けての、そのふた股かけた存在証明の道を持ちえているということは、男の自己肯定が二重の安全弁をもっているということに他ならない。

助手:正直、この人が何をもってインポが不感症よりマシと思っているのかさっぱりわかりませんけど、どっちにしても「男が得」だって言ってるじゃないですか!

博士:う……うむ、その「インポ」と「不感症」は恐らく比喩表現で、「男は性的価値と社会的価値の二つの価値を持ち得るが、女性には性的価値しかない」という意味じゃろうな。

助手:それなら「インポ」と「不感症」じゃなく「ブサメン」と「ブス」とでも書けばいいと思いますが……だって「あらゆるセックスは全てレイプ」というほどに男は身勝手だ、というのがフェミニストの言い分だったはずなのに、不感症かどうかを気にするなんて、これじゃ男がいい人みたいじゃないですか。そもそも、一般的に考えて感度のいいブスと不感症の美人とどっちが価値と高いとされるかというと……。

博士:う……うるさい! そこはことの本質ではないわい!!

妹:えぇ。重要なのは果たして男が二つの価値を持っているだろうか、ということよね。

助手:でも、それってヘンだよなあ。そもそも社会的に成功していない男が、女にモテるはずがないですよ?

博士:……………。

助手:普通に考えて、二つのルートを持っているのは現代においては女でしょ
今の女性は働いて自分で稼ぐこともできれば、男性に養ってもらうこともできるもん。
一方、女性が男性を主夫として養うことがレアである以上、百歩譲って彼女の主張通り、男性が「社会的価値」と「性的価値」の二重の安全弁を持っているとしたところで、無意味ですよ。「性的価値」を持っているからと言って、女性に養ってもらえるわけじゃないんですから。

博士:……………。

助手:一方、女性は「性的価値」すらもモデルやタレントという形で「社会的価値」へと変換可能です。もちろん男性もモデルやタレントになることはできますけど、イケメンだからといって主夫になれるとは限りませんよね。

妹:一つ補足しておくと、引用した本は均等法以前のものみたいだから、今の時代とは齟齬があって当然ね。でも、昔から働く女なんていくらでもいたことを思えば、発表当時は通用したハナシなのかとなると、それは……。

博士:えぇ~~い、うるさいッッ!
見たまえ、本書のまえがきを読んでみると真っ先に、出版社から『女性学』の本を書いてほしいと依頼を受けたにもかかわらず、『女性学/男性学』とのタイトルにして欲しいと希望した旨が書かれておる。彼女がいかに男性学に関心を持っているかが、わかろうというものじゃ。

助手:へえ、それは頼もしい話ですね……んん? でも見る限り、男性学の話題なんていつまで経っても出てきませんが……?

博士:慌てるな、130ページを見てみたまえ。

 女性学/男性学という題名の本なのに、男性学は、いつになったら出てくるんだ、とじれったく思っているひともいるかもしれませんね。お待たせしました。男性学について考えてみましょう。

助手:あ、ホントだ……って、141ページでその話題、もう終わりじゃないですか!!
170ページを超える本の中、男性については10ページですか!?

博士:う~~む、そう言えば『水星の魔女』のニコ配信はそろそろかの、楽しみじゃなあ~~。

妹:でも……そのたった10ページの記述ですら、残念なことに極めて偏った内容であると、言わざるを得ないわね。

助手:えぇ!?

妹:ほら、ここを読んで。

日本において男性学というジャンルを打ち立てるのに大きな役割を果たした伊藤公雄は、「一九七〇年代から八〇年代にかけて「女性問題の時代」の開始があり、それが今後ともますます深化しようとしているとすれば、一九九〇年代は「男性問題の時代を告げる時にならざるをえない」といいます。

助手:え? これのどこがヘンなの?

妹:伊藤公雄の処女作、『〈男らしさ〉のゆくえ』の出版は1993年。
でも渡辺恒夫が編んだ『男性学の挑戦』は1989年よ。

博士:え……?
し、しかし、ウィキでも「社会学者の伊藤公雄がパイオニア的研究者である。」と書いてあるぞ?

妹:ところが、本当のパイオニアは渡辺と言うべきなのよ。

博士:い……いや……ウィキはともかく、本書では「パイオニア」とまでは断言してないから……。

妹:確かに。「伊藤が発案者、第一号」と書いてない以上、嘘だとは言えないわ。でも気になるのは、「一九九〇年代は男性問題の時代」という指摘。伊藤は自著で本当にこんなことを言っているのかしら?

博士:い……いや、実はこの本、引用がやたらに多いわりに、引用元の本の題名がきちんと書かれておらんのでな、確認ができんかった……*

妹:そう……ただ、渡辺は今言った著作に先んじて、1986年に『脱男性の時代』という本を出していたの。そこで彼は「二十一世紀は男性問題の世紀になる」と「予言」してるのよ。

助手:ひでえ!! この伊藤って人、渡辺をパクったな!!
兵頭新児の後で「私が女災という言葉を作った」と言い張る人が出てきたみたいな事態ですよ!!

博士:ば……バカ! 伊藤を兵頭のようなミソジニストといっしょにするな!!

妹:まあ、パクったとまでは言わないけど、本書を読む限りは伊藤が初めて言ったことのように読めるわね。

博士:単に千田が渡辺を知らなかっただけじゃないかの?

妹:そんなことはないわ。ほら、ここを見て。先の文章の後に、ちゃんと「渡辺が男性学という言葉の提唱者」と書いてあるわ。

助手:あ、ホントだ……じゃあいいじゃん。

博士:そうじゃそうじゃ! いささか毒舌も度を超したようじゃな、ひゃっひゃっひゃ……。

妹:そんなことはないわよ。だってこうなると逆に不自然じゃない?

博士:ん? 何がじゃ?

妹:つまり、千田は渡辺をちゃんと知っていながら、敢えて伊藤をこそ第一人者であるかのようにフィーチャーした。そこに作為がないとは言えないわね。

博士:何が言いたいのじゃ?

妹:渡辺は性同一性障害者や異性装者を研究し、男性解放を唱えた人物なの。
お兄ちゃんみたいな、「女性が得をしているぞ、分け前をよこせ」と主張するだけの「男性差別」クラスタとは一線を画しているわ。

博士:なるほど。我が不肖の弟子と違い、渡辺はまともだったということじゃな。

妹:ただ、とは言え、彼は男性が社会からおびただしいデメリットを強いられている存在であることを、明確に指摘した人物でもあるの。

博士:そ……それはフェミニズムの成果じゃ! 千田も言っておったろう!?

妹:どうかしら? 先に言ったように、千田は「女も社会に出るべき」との主張のマクラとして、それを語ったようにしか見えないわ。
しかし渡辺は、例えばハイジャック事件が起きた時、「女子供の人質を解放せよ」といった要求がなされることが象徴するように、まず男性は生命すらもが女性に比べて軽んぜられていることを指摘したの。
「男性差別クラスタ」もこうした男性の負わされたラディカルなデメリットについては、全く認識が甘い。その意味であたしの目には彼らもまた、フェミニストたちと同工異曲に見えるわね。
そして当時、男性学の確立に奔走した渡辺はフェミニストから批判され、やがて失意と共にこうした活動からフェードアウトしてしまっているわ。

博士:し……しかしじゃな、渡辺がやる気をなくした90年代の半ば辺り、むしろメンズリブは勃興期を迎えていたのじゃ。先の伊藤をを始めとする学者や研究家による著作がいくつも出版されたのじゃよ。

妹:確かに。でも本書では伊藤のスタンスが端的に書かれているわ。フェミニズムが女性性のネガティビティすらをも引き受けて「女で何が悪い」と居直る運動であったことを踏まえた上で、

この戦略をひっくりかえして、「男で何が悪い」ということはできるでしょうか。伊藤は(あくまでも一九九九年の時点での伊藤の意見ですが)、「できない」といいます。

妹:としている。
つまり、メンズリブはただひたすら「男性を否定」する思想でしかないの。
「フェミニズムによって男性も権力欲、攻撃性といったマチズモを捨て去れば解放されるのだ」と唱えるだけの、フェミニズムのリプレイに他ならないのよ。

助手:ひでえ……しかもそんなことを大学教授みたいな勝ち組が言って、しかも叩く対象は立場の弱い男……そんなの単なる弱い者いじめじゃないか!!

博士:うるさいっっ!!
お前がそんなことを言うのも、男がどれだけ下駄を履かせてもらっているかを理解していないからじゃ!!
ぐだぐだぬかすと単位をやらんぞ!!

妹:そうね――「男は下駄を履かせてもらっている」。

助手:え……?

博士:ふむふむ……君も本当はわかっておったようじゃの。

妹:あたしがいつも、「お兄ちゃんたち男性差別クラスタは勝てない」と言い続けていたのは、そのせいよ。

助手:え? どういうこと?

妹:はてなキーワードで「メンズリブ」をみると、補足説明的に

一方、女性解放運動などによる「男性差別」が横行しているという認識から、これに反対するという意見や行動も以前から存在しており、近年ではこうした言説の方が目立つ傾向にある。

妹:との記述があるわ。言ってみれば今までの(国内における)「メンズリブ」はフェミニズムの変種でしかなかった。それに対するカウンターとして「男性にも分け前を」型の「男性差別クラスタ」が出てきたということね。

助手:そうだよ。だってヘンだもん、メンズリブなんて!

妹:そう。「男性差別クラスタ」は「男が損だ」と気づいた。
そしてまた、近代社会において「平等」や「人権」が正義であることも常識として知っている。
だから「平等」を叫ぶことで、「男性は差別されているぞ」と叫ぶことで問題が解決できる。ならば街頭で演説でもすれば速攻で快哉を浴びるはず、週刊誌が取材に来るはずと早合点した。
でもお兄ちゃんが参加している「男性差別をなくす市民の会」、果たして街頭演説をして共感してもらっているのかしら?

助手:そ……それは……。

妹:つまり、それではフェミニズムには「勝て」ないの。
お兄ちゃんが知ったかぶり知識で「ジェンダーフリー」を唱えたのもそれといっしょね。それでは「勝て」ない。

助手:え?
でも、ジェンダーというのはこの社会が作り上げた虚構であり……。

妹:そのロジックのウソ、そこでもフェミニストたちが欺瞞に満ちた振る舞いをし続けたことついては、また次回以降にゆっくりと教えてあげるわ。
でも今は、千田の「男性解放」が欺瞞に満ちたものであったことを思い出して欲しいの。

助手:そ……そうだ。確かに「女性の社会進出」のマクラのために持ち出しただけで、要するに自分の都合のいい時にだけ「男性解放」と言ってみせるダブルスタンダードでしかなかった。

妹:そう、ならばそんな人たちが自分たちに益さない「平等=ジェンダーフリー」をマジメに考えるかしら?

助手:……………。

博士:何が言いたいのじゃ?

妹:「男性差別クラスタ」は漫然と自分が立っているその場をスタートラインと考え、「平等」を叫んでいる。
でも「フェミニズム」は歴史的に女性が差別され続けて来たのだと考え、その研究の蓄積はおびただしいわ。

博士:そうじゃ! 「男性差別クラスタ」の言い分など、笑止千万じゃっっ!!

助手:……………。

妹:「男性差別クラスタ」は今ここにおまんじゅうが十あるのを見て、「男女で五つずつ分けよう」と主張しているの。
でも、フェミニストたちは過去を研究して、「かつて、男はおまんじゅうを百個も二百個も独占していた」と主張して、今あるおまんじゅうを独占することを正当化している。
つまりは、「借金を返せ、利子つけて」と要求しているのよ。
そのロジックが笑止千万な、欺瞞に満ちた古拙で幼稚なものであることについては、「男性差別クラスタ」以上だけどね。

助手:で……でも、かつてがどうあろうと、今の問題に結びつけるのは間違ってるよ!!

妹:「アファーマティブアクション」などについては、お兄ちゃんの言い分が正しいと思うわ。でも、彼女らのロジックを受け容れるなら、それこそ本書で男性についての箇所が著しく少ないことも、今のお兄ちゃんの言い分では「差別だ」と否定できないわ。
これを広げれば例えば、男女共同参画局が女性のためにおびただしい予算を勝ち取っていることも、いちがいに否定できなくなるわね。
つまり「男性差別クラスタ」の言葉ではフェミニズムには「勝て」ないの。

博士:しかり、「男性差別クラスタ」は間違っているというわけじゃな。

妹:間違ってはいない。でも、残念ながら圧倒的に考えが足りてないの。
先に「メンズリブ」について見た通り、90年代のフェミニストたちは、「男性たちも大いに抑圧されている、男性たちも解放されるべきだ、それにはフェミニズムを推し進めればよい」と言い続けた。
でも、今世紀になってそんな声は全く聞かれなくなった。
もう、彼女らの本音は明らかよ。

博士:……………。

妹:現状では、残念ながら「メンズリブ」も「男性差別クラスタ」も「フェミニズム」というお釈迦様の手のひらの上から一歩も出ていない。

助手:だから、ぼくが聞きたいのは「フェミニズム云々」の話じゃないんだよ! どうすればぼくたちが「男性差別」から「解放」されるか……!!

妹:そういう焦りが、功を奏さないパフォーマンスを生んできたんだと思わない?
まずは自分たちの立っている足下を基準にしての「平等」も「解放」もニセモノだった、と知ることからよ。

助手:に……ニセモノだったの?

妹:そりゃそうよ。だってフェミニズムによって、お兄ちゃんたちは「所持金ゼロ」じゃなく「借金持ち」ってことに「されちゃった」のよ。

助手:じゃあ、どうすれば……?

妹:「遅れ」を取り戻すしかないでしょう?
今まで男たちは家族を養うことにかまけ続けて、自分たちのことを考えてこなかった。
でもフェミニズムの「成果」で男たちは結婚を選ばなくなった。
それは望ましいことではないけれども、自分たちのことを考える時間はできた。
その空いた時間でフェミニストたちの歩みを見ていくことで、彼女らがどこで間違ったのかがわかる。
そうすることで、実はお兄ちゃんたちも彼女らと同じ穴に落っこちてしまったことも見えてくるはずだわ。

助手:つまりフェミニズムについて知ることは必須だと?

妹:実戦を考えるなら、余計にね。
ということで、次回もまた千田有紀について突っ込んでいくわ。
こうしたコント形式はもうやらないかも知れないけど。

博士:あ……あの、それじゃワシの立場は……?

妹:ないわよ、そんなの。今回限りのやられ役で終わり。

博士:あ、やっぱり……。

* ちなみに「言っていた」ことは後年、伊藤師匠の本を拝読して明らかになりました。ところが、このフレーズは明らかな渡辺教授からのパクリであることもまた、わかってしまいました。
 詳しくは「夏休み男性学祭り(その1:『男性学入門』)
」を参照のこと。