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(2022/04/23追記:ちょっと再読して、意味のわかりにくいところがあると感じました。
そんなわけで「*」マークで囲った部分に加筆しておきました)

 目下、『Daily WiLL Online』様で石川優実裁判についての記事を連載しております。

《「#KuToo」裁判》に見るフェミのマッチポンプ【兵頭新児】 web-willmagazine.com

 同記事はおかげ様で久し振りに一位を取ることができました。
 第二弾も鋭意執筆中ですので、どうぞよろしく!
 さて、今回は表題の書のレビューであり、前編と、そして動画をあわせてご覧いただければ幸いです。


 これらに続く今回は、予告した通り「小山田問題」と「根本敬」の関連性についてですが――。

・いじめ雑誌だくいっくじゃぱ~ん♪

 前回、ロマン優光の著書『90年代サブカルの呪い』が「小山田問題」について言及しつつ、その筆致が隔靴掻痒であることは既に述べました。
 優光は基本、小山田の振る舞い(いじめの実際については実話かどうかわからないと留保しているのですが、真偽は置いて、そうした悪趣味な話を嬉々としてするという行為そのもの)については終始否定的なのですが、読んでいると小山田について語りつつ、いきなり文中に根本敬の名前が飛び出してきます。

『ロッキング・オン・ジャパン』でのインタビューはブーム以前ではありますが、根本敬氏は既に『因果鉄道の旅』を出版しており、その影響は94年の時点でコアなサブカル・ファンの間では大きいものだったのです。
(127p)


『ロッキング・オン・ジャパン』は小山田が食糞させたと自慢げに語った雑誌であり、あくまで小山田問題について語っていたところに、いきなり何ら説明なく根本の名前が出てくるのです。
 文脈から察するに、悪趣味/鬼畜系のシンボルとして扱われているのかなあ――と戸惑いながら数ページ読み進めると、『クイック・ジャパン』の方の小山田の記事について「根本敬的な方法論を踏まえたつもりで掲載したのかも知れませんが、(129p)」などといった記述が登場します。
 前回も述べたように、根本は異端の者、社会の底辺にいる、おかしな人物についてレポートする文章を書いていた人物。優光は「小山田の記事は根本の方法論を真似しているのかも知れない」と言っているのです(上の記述は「しかし根本は観察対象に危害を加えないからよい鬼畜だ(大意)」と続きますが、前回も書いた通り著書で晒すという形で危害を加えているのですから、それは嘘です)。
 さて、ここまでならばやはり小山田が根本の「芸風」を下手に模倣したのだ、といった主張に思えますが――実はここにはそれ以上の意味あいが込められています。
 この「小山田問題」については、ずっと以前から「孤立無援のブログ」が追求していましたが、同ブログは去年の十月三十一日にアップされた「小山田圭吾と村上清と根本敬」で、ものすごい爆弾を投下していたのです。

根本敬を知らない者に、「村上清のいじめ紀行」の本当の悪質さはわからない。
『クイック・ジャパン』第3号に掲載された「村上清のいじめ紀行」が、根本敬から強い影響を受けていることは、当時を知る読者にとっては常識だった。

「村上清のいじめ紀行」の本文には、はっきりと根本敬への言及がある。つまり、村上清と小山田圭吾は、「根本敬ワールド」を共有しているということだ。


 そう、いきなり根本の名前が登場したのにはそんなわけがあったのです。サブカル君にとっては根本がそこまでの「基礎教養」だったわけですね。小山田が根本のファンだと語るインタビュー記事の引用も、ここではなされています。
 小山田は『クイック・ジャパン』で、沢田君という障害児を凄惨にいじめていたことをえびす顔で語っていました。しかしこの特集記事自体が根本の『因果鉄道の旅』に所収された「内田研究とビックバン」の模倣であったというのです。
 ではそれは、どんな作品だったのか。
 同ブログでは、根本の作品からの引用で説明がされているので、そこを以下に孫引きしてみましょう(「引用元」の記述もそのまま引用しています)。

根本敬は大学時代にAという男と出会い、この男についての調査や取材を始める。友人たちと「A研究会」を作り、「Aが留守の間に下宿に忍び込んで写真撮って、手紙とか高校の時の調査書とか全部コピーして」、4冊の機関紙まで作成するという徹底ぶりだった。(引用元 前掲「コミック雑誌はいらない」)


 もうこの時点で完全にアウトですね(なお、Aは引用元では実名になっています)。
 一線を越えないはずのよきサブカル君たちは、この根本を称揚していたのです。
 ではこのAとはどういう男か。
 一見好漢に見えるが、実は目下の人間しか相手にできないヘタレ男。とは言え、いざ目下となるとどこまでも居丈高になり、踏みつけにすることを躊躇しない。丸っきりサブカル君みたいな人物なのです。
 具体的な行状は本当に胸糞で、以下は少々の覚悟をして読んでいただきたいのですが、食堂を一人切り盛りしている軽度の障害を持つ中年婦人の紐のような状態になり、セックスで支配すると共に、少ない財産も食い潰してしまう、福祉で下りたカネも吸い取ってしまうというすさまじさ。

あと、一度ババァ妊娠して、こいつが腹蹴って流産させてババァ殺しかけたり。ババァ蒸発すりゃ、今度は事情のある妊婦かどわかしてそいつの家庭メチャクチャにしたり、って本当にすごい奴でしたよ。
(引用元「コミック雑誌はいらない」『豚小屋発犬小屋行き』青林堂・所収)


 以上、できる限りさらっとまとめましたが、実際に読んでみると延々延々、こうした陰惨無残なエピソードが続き、本当に嫌な気分になります。
 根本はそれを面白がって調べ上げ、人物たちのフルネームを並べ立て(作中にはAが作った「誓約書」なるものが掲載され、そこにフルネームが書かれているので、それが捏造でない限りは偽名ではないと思われます)、婦人の容姿や障害を嘲笑い、Aからの被害を「喜劇」とまで呼びます
 つまり、小山田はこうした根本の「アウトサイダーである自分が、さらなる異端の奇人と出会い、弱者を凄惨に虐待する様子を大はしゃぎで語る」といったスタイルを模倣しているというわけです。
 最終的にこの婦人はAから逃げ出すのですが、後日、「いろいろとお世話になりました」といった手紙をよこしてきます(まあ、精神的に支配されていたこともあろうし、婦人にもAへの未練めいた感情もあったのでしょう)。
 この手紙を、根本は嘲笑混じりに掲載しているのです。
 そう、小山田の記事と、全く同じですね。
『クイック・ジャパン』の記事の最後のページには、沢田君から来た手紙が晒し者にするように掲載されていました。
 これを持って当時の同誌の編集者、北尾修一が「小山田と沢田君は仲がよかったのだ」などという意味不明な擁護をしたことは、『WiLL』様の記事でも動画でも述べています。当時の同誌の編集長、赤田佑一がそれに倣った、オリジナリティゼロの醜悪極まる言い訳をしたことも、note記事でご紹介しました。
 しかしそれは、(許より無理筋とは言え)絶対に間違っていると指摘したのが、先のブログなのです。

・いじめ企画だむらかみきよ~し♪

 しかしさて、では優光はいかがでしょうか――?
 小山田について述べている時に、優光は唐突に根本の名前を出しました。そして『クイック・ジャパン』の記事を「根本敬的な方法論を踏まえたつもりで掲載したのかも知れませんが、」と評してもいました。
 つまり実のところ「孤立無援のブログ」が明言する前に、優光は小山田(ないし記事を企画した村上清)の「芸風」が根本のパクリであると、示唆していたのです。極めてさりげない記述であり、ぼくも先に同記事を読んでいなければ、意味を理解することができなかったでしょう。
 優光がどうしてこんな曖昧な記述の仕方をしたのかは、わかりません。
 本書は全体的に説明不足であり、粗雑な口述筆記ででき上がった本だからかも知れないし、或いは許より仲間内だけに向けた書だからかも知れませんが(アニメ専門誌に一般人が名を知らないようなマイナーアニメのタイトルが、説明抜きで載ってるようなものです)、或いは、根本との関連性について詳述してしまっては、小山田の凶悪さがより明確になるからだったのかも知れません。
 上に見た通り、優光は小山田について述べている箇所で『因果鉄道の旅』にも言及しています。つまり、沢田君からの手紙が「晒し上げ」られているのが根本の「パクリ」であることに気づかなかった――という言い訳は、成り立たない。
 ところが、小山田の(オリンピックの時の)炎上後、優光はここについて白を切るのです。
「ブッチニュース」というサブカル系サイトでは、彼がひたすら小山田を擁護する姿が見られます。

小山田圭吾インタビュー:ロマン優光連載195 (2021年9月18日) - エキサイトニュース

 炎上が反オリンピック派の陰謀だとの陰謀論を開陳し、『ロッキング・オン・ジャパン』が小山田の発言を「盛った」かのように語って小山田を免責するのです。この「盛った」説は擁護派が喧伝していますが、『ロッキング・オン・ジャパン』の編集者は再三、「盛ってはいない」と否定しています。   
 もちろん、この編集者が嘘をついている可能性もないとは言えませんが、だとしても『クイック・ジャパン』で語られた過去の振る舞いが免責されるわけではありません。
 ここで優光は村上清自身が書いた謝罪文を持ち上げ、「誠実な文章」だの何のと言ってみせます。
 しかしその肝心の村上の謝罪文は、特にどうということのない凡庸で口先だけのもの。

当時の経緯をご説明いたしますと、本記事でいじめを支持したり、ましてや称揚する意図は、当初から全くありませんでした。

記事原文では冒頭から私の露悪的な文章が続きますが、それは本来の対談相手でもない筆者が「いじめはよくない、やめよう」と書いたり態度に示すことは、彼らにとっては一気に、安心できる教科書的記事になってしまい、それでは何も伝わらない、毒には毒をもって対するしかない、と当時考えたためです。


 他にも、いじめの実態を伝えるため、敢えて書いたの何の。
 これで彼が免責されるなら、人を殺した後、「人殺しは悪だと伝えるため、敢えて露悪的な表現をとった」と述べた者は、無罪という判決が下されるべきでしょう。
 まあ、いずれにせよ何の引っかかりも覚えない、心ない文章の羅列ですが、一読して村上は一切、内省がない人間であるということはよくわかります。
 重要なのは例のいじめられていた少年からの手紙を掲載した件についてですが、そこを村上は以下のように言い訳しているのです!

また原文記事の最終頁に小山田さんの同級生だったSさん(仮名)の年賀状が掲載されていますが、これも当初から「晒して馬鹿にする」という意図は全くなく、元記事全文の様々な文脈を経て終盤で語られる、Sさんと小山田さんの間にあった不思議な交流、友情の挿話に即して掲載されたものです。


 北尾修一、赤田佑一の言い分と、北朝鮮のマスゲームのような一糸乱れぬ美しい統率を見せてくれています
 村上のこの卑劣な言い訳が書かれたのが、そして優光がこれを採り挙げたのが、北尾の醜悪な言い訳の後かどうかは知りません(ちょっと調べればわかるけど面倒だしどうでもいいので調べません)。

*     *     *

 しかしいずれにせよ優光は件の記事が根本敬のパクリであり、被害者の手紙を笑いものにしたのもその文脈でなされたことを知っていたはずです。
 しかし炎上後は「あの手紙は友情だ」などという村上の言い訳を肯定して見せている。
 優光の嘔吐を催すような邪悪な不誠実さは明らかでしょう。


*     *     *

 また、村上の言い訳はその後、「いじめられる側や障がいを持った方々をテーマとする書籍を企画編集させて頂く機会に幸運にも幾度か恵まれ」、「そこで得た学び」があったと続きます。
 しかし「孤立無援のブログ」で散々指摘されていることですが、『クイック・ジャパン』の問題の号は2012年にも嬉しげに復刻版が出版されているのです。少なくともこの時期には、村上(も北尾や赤田も)何ら反省なかったはずです。
 ではその後、上にあるような仕事をして、村上は「反省」を得たのでしょうか。
 その可能性もないとは言えませんが……あ、『クイック・ジャパン』の版元で今も村上が在籍する太田出版と言えば、酒鬼薔薇聖斗(少年A)の『絶歌』を2015年、出版してましたねえ……きっとこの後、反省なさったんでしょうねえ。

・いじめいいわけイイワキャネー♪

 最後に、小山田本人の言い訳について、簡単に述べておきましょう。
 小山田は本件について謝罪文を発表しました。

【全文】小山田圭吾さん 過去のいじめ一部否定「目撃談語ってしまった」:東京新聞 TOKYO Web www.tokyo-np.co.jp

 そこでは『ロッキング・オン・ジャパン』で語られたエピソードは事実と異なるとし、また編集者側に「話を盛られた」と示唆するような書き方もなされていますが、編集部側の人間がそれを否定していることは、前述の通りです(ただし、自分がしてもいないことをしたように騙ってしまったとも行っており、それを信ずるなら食糞云々は「フカシ」だったことになります)。
 一方、『クイック・ジャパン』における記事についても、以下のように語っています。

報道やSNS等では、私がその生徒に対し、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ということになっていますが、そのような事実はありません。


 しかしその直後には、以下のように続けられているのです。

今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。



 これを忠実に解釈するなら、「いじめて」はいたが、それは「障がいがあることを理由」にしたり、「陰惨な暴力行為」であったり、「長年に渡って続けた」ものではなかったのだ、ということになりましょう。
 もちろん、「いじめ」があったか否かについては事実関係を争えるが、その「理由」が「障害があること」であったか否かは、当人にしか窺い知れない以上、言った者勝ちです。
「陰惨」や「長年」に厳密な定義はなく、これもまた、どうとでも言える。
 疑うなら上の発言は単なる言い逃れ、どう好意的に見ても、「誇張があったものの、それにしてもいじめは事実」と解釈せざるを得ないんじゃないでしょうか。
 何より『クイック・ジャパン』のライターが元・被害者の実家に押しかけた件、記事の最後のページに被害者から届いた手紙を掲載し、笑いものにしている件については見事にだんまりを決め込んでいます
 しかしそれも無理ないことかもしれません。何しろこれらは他人を巻き込んだり物証があったりで、「盛っていました」という言い訳は通用しませんから。

・なんにもないサブカルに ただ風が吹いてた

 いずれにせよ北尾も赤田も村上もそして優光も、「障害児を凄惨にいじめ抜いた小山田を力の限り擁護し、その関係を友情だったのだと強弁し、手紙を晒しものにするという凶悪な振る舞いを諸手を挙げて称揚している」ことは揺らがない事実です。
 いえ、仮に小山田たちの言い訳が100%正しいと仮定するならば、先に「陰惨」に厳密な定義はないと書いた通り、上の「凄惨」というワードは取り除くべきかも知れません。しかし、実のところこの記事自体が「凄惨ないじめ」そのものだったという事実は揺らぎません。彼らの珍妙な解釈通り、もし小山田と障害を持った少年とに友情があったのであれば、その少年を笑いものにし、家にまで押しかけ、手紙を無断で掲載する小山田の振る舞いは、その友情そのものを無残に破壊する行為でなくて、一体何なのでしょうか。
 先の根本の著作について思い出してください。
 根本は作中で、中年の婦人をいじめ抜いたAのことを繰り返し「悪魔」と形容しています。自分自身もまた、「悪魔」であることには気づくこともなく。
 小山田圭吾、村上清、北尾修一、赤田佑一、ロマン優光もまた「自分を天使だと思い込んでいる一般悪魔」であることはもはや、明らかでしょう。