『Daily WiLL Online』様で例の小山田圭吾関連の記事を書かせていただきました。
問題となっている雑誌『クイックジャパン』は昔から「オタクバッシング」の急先鋒であり、そこで小山田圭吾の記事に関わった北尾修一というのも「オタクバッシング」の急先鋒。
これら二つの問題(小山田、オタクバッシング)の根源にはサブカルの「ヒエラルキーへの拘泥」があるのでは……といった記事で、次の日曜日に第二弾が発表されますので、どうぞご覧ください。
また、さらに細かいツッコミを入れて動画化できないか、と考えております。
そこで、今回は似た問題を扱った記事の再録となったのですが、何と2010年、8月8日のもの。奇しくも上の記事の掲載日の丁度十一年前のものです。本件はフェミ同様、かつてよりのサブカルの悪辣さが、ようやっと知れ渡り出したことの一環と言えるのではないでしょうか。
では、そういうことで……。
* * *
ポストモダン評論家、東浩紀センセイのTwitterでの発言が波紋を呼んでいます。
人気声優、平野綾さんの非処女疑惑(という表現で正しいんだろうか?)に対して、センセイは
最近平野綾が騒動になってますが、そもそも処女を求める男性なんてオタクしかいないんじゃないのか疑惑
39歳で、『付き合っている女性が自分以外と性経験があってショック』とか言っているやつは、もしいるとしたらかなり厄介だ
などと発言したということです。
これに対してはひろゆきさんが
中国人の金持ちが「絶対、処女と結婚する。」「今の彼女は?」と聞くと、「処女じゃないから結婚はしない。」って言ってた。イスラム圏も婚前交渉とかありえないわけだし。カトリックも厳しい。処女信仰=オタクってのは視野が狭いと思われ。
(http://twitter.com/hiroyuki_ni/status/20382367757)
とレスを返していて、どう見てもこれはひろゆきさんの圧勝です。
仮にも学者センセイが、一般人に比べて唖然とするほどの視野狭窄ぶり、これではまずいでしょう。
さて、センセイのTwitterを見てみると
またひとり、「疑惑とついていようがなんだろうがオタク=処女信仰というレッテルを張ったんだから誤魔化すな」的ツイートが来たので、ブロックした。日本語を読めないやつは相手にしません。Twilogで該当ツイート読んでみ。
しかししつこく言っておくけど、「処女信仰はオタクだけ」なんてぼく言ってませんからね。ひろゆきのツイートで広まったみたいだけど、それって、申しわけないけどひろゆきがまとめサイトに釣られたって話でしかないよ
などと書かれていたので、そのTwilogとやらを捜してみました。
そもそも処女を求める男性なんてオタクしかいないんじゃないのか疑惑。
(http://twilog.org/hazuma/date-100805)
……………。
言ってますよね、思いっきり。
センセイはひろゆきさんが「疑惑」を抜いて引用したとお腹立ちのようですが、まあ、何と言いますか、「そりゃ言い訳にもならんわ」と普通は思うんじゃないでしょうか。
もし本当に、ひろゆきさん(や、ぼくたち)がセンセイの真意をねじ曲げて解釈したのだというのならば、センセイは発言の意図を表明すべきでしょう。
しかし、そもそもセンセイは昔からオタクに対する悪意に満ちた無根拠な独断と偏見を書き飛ばしてきた方なのですから、今更慌てる必要もないと思うのですが*1。
*1と言いつつ、もう随分昔の講演でもオタクを否定的に語っていたところを反論された東センセイが、あたふたと頭を下げていたのを見た記憶があります。
東「コミケに取材に行ったらサークルに冷たくあしらわれた、オタは閉鎖的だ!」
客「コミケというのはオタにとって大事な時間なんだから、そうそう取材に快く応じられるとは限らない」
といったやり取りであったでしょうか。きっと本当はいい人なのだと思います。
さて、某氏が憤る通り、昨今では「オタク=処女信仰というレッテル」はもう既にある程度のコンセンサスを得ているように思います。
他にもこれに類するレッテルは、
曰く「オタクはマッチョである」
曰く「オタクはホモソーシャルである」
曰く「オタクはミソジニーである」
などなど、各種取り揃えられた充実のラインナップぶりを示しております。そして実はこの種のコンセンサスの種蒔きを、もう十年以上も前になさっていたのもまた、東センセイなのです。その仕事の速さには、舌を巻かずにはおれませんね。
しかし、これらオタクの「処女厨認定」にも「マッチョ認定」にも「ホモソーシャル認定」にも、そしてまた「ミソジニー認定」にも、奇怪なことに今までそう認定した根拠が示されたことは、ぼくの知る限りありません。あったとしても「自分がオタとつきあってそう感じたから」以上のものではありませんでした*2。
*2ちなみにぼくも、mixiでオタクをミソジニストだと言い立てる人と議論になったことがありました。その人物は終始、「オタクは女性に対して印象だけで決めつけているのだ」との、「オタクに対する印象だけの決めつけ」を続け、議論が決裂すると2ちゃんねるでぼくのmixiアドレスを晒してデマを流すという豪快な手段に出られましたw
さて、上の諸々のオタクに貼りつけられた不名誉なレッテルですが、これらは全て、どう考えても一般的な男性に共有されているごく普通の心理を殊更オタクの特徴であるかのように、(明らかな悪意を持って)ミスリードさせて成立させたものであることに気がつきます。
オタクへの「ミソジニー認定」は、昨今のネットで女性に対する批判が多くなされていること以外に、どうしてもその根拠を思いつくことができません(それら批判の中には正当性のあるものも充分にあるとぼくは考えますが、ここではその是非は問いません)。もし彼らが「ネットユーザー=オタク」という、今時白寿を迎えた老人でもしなさそうな短絡をしているとするならば、それはもう、バカにされても仕方がないでしょう。
今回の平野綾事件についても、(すみません、興味がないので調べてないのですが)恐らくは痛いファンがバカな振る舞いをしたことがきっかけで上の発言になったのでしょうが、そんなことは恐らく、70年代の(アイドルがまだオタク向けのものではなく、国民全体のものであった頃の)アイドルの時代からあったことなのではないでしょうか。
むろん行き過ぎた行動に出たファンは諫められて当然ですが、ひろゆきさんの指摘通り、処女を好む心理そのものは(是非は置くとして)男性共通のものであり、どう考えてもオタクを槍玉に挙げる根拠が薄弱であるとしか言いようがないのです。
さて、では何故オタクたちは殊更に叩かれてしまうのか。
拙著にも(山崎浩一さんのコラムから引用して)書きましたが、アメリカではデブで貧乏な白人男性、「プア・ファット・ホワイトマン」が「差別の許された、最後の聖域」になっているのだそうです。「白人男性」という一種タテマエ上の「強者」の中から体型や貧富によって実質的には「弱者」である者を選び出し、そいつを嬲りものにするという、どう見てもどう考えてもどう言い訳をしようとも卑劣としか言いようのない行いであり、日本で言えばオタク叩きがそれにあたるのだと、ぼくは考えます。
日本ではオタクが「差別の許された、最後の聖域」になっているわけなのですね。
フェミニストたちは昨今のネットでの「女性叩き」を「窮地に立たされた男性が、弱い者へと暴力を振るうことで憂さを晴らしているだけだ」と主張していますが、こうしてみると「オタク叩き」こそが窮地に立たされた女性(や、それを救うナイトを気取ろうとする男性)が、弱い者へと暴力を振るうことで憂さを晴らしているだけなのだということは、もはや否定できないでしょう。
周知の通り、センセイもまたコアなエロゲオタでいらっしゃいます。
そのため、センセイに親近感を抱くオタもまた、少なくはありません。
では何故、こうまでセンセイはオタを無実の罪に陥れようとするのか、不思議に思われる方もいるかも知れません。
しかしセンセイの代表作『動物化するポストモダン』を開いてみると、オタクはキャラに萌えているだけで物語の世界観に拘泥などしていないのだ、などとオタクがひっくり返るようなことが書かれています。先生も大好きな『エヴァ』において、死海文書の謎とかにファンが拘泥してたような気がしたのはみんな幻だったのでしょうか。物語の謎が解かれないまま、(しかしキャラにだけは救済が与えられるというケリをつけて)テレビ版の放映が終了した時、ファンが怒り狂っていたのはみな夢だったのでしょうか。
つまり、センセイは自分の帰依してる「ポストモダンの神様」が「物語は失われた」とお告げをおっしゃったのでそれを反芻しているだけで、神様のお告げと現実が一致しているかいないかなどは、どうでもいいのですね。
それと同じに、神様をお守りするためにであれば、男性の中の一番の弱者であるオタクに罪を着せることなど、センセイにとっては何でもないことなのです。
また同時に、センセイの中に抑え難いオタクへのヘイト感情が渦巻いていることも、想像できます。オタクの自らの同胞に対する同族嫌悪の感情は、ここでは詳述しませんが筆舌に尽くし難い強烈なものであり、(昨今の若いオタクはもう少し淡泊なのですが)センセイのような古いタイプのオタクにはことにそれが顕著なのです。しかしそれすらもまた、元を辿れば上に書いた「男性の中の弱者である自分」に対する嫌悪、憎悪が根源となっていることは言うまでもありません。
センセイや、彼に唱和する男性方の「オタク叩き」はみな、自分だけが助かるためのスケープゴートの製造法に他ならないのだ、ということです。
* * *
――以上です。
今から見るとある意味、オーソドックスな主張ですが、それはぼくの主張がようやっと認められつつあるということの証左でもあるのですね。
次回はさらに東浩紀師匠が『クイックジャパン』でおっしゃっていた、愉快な妄言についてご紹介しましょう。
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