>>7 >実際、「こいつフェミを知らないからこんな風にかばうんだろ」と思ってたら、ぼくなんかよりもずっと詳しい、なんてことも大変よくあります。 リベラル寄りの論客の場合、立ち回りの問題もあるかもしれませんね。 建前上男女平等を掲げているフェミニズムを批判するのは難しいですから。 しかしそれ以上に彼らはおそらく「加害者としての男性」たる自分に罪悪感を持っていて、 だから多少理不尽なフェミの主張にも耐えねばならない、 と思っているようにも見えます。 「彼女達はここまで言わなくてはならないほど、酷い目にあってきたのだ」 と自分に言い聞かせているのかもしれません。 その罪に自覚的である自分は、進歩した男性であるという誇りを持っている人もいそうです。 フェミ側はそんな評価はしてくれないのではないかと思うのですが。 >そこをある程度認めて「ラスボスたる強者男性をやっつけよう」と手を差し伸べてくるのであればある程度は納得ができますが、 弱者男性に共闘を呼びかけるフェミニストなど見たことがありませんね。 もし本当に「ホモソーシャル社会」の打倒を考えているのなら、 その中枢にいる強者男性こそがまず批判対象となるはずですが、 実際に聞くのは、「フェミ批判は既得権を奪われた弱者の叫び」といった嘲笑のみ。 私が始めてフェミ批判を読んだのは竹田青嗣や西研の文章なのですが、 彼らは「弱者」「ネトウヨ」でしょうか? 竹田青嗣にいたっては本人が在日なのに。 弱者男性の側からも、「何故フェミは強者を叩かないのか。敵を間違えている」 という声を聞くことはあります。 しかし、彼女達は何も間違えてはいないのだと思います。 これは仮説なのですが、フェミニストは「男性社会の支配構造」を本当は必要としているのではないでしょうか。 「我々はホモソーシャル社会に抑圧を受けている」という建前があってこそ、 それを是正すると称して、種々の女性優遇策を推進することができるのですから。 ラスボスたる男性社会を倒してしまったら、フェミ勇者には仕事がなくなってしまいます。 だからあくまで男性には、加害者らしい顔をしてもらわなくてはならない。 弱者男性は加害者役割から降り、弱者席に割り込もうとする許し難い存在というわけです。 その意味では、実はフェミニズムこそ最もジェンダーフリーを認めていないとも言えます。 加害者という「性役割」から男性が降りることをフェミが許すはずはないからです。 そんなことを認めたら、実は自分たちが被害者ではないかもしれない、 場合によっては加害者ですらあるかもしれない、という フェミにとって最も「不都合な真実」が明らかになってしまいますから。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:745646)
>>7
>実際、「こいつフェミを知らないからこんな風にかばうんだろ」と思ってたら、ぼくなんかよりもずっと詳しい、なんてことも大変よくあります。
リベラル寄りの論客の場合、立ち回りの問題もあるかもしれませんね。
建前上男女平等を掲げているフェミニズムを批判するのは難しいですから。
しかしそれ以上に彼らはおそらく「加害者としての男性」たる自分に罪悪感を持っていて、
だから多少理不尽なフェミの主張にも耐えねばならない、
と思っているようにも見えます。
「彼女達はここまで言わなくてはならないほど、酷い目にあってきたのだ」
と自分に言い聞かせているのかもしれません。
その罪に自覚的である自分は、進歩した男性であるという誇りを持っている人もいそうです。
フェミ側はそんな評価はしてくれないのではないかと思うのですが。
>そこをある程度認めて「ラスボスたる強者男性をやっつけよう」と手を差し伸べてくるのであればある程度は納得ができますが、
弱者男性に共闘を呼びかけるフェミニストなど見たことがありませんね。
もし本当に「ホモソーシャル社会」の打倒を考えているのなら、
その中枢にいる強者男性こそがまず批判対象となるはずですが、
実際に聞くのは、「フェミ批判は既得権を奪われた弱者の叫び」といった嘲笑のみ。
私が始めてフェミ批判を読んだのは竹田青嗣や西研の文章なのですが、
彼らは「弱者」「ネトウヨ」でしょうか?
竹田青嗣にいたっては本人が在日なのに。
弱者男性の側からも、「何故フェミは強者を叩かないのか。敵を間違えている」
という声を聞くことはあります。
しかし、彼女達は何も間違えてはいないのだと思います。
これは仮説なのですが、フェミニストは「男性社会の支配構造」を本当は必要としているのではないでしょうか。
「我々はホモソーシャル社会に抑圧を受けている」という建前があってこそ、
それを是正すると称して、種々の女性優遇策を推進することができるのですから。
ラスボスたる男性社会を倒してしまったら、フェミ勇者には仕事がなくなってしまいます。
だからあくまで男性には、加害者らしい顔をしてもらわなくてはならない。
弱者男性は加害者役割から降り、弱者席に割り込もうとする許し難い存在というわけです。
その意味では、実はフェミニズムこそ最もジェンダーフリーを認めていないとも言えます。
加害者という「性役割」から男性が降りることをフェミが許すはずはないからです。
そんなことを認めたら、実は自分たちが被害者ではないかもしれない、
場合によっては加害者ですらあるかもしれない、という
フェミにとって最も「不都合な真実」が明らかになってしまいますから。