>むしろ兼松氏のせいで、男性問題が女性専用車問題の一点に集約されていくことに、評価はできません。 本当にそうです。 フェミニストというか、「反男性差別」論者は「男性差別論者のいう男性差別って女性専用車両とか、女性割引百円だとか、そんなのばかりだ」と言っており、これはまさにその通りです。 フェミニストに正鵠を得た論破をされるってのはもう、この宇宙の中で一番「頭が悪い」存在であるとしか、言いようがありません。 ただし、彼がある程度の支持を得たことも鑑み、敢えて彼の弁護をするならば、「男は自分自身の内面に自覚的である能力に欠け、またその機会を奪われている。そこへ持ってきて、社会に流通する言葉は、女性の内面を忖度するものばかり。そこで、それでも『何か、ずるい!』との内から湧き上がる声を表に出そうとして、ようやく出てきたのがああした稚拙なものであったのだろう」ということです。 ひるがえって女性が不遇感を覚えた時、世に無限に出ているフェミ本に、既存の言葉が並べられているのだから、こんな楽なことはありません。この世は徹底的な、そうした「内面格差」があるのです。 >というのも、兼松氏のごとき「鬼っ子」が現れるのは、兵頭先生をはじめとした、アンチフェミの物書きの言論が、これまでにフェミニストの討伐や、男性国民の権利獲得~向上に対し、徹底的に無力であったからでしょう。 ここは、現実の認識として、全く正しいと思います。 しかし、以下はどうでしょう。 >物書きだって、祈ってるだけではプロ失格、原稿料を貰っているだけではニセモノ、だと思います。 「祈る」は置くとしても、ここは二重の意味で間違っています。 まず、ぼくはこの数年、この名前では原稿料をもらっていませんw そして、(ぼくはカネにもならない原稿をこうして書き続けているのですが)仮に原稿料をもらっているとしたら、それは「原稿を書いた」からです。 物書きの仕事は文章を書くことであり、それ以上に、何を期待するのでしょうか。 ドクさべのような愚かなパフォーマンスはまさに、逆効果でしょう。 おっしゃっている意図を考えるに、第一の可能性として、ぼくが「原稿料をもらっていない」という現実を鑑み、「もっとカネになる仕事をしろ」と言わんとしている、との推察も成り立ちます。しかしそもそも、要するに、「このテーマはカネにならない」のです。『女災』はそれを「実証」したとも、「前例」を作ったとも言えます。両者は似たようなものですが、「前例」というのは「ホントは売れる可能性があるけど、出版社にいるハンコ捺しおじさんの決断を鈍らせた」というようなニュアンスが含まれており、やや違います。 この出版不況の昨今、本を一冊出すのにどれだけのハードルがあるか、恐らくそれはあなたの想像の百倍のものであり、この「前例」を作ったことは徹底的にまずいんですね。 ぼくの本を「買わなかった者」は、この種の本は「出さなくていいよ」という選択をしたわけであり、この「前例」を作ったのは「買わなかった者」なのです。 実際、ネットでくだを巻いている連中の99.99%までは本など読みませんしね。 第二に、恐らくおっしゃることを鑑みるにこちらこそが本意なのでしょうが、「兵頭の文章そのものに不満がある」ということこそ、おっしゃりたいことなのかもしれません。 しかしあなたは現段階で、「兵頭の論理はどこがまずいのか」をおっしゃってはいない。 「実効性がないからダメなのだ」というだけではちょっと、困ります。 (まあ、ぼくの頭が抽象的にできているからなのですが、ぼくは「男性を啓発し、自らの被害者性に自覚的になるよう促すこと」で、実効性が生じるものと思っています) ぼくの言論が間違っているという場合は、やはりそこを指摘していただかなくては。 ぼくは今までずっと、山の頂上で一人、絶唱し続けて来ました。 「批判」の言葉は聞いたことがありません。 恐らく、声がまだ届いていないのでしょうが……。
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
>むしろ兼松氏のせいで、男性問題が女性専用車問題の一点に集約されていくことに、評価はできません。
本当にそうです。
フェミニストというか、「反男性差別」論者は「男性差別論者のいう男性差別って女性専用車両とか、女性割引百円だとか、そんなのばかりだ」と言っており、これはまさにその通りです。
フェミニストに正鵠を得た論破をされるってのはもう、この宇宙の中で一番「頭が悪い」存在であるとしか、言いようがありません。
ただし、彼がある程度の支持を得たことも鑑み、敢えて彼の弁護をするならば、「男は自分自身の内面に自覚的である能力に欠け、またその機会を奪われている。そこへ持ってきて、社会に流通する言葉は、女性の内面を忖度するものばかり。そこで、それでも『何か、ずるい!』との内から湧き上がる声を表に出そうとして、ようやく出てきたのがああした稚拙なものであったのだろう」ということです。
ひるがえって女性が不遇感を覚えた時、世に無限に出ているフェミ本に、既存の言葉が並べられているのだから、こんな楽なことはありません。この世は徹底的な、そうした「内面格差」があるのです。
>というのも、兼松氏のごとき「鬼っ子」が現れるのは、兵頭先生をはじめとした、アンチフェミの物書きの言論が、これまでにフェミニストの討伐や、男性国民の権利獲得~向上に対し、徹底的に無力であったからでしょう。
ここは、現実の認識として、全く正しいと思います。
しかし、以下はどうでしょう。
>物書きだって、祈ってるだけではプロ失格、原稿料を貰っているだけではニセモノ、だと思います。
「祈る」は置くとしても、ここは二重の意味で間違っています。
まず、ぼくはこの数年、この名前では原稿料をもらっていませんw
そして、(ぼくはカネにもならない原稿をこうして書き続けているのですが)仮に原稿料をもらっているとしたら、それは「原稿を書いた」からです。
物書きの仕事は文章を書くことであり、それ以上に、何を期待するのでしょうか。
ドクさべのような愚かなパフォーマンスはまさに、逆効果でしょう。
おっしゃっている意図を考えるに、第一の可能性として、ぼくが「原稿料をもらっていない」という現実を鑑み、「もっとカネになる仕事をしろ」と言わんとしている、との推察も成り立ちます。しかしそもそも、要するに、「このテーマはカネにならない」のです。『女災』はそれを「実証」したとも、「前例」を作ったとも言えます。両者は似たようなものですが、「前例」というのは「ホントは売れる可能性があるけど、出版社にいるハンコ捺しおじさんの決断を鈍らせた」というようなニュアンスが含まれており、やや違います。
この出版不況の昨今、本を一冊出すのにどれだけのハードルがあるか、恐らくそれはあなたの想像の百倍のものであり、この「前例」を作ったことは徹底的にまずいんですね。
ぼくの本を「買わなかった者」は、この種の本は「出さなくていいよ」という選択をしたわけであり、この「前例」を作ったのは「買わなかった者」なのです。
実際、ネットでくだを巻いている連中の99.99%までは本など読みませんしね。
第二に、恐らくおっしゃることを鑑みるにこちらこそが本意なのでしょうが、「兵頭の文章そのものに不満がある」ということこそ、おっしゃりたいことなのかもしれません。
しかしあなたは現段階で、「兵頭の論理はどこがまずいのか」をおっしゃってはいない。
「実効性がないからダメなのだ」というだけではちょっと、困ります。
(まあ、ぼくの頭が抽象的にできているからなのですが、ぼくは「男性を啓発し、自らの被害者性に自覚的になるよう促すこと」で、実効性が生じるものと思っています)
ぼくの言論が間違っているという場合は、やはりそこを指摘していただかなくては。
ぼくは今までずっと、山の頂上で一人、絶唱し続けて来ました。
「批判」の言葉は聞いたことがありません。
恐らく、声がまだ届いていないのでしょうが……。