初めまして、今回始めてコメントさせて頂きます。 私は『ぼくたちの女災社会』を読んでから、兵頭さんのブログも全て読破し、今ではすっかり兵頭さんのファンになりました。 今回の記事は一段と素晴らしく、私も『ネットハイ』を今すぐプレイしたくなりました。 マイノリティバリアを持つことが出来ないオタク男性は家父長的な強い男になることを強制され、『女性差別反対』とフェミニストを中心に怒られながら、実生活ではまだまだ『男のくせに』と家父長的な振る舞いを求められています。好きで男に生まれた訳ではないのに『男』を無理矢理引き受けさせられ、責任だけは取らされるような、割に合わなさを感じています。オタク男性は男性としての特権を享受していると、フェミ二ストに批判されながらも、実際には特権など得られたこともなく、ただ普通に生活している人に過ぎません。「差別に気づこうとしない女性差別主義者‼︎」と批判されるかもしれませんが、そんな風に批判されたところで、実際に差別していない男性と、実際は差別している男性を、正しく区別できるはずもなく、フェミ二ストの叫びは一方的な男性全体への批判として世間に広く伝わってしまいました。その声は差別をしていない男性にとっては「どうして差別もしていないし、差別する男性を批判している僕たちまで、彼らの仲間であるかのように十把一絡げに批判されるの?」という不満だけを与えてしまっていると思います。 男であるということだけで非正規だろうが、ホームレスであろうが、マジョリティであると認識され、様々な支援や援助や同情の手からこぼれ、自己責任であると罵倒されるのが現状の日本です。男性を罵るフェミニズムの言葉に「私はあんたらのママじゃない‼︎」というのがあります。男性も女性と平等に扱われるべきだという男性差別問題に対して、フェミニズム側が突きつける言葉です。フェミニズムにとっては、自分たちのことは自分たちであり、自分たちは女性でマイノリティだから男性を助ける義務はないという意味の、拒絶の言葉です。 こういった現状から明らかなようにフェミニズムが女性の独立独歩を勧める気がないのは自明の理です。要するに女性に関しては国や行政から支援されて当然という立場なのです。フェミニストたちは男性のママではないけれども、フェミニスト自身は、自分たちを助けてくれるパパを求めているのです。ここで言う「パパ」とは、強力な権力による支援をしてくれる存在です。支援というのは、公的支援だけではなく、個人や企業による支援もです。大学や企業などに女性を優先的に入れる「アファーマティブアクション」なども、パパの支援の元に行われていると言えるでしょう。つまり、そのパパ役を演じようとしないオタクはフェミニズムにとっては敵でしかありません。だから、彼女らはオタク男性を叩くのでしょうね。 その証拠にマイノリティへの支援が進む一方で、弱い立場のマジョリティも存在するという社会構造の問題点をオタク男性が指摘したときに、フェミニズムは「オタクの性欲が云々」とまなざし村的言説を駆使して、オタクを加害者にしようと躍起になります。 フェミニストたちは『男性=加害者、女性=被害者』といった宗教的なドグマ概念を全面的に押し出すことでオタク差別を正当化しているように感じられます。 上記のような理由から「非モテ男の不幸を女のせいにしないで。悪いのは権力をもった男や社会よ」 といった反論に意味はないと感じるようになりました。というか、そもそも権力のある男だけを批判すればオタク(非モテ)差別がなくなるかどうかは甚だ疑問です。 例えば、女性差別も男性差別も男のせいだとして、男を批判したとしましょう。するとどういう社会になるでしょう? 女性差別において批判されるのは男と男社会。 男性差別において批判されるのも男と男社会。 要は常に批判対象の悪者は男性にされ、女性は批判されないフェミニズムにとって都合のいい社会になるだけです。そのような男性差別社会では男性の中でも立場が弱いオタクは間違いなくフェミニズムにとって都合のいいサンドバッグにされてしまいます。今まさに我々オタクたちはフェミ社会のスケープゴートにされている真っ只中なのではないでしょうか? 上記の理由から「男性差別はあるよ、悪いのは男と男社会さ」と言うメンズリブ(男性学)に対して私は不信感を抱かずにはいられません。その証拠に彼らは痴漢冤罪やDV冤罪なんて全然主張しない。フェミニズムにとって都合の悪いことも何も言いません。女性の加害性は全く主張しないのです。 はっきり申し上げますと、フェミニズムとオタクは相反する水と油のような関係です。 まつもむし師匠が「左派は女性に優しく男性に厳しい、右派は女性に厳しく男性にもっと厳しい」と仰っていました。 確かに保守派は性表現全般の規制というイメージが強いです。国会で規制を進めているのは全面的に右派であり、新聞でも産経なんかは規制論が多い。おそらく保守的な価値観を嫌うオタクが多い理由として考えられるのは、権威に服従することを好み、型にはまった性的関係を強要し、男性に対してはマッチョイズムを要求する点でしょう。未だに保守的な価値観の強い田舎では、オタクは今でも迫害される傾向がありますしね。オタク文化が保守的な価値観と相性が悪いために左派にすがりつくオタクが多いのも理解はできます。 でも、私は左派だろうが右派だろうがマイノリティバリアを持つことができないオタク男性に対してはメチャクチャ厳しいと感じます。右派ももちろんのこと、私は左派に対しても不信感を募らせています。 フェミニストは女性(と自分らの理論で利用してるLGBT)以外のマイノリティに実際は共感意識はありません。何故なら、フェミニズムは平等主義者ではなく、女性(自己)利益主義(右派の考えに属する)だからです。それなのにも関わらず、左派寄りでフェミを批判する人を私は見たことがありません。フェミニズムの正体がリベラルではないことが最近海外ではバレつつあるにも関わらず、日本の自称リベラルが相変わらずフェミニズムに媚びているところを見ると、我が国にはリベラルなんて最初から存在しなかったのではないかと思わずにはいられません。 特に兵頭さんが前に批判していた表現の自由クラスタなんかまさにそれの典型例です。その中でも幅をきかせている皆藤禎夫はホントに酷い。 そもそもフェミ二ストが自分たち自ら「萌え絵が気持ち悪い理由はオタクの性的眼差しが気持ち悪いから」とはっきり言ってるのにも関わらず、皆藤禎夫が現実恋愛至上主義ガー云々と的はずれな反論をしているところを見ると思わず笑いこけてしまいます。何故なら、フェミ二ストはオタクが女に発情するメカニズム自体を批判しているわけで二次元だろうが三次元だろうが関係ないのだから。 「萌え絵が溢れた社会でフェミのパパになろうとしないオタクが生きていること」が気に入らないフェミ二ストに対して、オタクが萌文法の正当性を訴えたところで火に油を注ぐだけです(皆藤禎夫はオタク文化を全焼したいのかも……)。 どうして、あそこまでオタクをT4作戦したくてたまらないフェミニズムを擁護する自称オタクが存在するのか本当に理解に苦しみます。 ですが、オタク文化を守るためにフェミニズムを論理的に批判できる兵頭さんのような論者がいるだけでもまだ救いはあるのかもしれません。 これからも兵頭新児師匠を応援していきたいと思います‼︎ 長文失礼しました。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:63064431)
初めまして、今回始めてコメントさせて頂きます。
私は『ぼくたちの女災社会』を読んでから、兵頭さんのブログも全て読破し、今ではすっかり兵頭さんのファンになりました。
今回の記事は一段と素晴らしく、私も『ネットハイ』を今すぐプレイしたくなりました。
マイノリティバリアを持つことが出来ないオタク男性は家父長的な強い男になることを強制され、『女性差別反対』とフェミニストを中心に怒られながら、実生活ではまだまだ『男のくせに』と家父長的な振る舞いを求められています。好きで男に生まれた訳ではないのに『男』を無理矢理引き受けさせられ、責任だけは取らされるような、割に合わなさを感じています。オタク男性は男性としての特権を享受していると、フェミ二ストに批判されながらも、実際には特権など得られたこともなく、ただ普通に生活している人に過ぎません。「差別に気づこうとしない女性差別主義者‼︎」と批判されるかもしれませんが、そんな風に批判されたところで、実際に差別していない男性と、実際は差別している男性を、正しく区別できるはずもなく、フェミ二ストの叫びは一方的な男性全体への批判として世間に広く伝わってしまいました。その声は差別をしていない男性にとっては「どうして差別もしていないし、差別する男性を批判している僕たちまで、彼らの仲間であるかのように十把一絡げに批判されるの?」という不満だけを与えてしまっていると思います。
男であるということだけで非正規だろうが、ホームレスであろうが、マジョリティであると認識され、様々な支援や援助や同情の手からこぼれ、自己責任であると罵倒されるのが現状の日本です。男性を罵るフェミニズムの言葉に「私はあんたらのママじゃない‼︎」というのがあります。男性も女性と平等に扱われるべきだという男性差別問題に対して、フェミニズム側が突きつける言葉です。フェミニズムにとっては、自分たちのことは自分たちであり、自分たちは女性でマイノリティだから男性を助ける義務はないという意味の、拒絶の言葉です。
こういった現状から明らかなようにフェミニズムが女性の独立独歩を勧める気がないのは自明の理です。要するに女性に関しては国や行政から支援されて当然という立場なのです。フェミニストたちは男性のママではないけれども、フェミニスト自身は、自分たちを助けてくれるパパを求めているのです。ここで言う「パパ」とは、強力な権力による支援をしてくれる存在です。支援というのは、公的支援だけではなく、個人や企業による支援もです。大学や企業などに女性を優先的に入れる「アファーマティブアクション」なども、パパの支援の元に行われていると言えるでしょう。つまり、そのパパ役を演じようとしないオタクはフェミニズムにとっては敵でしかありません。だから、彼女らはオタク男性を叩くのでしょうね。
その証拠にマイノリティへの支援が進む一方で、弱い立場のマジョリティも存在するという社会構造の問題点をオタク男性が指摘したときに、フェミニズムは「オタクの性欲が云々」とまなざし村的言説を駆使して、オタクを加害者にしようと躍起になります。
フェミニストたちは『男性=加害者、女性=被害者』といった宗教的なドグマ概念を全面的に押し出すことでオタク差別を正当化しているように感じられます。
上記のような理由から「非モテ男の不幸を女のせいにしないで。悪いのは権力をもった男や社会よ」 といった反論に意味はないと感じるようになりました。というか、そもそも権力のある男だけを批判すればオタク(非モテ)差別がなくなるかどうかは甚だ疑問です。
例えば、女性差別も男性差別も男のせいだとして、男を批判したとしましょう。するとどういう社会になるでしょう?
女性差別において批判されるのは男と男社会。
男性差別において批判されるのも男と男社会。
要は常に批判対象の悪者は男性にされ、女性は批判されないフェミニズムにとって都合のいい社会になるだけです。そのような男性差別社会では男性の中でも立場が弱いオタクは間違いなくフェミニズムにとって都合のいいサンドバッグにされてしまいます。今まさに我々オタクたちはフェミ社会のスケープゴートにされている真っ只中なのではないでしょうか?
上記の理由から「男性差別はあるよ、悪いのは男と男社会さ」と言うメンズリブ(男性学)に対して私は不信感を抱かずにはいられません。その証拠に彼らは痴漢冤罪やDV冤罪なんて全然主張しない。フェミニズムにとって都合の悪いことも何も言いません。女性の加害性は全く主張しないのです。
はっきり申し上げますと、フェミニズムとオタクは相反する水と油のような関係です。
まつもむし師匠が「左派は女性に優しく男性に厳しい、右派は女性に厳しく男性にもっと厳しい」と仰っていました。
確かに保守派は性表現全般の規制というイメージが強いです。国会で規制を進めているのは全面的に右派であり、新聞でも産経なんかは規制論が多い。おそらく保守的な価値観を嫌うオタクが多い理由として考えられるのは、権威に服従することを好み、型にはまった性的関係を強要し、男性に対してはマッチョイズムを要求する点でしょう。未だに保守的な価値観の強い田舎では、オタクは今でも迫害される傾向がありますしね。オタク文化が保守的な価値観と相性が悪いために左派にすがりつくオタクが多いのも理解はできます。
でも、私は左派だろうが右派だろうがマイノリティバリアを持つことができないオタク男性に対してはメチャクチャ厳しいと感じます。右派ももちろんのこと、私は左派に対しても不信感を募らせています。
フェミニストは女性(と自分らの理論で利用してるLGBT)以外のマイノリティに実際は共感意識はありません。何故なら、フェミニズムは平等主義者ではなく、女性(自己)利益主義(右派の考えに属する)だからです。それなのにも関わらず、左派寄りでフェミを批判する人を私は見たことがありません。フェミニズムの正体がリベラルではないことが最近海外ではバレつつあるにも関わらず、日本の自称リベラルが相変わらずフェミニズムに媚びているところを見ると、我が国にはリベラルなんて最初から存在しなかったのではないかと思わずにはいられません。
特に兵頭さんが前に批判していた表現の自由クラスタなんかまさにそれの典型例です。その中でも幅をきかせている皆藤禎夫はホントに酷い。
そもそもフェミ二ストが自分たち自ら「萌え絵が気持ち悪い理由はオタクの性的眼差しが気持ち悪いから」とはっきり言ってるのにも関わらず、皆藤禎夫が現実恋愛至上主義ガー云々と的はずれな反論をしているところを見ると思わず笑いこけてしまいます。何故なら、フェミ二ストはオタクが女に発情するメカニズム自体を批判しているわけで二次元だろうが三次元だろうが関係ないのだから。
「萌え絵が溢れた社会でフェミのパパになろうとしないオタクが生きていること」が気に入らないフェミ二ストに対して、オタクが萌文法の正当性を訴えたところで火に油を注ぐだけです(皆藤禎夫はオタク文化を全焼したいのかも……)。
どうして、あそこまでオタクをT4作戦したくてたまらないフェミニズムを擁護する自称オタクが存在するのか本当に理解に苦しみます。
ですが、オタク文化を守るためにフェミニズムを論理的に批判できる兵頭さんのような論者がいるだけでもまだ救いはあるのかもしれません。
これからも兵頭新児師匠を応援していきたいと思います‼︎
長文失礼しました。