●自民党の成年年齢に関する特命委員会は高校生や大学生を党本部に招き、飲酒年齢の引き下げについて意見を聴取したというニュースがありました。
参加者からは大学のコンパなどでは未成年者の飲酒は事実上行われているので引き下げすべきだとの意見や、医学的見地からは引き下げは良くないとの意見もあったということですが、この委員会はいったい何の目的があって若者を招集したのでしょうか。当事者である未成年に何を聞くことがあるのでしょう。彼らが言ったことに対し「はい、そうですね」と対応するつもりなのでしょうか。
未成年は判断能力が未熟であるから『未』成年なのであって、そのために大人がいろいろと決めているのではないでしょうか。百歩譲って、審議するために若者の意見を参考にしたくて聴いたのだとしても、それではどんな若者を選んで呼んだのでしょう。想像ですが、党本部に入れるのですから、真面目な青年だけを呼んだのではないかと思います。
もし本当に生の若者の意見を知りたいのな、いろんなタイプから聴取しなければならないと思います。頭を金髪に染めた若者やタトゥーを入れた若者、コンビニの入り口に座り込んでいる若者、成人式で大騒ぎしている若者も含まれないと、現代の若者たちの姿が見えないと思います。
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いつも楽しく拝見させていただいています。
そして「大放言」送って来ました。ありがとうございます。(でも待ちきれず自分で買って読んでしまいましたが)(笑)
おもしろくて内容が濃くすばらしかったです。
おもしろい本を見つけました。鳴霞「中国 驚愕の性奴隷」(鳴霞さんのゲスト出演がいつか実現すれば良いのですが)
すでに読んでいられたらゴメンなさいですが簡単な紹介をのせます。(wakaさんのレビューがすばらしかったので転載させていただきました)
まず著者の鳴霞氏は、中国では春秋時代から売春は国家産業だったと、数々の資料を挙げて「慰安婦の歴史」について述べている。また、中国人民解放軍が80万人の「慰安婦」「性奴隷」を持っていたことは、「筆者(鳴霞)が集めた資料だけでも分かることである」と述べている。
1976~2014年6月までの中共の経済基盤の25%を売春業の売り上げの税金が支えている。2000年の段階で、正式に登録されている売春婦は2500万人に達しており、すでに国家産業であると述べている。
中華民国時代には、売春業が合法産業だったので、全国的に強姦事件は少なかったが、1949年に毛沢東が「売春禁止令」を出してから、共産党幹部たちは職権を乱用して強姦するようになったという。
1952年に政府は、ウイグルにいる兵士のために、数千人の女性を送って無理やり嫁にした。「頑張っている兵士にはボーナスとして嫁をやる」という国は、世界中探しても中共だけだろう、と鳴霞氏は述べている。
1950年から始まった朝鮮戦争に送り込まれた250~280万人の共産党軍兵士は、「売春禁止」の反動もあってか、朝鮮人女性数万人を強姦凌辱した。強姦され妊娠出産した朝鮮女性たちが、赤ちゃんを背負って部隊に乗り込み、部隊長に賠償を請求する事件も頻発したという。中国政府は日本政府に「20万人の中国人女性が日本軍に強制的に『性奴隷』にされた」と主張しているが、鳴霞氏は「それなら1人くらい中国人女性が日本政府に賠償を求めてもよかったはずだが、そんな話は一度もなかった」と皮肉っている。
また、満州における日本軍は女性に乱暴などしなかった、と鳴霞氏の祖母や当時を知る老人らは言っている。終戦直前に参戦したソ連軍の兵士は、日本人・朝鮮人・中国人の区別なく強姦し、強姦された女性は合計20万人いたと言われているが、中共政権指導者たちは、ソ連軍による強姦略奪などの不法行為については、一度も抗議していない。
中国では、1968~1979年まで、都市部の就職難を改善させる目的から、都市部の15~25歳の若者を農村に「下放」するという政策がとられ、下放された青年男女は2000万人に及ぶという。1968年には、大学入試や雇用は行われなかった。1966年に始まった文化大革命により、1966年8月から全国の学校は閉鎖され、1972年頃まで大学が閉鎖され、多くの青少年が教育の機会を失った。現在の40~65歳の中国人は、まともな学校教育を受けていないという。習近平は13歳の時に少年刑務所に入れられ、15歳の時に下放されたため、中学と高校の教育を受けていないという。
下放された若者たち(知識青年)は、タイムスリップしたような農村の苦しい生活の中で、女性は慰安婦にされ、男性は重労働の奴隷にされた。彼らの多くは栄養失調であり、重労働に耐えられず、香港やミャンマーに逃亡した者もいた。病死や事故死するものも少なくなかった。
ある女性は部隊長のセクハラを拒絶したために、炎天下での重労働を命じられ、倒れてしまい、ついに部隊長の毒牙にかかることを選んだ。また大学推薦や早く帰らせてもらうための「推薦状」をもらうために、幹部たちの慰み者に進んでなる女性も少なくなかった。下放された村の推薦を受けられなかったら、どんな天才でも学校には入れなかったという。知識青年らは、早く都会に帰ることができるように幹部たちにプレゼントをし、プレゼントする物がない女性は、肉体を差し出して賄賂にした。また、共産党員となり都市に帰ることができた女性知識青年は、ほぼ100%「慰安婦」だったという。
鳴霞氏は1975年、17歳の時、下放されたが、指導者が立派だったので、不幸な事件はほとんどなかったが、それは非常に珍しいことだったという。
2000万人の知識青年のうち、農村から都市部に戻った者は1800万人しかいなかった。1000万人の女性のうち、強姦被害者は数百万人(800万人との説が有力)いると言われ、80万人が「慰安婦」「性奴隷」だったという。下放された女性の少なくとも60%は強姦されていたので、必ず結婚相手から「下放されたか?」と確認されたという。結婚後に強姦されたことが分かって、離婚になったケースもある。
1978年以降、中国は遅れていた経済発展に力を入れ、GDPは飛躍的に向上したが、貧富の差が拡大し、都市と農村の経済格差も深刻な問題になっている。
鳴霞氏が1975年から5年間下放された農村の女性たちは、世界で最も悲惨な生活をしているのではないかと思ったという。その地方の70~80歳の老女には名前がない。婚家の姓で呼ばれるのみである。
農村部では識字教育を受けている女性は約20%にすぎず、70%以上は字が読めず、自分の名前も書けない。ほとんどの女性は1日も学校に通ったことがない。中国全土を見ても、13億の人口のうち非識字者が約2億人ほどで、そのうち女性の非識字者は45%以上占めているという。
経済政策の遅れた内部では、電気、水道、ガスもない。学校に通学できるような家庭環境にはないのである。
風呂を見たこともないという80歳くらいの老婆もいて、不衛生な生活をしている農村の貧民たちは、皮膚病や膀胱炎、尿道炎、子宮炎症などの病気が多い。無教養な女性たちは計画出産を行わずに、妊娠すると出産し、男子の誕生まで何人も生む。赤子が女の子だと、窒息死させ、山奥に死体を遺棄するという。
封建的夫権思想が根強く残る中国人社会では、夫が妻に対していかなる暴力、性的虐待を加えても、誰も犯罪行為とはみなさない。それどころか、夫に服従しない妻を非難するという。農村ほど、男尊女卑が色濃く残っている。
夫が逮捕されてから10カ月後に女児を出産した女性は、夫の母親から娘共々追い出され、物乞い生活を送っていた。その母娘に周囲の人々は冷淡で、犯罪者の妻とののしる者もいれば、ふしだらな女だと中傷する人、早く死ねと罵倒する人もいた。中国の社会福祉が進展していかないのは、古い封建的な考え方がいまだ根強く人々の中に生きているからではないかと、鳴霞氏は述べている。
一人っ子政策を実施している中国では、2人目の子を妊娠すると必ず人口流産をしなければならない。しかし、毛沢東の時代より性教育の立ち遅れている中国では、親が性の知識を正しく教えることが出来ず、性知識に乏しい少女が妊娠して、肉体も精神も傷つけるケースが多いという。
拝金主義が蔓延し続ける今の中国は、金儲け第一主義である。貧困な農村から都市部に職探しにきた女性の多くが体を売って金を稼ぐ道を選んだ。そして、そういった女性を狙って人身売買する人も増えてきた。中には村ぐるみで農民全員が人身売買に身を落とした例もあるという。
人身売買は赤ん坊にまで広がり、医者が数人の新生児を重病だと言って両親にあきらめさせ、人身売買業者に売り飛ばしたり、両親がiphoneを買うために娘を売ったという話も報じられた。
子どもの誘拐も多く、毎年、何万人もの子供が誘拐されているという。6歳の息子を誘拐された母親が家族や家を犠牲にして17年かけて息子を見つけ出した時、大人になっていたわが子は、母親に背を向けたという話もある。