1995年は、日本にとって大きな転機となった年だ。
速水健朗さんが、webちくまで「1995年」をテーマにした同名タイトルの文章を書いていたのを見て、ぼくも以前から思っていたことを書いてみようと思った。
1995年は、まず戦後50年という節目の年であり、あるいは阪神淡路大震災とオウム真理教事件という、本当に大きなできごとのあった年として記憶されている。だから、それをもって「大きな転機だった」と感じている人も多いのだけれど、速水さんは、それとは違った角度から、この1995年の「転機性」について語っていた。実はぼくも、やっぱり違った角度から1995年は大きな転機だったと見ているので、今回はそのことについて書く。
速水健朗さんが、webちくまで「1995年」をテーマにした同名タイトルの文章を書いていたのを見て、ぼくも以前から思っていたことを書いてみようと思った。
1995年は、まず戦後50年という節目の年であり、あるいは阪神淡路大震災とオウム真理教事件という、本当に大きなできごとのあった年として記憶されている。だから、それをもって「大きな転機だった」と感じている人も多いのだけれど、速水さんは、それとは違った角度から、この1995年の「転機性」について語っていた。実はぼくも、やっぱり違った角度から1995年は大きな転機だったと見ているので、今回はそのことについて書く。
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
(ID:1168733)
枠組みを保持したまま中身だけを変えようとして、中にある資源を使い切ろうとしているということでしょうか。