人間はなぜ絵を描くか?
それは「所有欲」から来ている。
あるとき、美しい景色を見た人がいた。その人は、その景色にたいそう感動し、しばらく見入っていた。
その後、その人は重大なことに気づいた。それは、「その景色は移り変わってしまう」ということだ。
その人は、その景色を何とかとどめておきたいと思った。何らかの形で固着させ、何度となく愛玩したいと思った。自分の手のひらの中に、その景色を握りしめたいと思ったのである。
そんな「景色を我が手に」という「所有欲」から、絵を描くという行為は生まれたのだ。
だから、絵を描くという行為は、その原初において非常に穢れている。なぜなら、それは、景色という非常に大きなもの――この世界そのもの――を所有したいという、傲慢で不遜な欲求に端を発しているからだ。
ただし、面白いのは、そういう傲慢で不
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コメント
正直よくわかりませんでした。
僕は所有できる物もよく絵に描きます
美を再現できるだけの「理」を理解したい、手に入れたいという動機で描きます
そこでは出来るだけ単純に美を再現できる法則を求めます
また、描くという行為で畏れという感情を抱いた事はありません
「まだ足りない」と思う事が畏れに当たるのでしょうか
またの機会に掘り下げて具体的に書いていただけると嬉しいです
(著者)
>>1
畏れというのは、「おれは絵なんて描いてていいのだろうか?」と思うことで、これは芸術の真髄までリーチしないと味わえない感情なので、その意味ではまだまだ描き足りないのかもしれません。あるいは、美しいという思いが足りないということもあります。例えば美女を見て、「あまりに美しくて殺してしまいたい」と思うのが芸術の真髄です。
美を再現するだけの理を理解したいというのは、単なる技法的な問題で、芸術的な同期とは無関係です。
殺したいほど美しいと思う気持ちと、美をもっと表現できるようになりたいというのは、並行して持つべき感情です。車の両輪のようなものですね。
素晴らしい分析ですね!
日本だけなのかもしれませんが、
アニメ絵はすんなり受け入れられるのに
3DCGのリアルなものは人気があまり出ないことを
どう解釈すればいいかなぁと思っていたんですが
記事にヒントがあった気がします!