悪いのは、暴力を盲目的に否定することだ。
今回は、その理路について書く。
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コメント
(著者)
>>6
ぼくは、それはルール化してしまっては結局同じだと思います。
やり方を簡単にしてしまうと、そこで人の成長は止まるのです。
ケースバイケースでルール化されないからこそ、教師も頭を使って考えるようになるのです。
教師の裁量に任せないということは、彼らを信用していないということ。そして人は、自分は信用されていないのだなとすぐに分かりますし、一生懸命働かなくなります。たとえ難しいことでも、いや難しいことだからこそ、教師の裁量に任せた方が良いのです。
(著者)
>>7
生徒は学校の鏡で、仰るように生徒が荒れるのは学校が荒れているからなんですよね。だから、生徒を正すにはまず学校や教師を正すことから始めなければならないのだと思います。しかしながら、多くの学校や教師はそれをめんどくさがっているので、問題が解決しないのですね。
ぼくのブロマガの会員数が伸びないのは、おそらくつまらない読者なら読まないでほしい、会員にならないでほしいという気持ちが、ぼくの中にあるからだと思います。それがなくなればもっと会員数も伸びるのだと思いますが、それをなくす気持ちは、今のところないんです。
(著者)
>>8
日本人は、もしかしたら身近なことがグレーで曖昧なことばかりだから、大きなテーマとなると極端な物言いに走るのかもしれませんね。
(ID:26469277)
学校は勉学だけでなく社会生活を学ぶ場である。卒業して社会に出たら、学校生活以上に不条理で理不尽なことが蔓延する社会であり、それが本当の社会であり人間模様であることを先生は心と体で教える役目がある。「学校は動物園ではないし、電化製品の生産工場でもない」ということではないかと、読んでいて感じました。