2013/01/16(水) 06:00
14
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
2013/01/15(火) 06:00 就活で100パーセント勝てる方法(2,186字)
2013/01/17(木) 06:00 [連載第14回]「もしドラ」はなぜ売れたのか?「ベンチに座って考えた」(2,684字)
記事一覧
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。
1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。
学校は勉学だけでなく社会生活を学ぶ場である。卒業して社会に出たら、学校生活以上に不条理で理不尽なことが蔓延する社会であり、それが本当の社会であり人間模様であることを先生は心と体で教える役目がある。「学校は動物園ではないし、電化製品の生産工場でもない」ということではないかと、読んでいて感じました。
不条理なことには闘う権利があるという教育もあわせてなら体罰は賛成ですけど、 その権利を奪った状態での体罰は僕は反対です。 こういう事件は教員顧問の『思考停止』が一番の問題だと思いました。 他の子にも通用したからこの子にも通用するというのが発想が危ない。 ハックルさんのおっしゃるとおり 暴力を扱う体罰には知恵とスキルが必要とします。 体罰禁止じゃなくて『思考停止禁止』を条例に組み込むといいかもしれません。
きわめて全うな意見だと思いました。 そして、大島渚が日本から居なくなってしまったことを、、カミナリ親父がまた一人居なくなったか、、と悲しくなりました。 こんな話を大工さんから聞いたことがあります。古い時代の話です。 当時の棟梁の元にはでっち奉公?でっちとして中学を出ると次男三男は親元を離れて棟梁の家で住み込みで弟子入りして、そこで一人で生きていく強さと技術を学んで巣立っていくという時代があったようです。 大工さんは当時の棟梁の思い出しながらこう言います。 いい棟梁ってのは怒り上手なもんなんだよ。 大工なんてのは一歩間違えば落ちて大ケガ、死んじゃうよ。。 まだ、あどけなさを残す子どもに教えるには、いろんな子どもがいますよね。慎重なやつもいれば、おっちょこちょいなやつも。 なんどもげんこつもらったなぁと、言いながら大工さんは話の途中から棟梁と言わず親父と呼んでしゃべっていたのが印象的でした。 怒れる人ほど深い愛情がある気がします、、愛情のない体罰はやっぱ辛い。
怒っていることを伝えるのは簡単だが怒る技術を伝えるのは難しいということでしょうか。
体罰を加えられる規律違反を予め明らかにしておいて、その判断を校長・教頭なり、直面した教師以外の判断者に委ねるということにしたらいいのではないかと思います。 事前のルールなしに教育的な配慮で体罰を裁量に委ねるからおかしなことになる。(教師自身が完璧な存在というのはフィクションにすぎると思う。) 学内の暴力的な生徒を押さえるにはそうした意味での体罰ありという厳しいルールがあっていいと思う。特別な権力的な関係の中での刑罰として。
遅くにすみません。 ハックルさんが懸けてるように、ぼくも、自分の人生に懸けてるんです。つまり必死なんです。 コメントが面倒なときは流してください。気にならないんで。勝手に自分の棒ふってるだけだし。返事来たら嬉しいのは事実だけど。。 こんな相談を受けたことを思いだしました。 学校の先生をやっている。地元の女先生からの相談です。いや愚痴です。 先生はばかじゃないんです。いじめに気づいているんです。 僕に相談しました。 どうしたら、陰湿ないじめや暴力が(ヤンキーの)がなくなるかと、、。 ぼくは、荒っぽいとこの育ちなんでこうこやえました。 簡単だよ。ヤンキーが職員室のガラスを割るのはそこに割るべきガラスがあるから、陰湿ないじめは職員室での不正の気の流れが感受性のたかい子どもたちのっ気教室におちこんでいるから。 割られる前に先生たちが職員室で大激論して殴りあって割られる運命にあったガラス(ガラスはその生い立ちからして割られること宿命付けられているおもいます。)を先に割れ!子どもたちがいじめにかまけるまえに大人たちの毎朝の職員室でも紛争にむしろ心配させて、調停役の念をいだかせろ!と そんなこと、できるわけないでしょ!と機嫌悪く返事されたけど、、質問する覚悟がないなら、最初に、質問でなくてやさしく同情してといってくれ。。その気持ちも人としてわかるから。 嘘はよくないですなぁ。。 ハックルさんの話を友達にしました。 友達は女性です。友達はハックルさんて正直者なんだね。それにしても、会員が増えないって、、バックにいいプロヂューサーついてないの?それともハックルさんが拒絶してるのか?と話はつきません夜がありました。(笑)
バランスですね。すべてのことにいえますが。 みんな一面ですべてをきめたがる。理想を求めて妥協を考えない。 日本人は、リアルな付き合いや身近なものにはグレーなところやあいまいなところをもちつつ、 モラルや社会に関わるおおきなテーマには極端な理想を掲げ正義だとします。 他人事だからでしょうね。
>>1 学校っておそらくいろんな意味があるんですね。そしていろんな意味があるところがいいところ。それを一言で簡単に説明などできないのです。その代わり、長年の習慣でなんとなくそうなっている――ということがだいじなのだと思います。ところが、長年の習慣でそうなっていたことが20世紀に崩れてしまった。これは内田樹さんが言っていたことですが、今の教育の問題はそこにあるのだと思います。
>>3 ぼくは「戦う権利」にしてしまうと、それはもう不条理ではなくなってしまうのではなく反対です。 だから「逃げる権利」を与えるのがいい。先生は、生徒を袋小路に追い詰めてしまってはいけないと思います。 柿泥棒をしていた悪ガキをゲンコで殴ろうとしたら、走って逃げた。鈍くさくて捕まった子供だけ殴られた。そんなシーンを昔の映画などでよく見ますが、それくらいが良いバランスなのではないでしょうか。
>>4 昔の人は殴り方が上手かったんですね。それは殴っているうちにだんだん上手くなるものなんです。 殴り方の上手い親父は、ゲンコもビンタもお尻をひっぱたくのも、ガツーンとショックは与えるけど傷は残さないし恨みも残さない。ただ、畏れや恐怖心、痛さは与える。そういう殴り方の技術の伝承が途絶えてしまったことが、今の暴力問題がこじれている一因としてあると思います。
>>5 その通りですね。怒る技術というのは昭和のどこかでぷっつりと伝承されなくなってしまったのです。仰るように、あまりにも難しいので、後継者が育たなかったということもその一因だと思います。しかしながら、それを面倒くさがり図に真正面から取り組むことが、今こそ求められているのだと思います。
>>6 ぼくは、それはルール化してしまっては結局同じだと思います。 やり方を簡単にしてしまうと、そこで人の成長は止まるのです。 ケースバイケースでルール化されないからこそ、教師も頭を使って考えるようになるのです。 教師の裁量に任せないということは、彼らを信用していないということ。そして人は、自分は信用されていないのだなとすぐに分かりますし、一生懸命働かなくなります。たとえ難しいことでも、いや難しいことだからこそ、教師の裁量に任せた方が良いのです。
>>7 生徒は学校の鏡で、仰るように生徒が荒れるのは学校が荒れているからなんですよね。だから、生徒を正すにはまず学校や教師を正すことから始めなければならないのだと思います。しかしながら、多くの学校や教師はそれをめんどくさがっているので、問題が解決しないのですね。 ぼくのブロマガの会員数が伸びないのは、おそらくつまらない読者なら読まないでほしい、会員にならないでほしいという気持ちが、ぼくの中にあるからだと思います。それがなくなればもっと会員数も伸びるのだと思いますが、それをなくす気持ちは、今のところないんです。
>>8 日本人は、もしかしたら身近なことがグレーで曖昧なことばかりだから、大きなテーマとなると極端な物言いに走るのかもしれませんね。
ブロマガポータルTOP
コメント
コメントを書く(著者)
>>6
ぼくは、それはルール化してしまっては結局同じだと思います。
やり方を簡単にしてしまうと、そこで人の成長は止まるのです。
ケースバイケースでルール化されないからこそ、教師も頭を使って考えるようになるのです。
教師の裁量に任せないということは、彼らを信用していないということ。そして人は、自分は信用されていないのだなとすぐに分かりますし、一生懸命働かなくなります。たとえ難しいことでも、いや難しいことだからこそ、教師の裁量に任せた方が良いのです。
(著者)
>>7
生徒は学校の鏡で、仰るように生徒が荒れるのは学校が荒れているからなんですよね。だから、生徒を正すにはまず学校や教師を正すことから始めなければならないのだと思います。しかしながら、多くの学校や教師はそれをめんどくさがっているので、問題が解決しないのですね。
ぼくのブロマガの会員数が伸びないのは、おそらくつまらない読者なら読まないでほしい、会員にならないでほしいという気持ちが、ぼくの中にあるからだと思います。それがなくなればもっと会員数も伸びるのだと思いますが、それをなくす気持ちは、今のところないんです。
(著者)
>>8
日本人は、もしかしたら身近なことがグレーで曖昧なことばかりだから、大きなテーマとなると極端な物言いに走るのかもしれませんね。