言うなれば、ある種の「DV」のようなものである。「DV」というと、暴力を振るう側に一方的な理由があるように思われがちだが、実際はそうではない。DVは、受ける側にも理由がある場合がほとんどだ。
実際、DVをする人の中には、「暴力が嫌い」というケースもある。しかし彼らは、家庭では暴力を振るう。なぜか? それは、暴力を振るわれる側が、それを「誘って」いるからだ。
暴力を誘う人が、この世には存在する。どういう人かというと、自分に自信のない人だ。そして、自信を持ちたいと願っている人である。この世界に居場所のない人で、居場所をほしいと願っている人、アイデンティティを確立できないから、それを確立したいと願っている人である。
これだけなら別に何の問題もないが、その一方で、怠惰な人でもある。同時に、その怠惰な自分を嫌ってもいる人だ。自分が怠惰であることと折り合いがつけられずに、自己嫌悪を抱いている人。もっと言えば、自罰的な人だ。自分を罰したいと願う人である。そういう人が、暴力を振るわれることを誘ってくるのである。
しかしもちろん、「ぶって!」とSMプレイのようにお願いするわけではない。その「誘い方」は、もっと高度で、もっと複雑な形で為される。続に言う「誘い受け」のような形で為されるのだ。
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コメント
反対の角度からの見方を書いてみます。
まず、DV。
暴力によって支配することに強い快感が伴うことから暴力を振るう側に常に強い誘引がある。支配欲。あるいは優位に立ちたいと思う気持ち。ここに第一の原因がある。
次に、ブラック企業。
その企業の社長はだいたいにおいて、非常にやる気があり、気合いが入っている。24時間働くことも厭わない。むしろそれが普通。そうしたパワーが企業の成長を導くと本気で信じている。そして、それを社員にも、部分的にせよ共有せよ、この会社にいる限りは、と迫る。こんな会社にとっては労働基準法は足枷でしかない。自然、労基法は無視し、ブラック化する。
この場合、DVの場合と違い、社長は従業員を思うがままに動かしたいという支配欲からそうしているというよりも、利益追求という会社の目的に沿って、会社のしもべとして上のような行動にでている。利益追求のため、さらには従業員にとってもよかれと思って上のような行動に出ている。なので、パラレルには説明できない。
こういう会社がよくないのか。やりたくない人を働かなければ生活していけないという弱い立場につけこんで半ば強制的に社長の儲けの理念にしたがわせるというのであれば問題が大きいですが、自発的にその社長についていくと思っているひとたちについては労基法は邪魔ものでしかない。
どうみるべきか。社会にもたらす効用から判断すべきなのか。だとすると、労基法(違反するとブラック企業と評価される)は社会が先にすすむのを阻害するかもしれないと思う。
(著者)
>>1
そうですね。日本には昔から同調圧力が強くあって、経営者も従業員も一緒くたに「村」もしくは「社会」に混ぜ合わせるという機能があると思います。それをまるごとブラック企業に濾過することによって、絞った滓は廃棄する……という残酷な側面も少なからずあると思います。
(著者)
>>2
タランティーノの「ジャンゴ」という映画を見たのですが、黒人を奴隷としてこき使う悪い白人が出てくるのですが、その白人に協力して黒人をおとしめる悪い黒人も出てくるんですね。「奴隷頭」というらしんですが、ブラック企業の経営者って、この映画に出てくる「白人」よりも、この「奴隷頭」の方に似ていると思うんです。だから、なかなか難しいというか。一番悪いのは、もちろん「白人」たる我々「消費者」なので、何とも言い難いところがありますね。
(ID:1168733)
企業をブラックにドリップするためには、日本の伝統的奴隷制度との親和性を高めて、社員と従業員の人格を混ぜ合わせてからろ過するような環境が必要だということでしょうか。