「イギリス式庭園史」を大まかとらえると、まず3代目バーリントン伯爵がウィリアム・ケントと組んで、18世紀前半にローマで見た廃墟の絵のような「庭」を志した。その「廃墟の絵」は、ニコラ・プッサンとクロード・ロランが描いたものだ。彼らは当時より100年くらい前、17世紀の画家であった。
ニコラ・プッサンは、1594年に生まれ、1665年に没す。
クロード・ロランは1604年頃に生まれ、1682年に没す。
バーリントン伯爵がローマへ留学していたのは1714年頃。つまり廃墟の絵を描いた2人はすでに亡く、しかもそこから数十年が経過していた。
彼らの絵は、荘厳なバロック様式であった。ただし、バーリントン伯爵はそこに描かれた古代ローマの廃墟に、なんともいえない「侘び寂び」のような美をみとめる。
そこで、その美を自分たちが造る庭でも再現しようと試みた。18世紀の前半から中盤にかけて、さまざまな自邸を修復する
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