18世紀のイギリスで、ウィリアム・ホーガスが政治家や上流階級を風刺した絵を描いて人気になる。

ただ、ホーガスは誇張した絵(カリカチュア)を描かなかった。ところがホーガスの死後、カリカチュアを描く画家が多数現れる。カリカチュアの方が描くのは簡単で、また需要も高かったからだ。そうしてカリカチュアの技法と人気が確立していった。

19世紀に入ると、フランスで1830年にシャルル・フィリポンが、カリカチュアを前面に押し出した雑誌、その名も『カリカチュール』を創刊する。ここでは、主に政治家の風刺画で人気を博す。

その人気を受け、フィリッポンは2年後の1832年、さらにカリカチュアをフィーチャーした日刊紙『シャリバリ』を創刊する。これがさらなる人気を博し、オノレ・ドーミエなどのカリカチュール画家が人気となった。

この『シャリバリ』の人気を受け、今度はイギリスで1840年にカリカチュア誌『パンチ』が創刊さ