コメント毎に記事投稿者さんが返信してくださるので、建設的な議論ができたらなと思い、 このブロマガに加入させていただきました。(加入自体が初、そして初コメです) 現在のインターネット界の”速さ”を麻薬中毒になぞらえて、これからのネット界を危惧(?)されていますが、 いささかその記述に疑問を抱いたので、それを書かせていただきます。 長くなりそうなので、前半部はこの記事についての反論、後半部はこのトピックについての僕なりの意見を。 まずはこの記事についての反論(というより疑問点?)ですが、ひとつの重大な区分を見逃しているように見受けられます。 それは、ネットを利用する人々が、”当事者”と”傍観者”に分かれていることです。 ”当事者”とは、記事の中でまさに指摘なさった、いわば麻薬中毒者になぞらえられる人々を指すので、特に説明を付する必要はありませんが、大切なのは、こちら側はネット界のなかで圧倒的な少数派になっています。 ”傍観者”のほうは、いわばそんな麻薬中毒的な”当事者”をどこか冷ややかな目で見て、せせら笑いながら面白がる圧倒的な多数派です。 もちろん、”傍観者”がなんらかの契機で”当事者”に変わる可能性がある以上、明確な区別はしづらいですが、 ”当事者” - ”傍観者”の関係が、少数派 - 多数派という図式は(おそらく将来的にも)基本的に変わることはないでしょう。 投稿者さんは、「異常な決断が不幸を招いてしまうよ、気をつけなくちゃ」といっているように(僕の個人的解釈では)思いますが、僕たちの大部分が”当事者”ではなくて”傍観者”であることを踏まえると、僕たちが”普通の暮らし”をする上では考える必要のないことのように思われます。 例え”当事者”が麻薬中毒的に異常な行為を起こしたとしても、それはいわば「犯罪や交通事故のように、少数の人間に大きな被害が出るが、どうにも防ぎようがない」ような現象であるように思えるのです。 僕の解釈では、この記事はここでいう”当事者”に向けられたもののように思われたので、そのような少数派にメッセージを投じたところで、僕たちの大部分を成す”傍観者”の人には伝わりにくいのではないかなぁという疑問点(反論点?)が残りました。 次に、僕の意見ですが、 このトピックにおいて責めを負うべきは、”傍観者”の方であると思います。 投稿者さんが記事でも説明なさったように、ネットでの”傍観者”の”飽きの速さ”はかなり異常なものです。 流行が秋の空のようにコロコロと変わる様は、見ていていささか疑問を投じたくなってしまいますね。 そのような”傍観者”に対して言いたいことはたくさんあるのですが、その内ひとつを紹介させていただきますと、 彼らは、”行動する人間の意義(情熱)を放逐”することです。 以下でそのことを説明させていただきます。 人間が行動するには、かならず何かしらのリスクが伴います。 そのリスクに不安を覚えながらも行動を起こそうと決意するとき、そこには必ず情熱がある、と僕は考えています。 もしかしたら、その情熱の出自は”有名になって女を囲いたい”というような(社会的に)薄汚いものかもしれませんが、そういったものを含めて、行動には「ある意義ある結果を残したい」という情熱が必ず伴っています。 と、ここまで書いて、これを詳細に書くにはあまりにスペースをとりすぎてしまうことに気づいたので、 だいぶ端折って書くと、”傍観者”はこの類の情熱を面白がって弄び、飽きたらすぐに引き上げていって、このような類の情熱を駆逐してしまう、ということ、 そして世の中から情熱的な決断をする人、冒険者、アントレプレナーが全くいなくなり、保身に明け暮れる人生を営む人が多数派をしめた面白みのない世の中ができあがってしまう、ということを書きたかった感じです。 かなり荒い議論になってしまったので恐縮ですが、 この記事から読み取った率直な感想を述べさせていただきました。
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現在のインターネット界の”速さ”を麻薬中毒になぞらえて、これからのネット界を危惧(?)されていますが、
いささかその記述に疑問を抱いたので、それを書かせていただきます。
長くなりそうなので、前半部はこの記事についての反論、後半部はこのトピックについての僕なりの意見を。
まずはこの記事についての反論(というより疑問点?)ですが、ひとつの重大な区分を見逃しているように見受けられます。
それは、ネットを利用する人々が、”当事者”と”傍観者”に分かれていることです。
”当事者”とは、記事の中でまさに指摘なさった、いわば麻薬中毒者になぞらえられる人々を指すので、特に説明を付する必要はありませんが、大切なのは、こちら側はネット界のなかで圧倒的な少数派になっています。
”傍観者”のほうは、いわばそんな麻薬中毒的な”当事者”をどこか冷ややかな目で見て、せせら笑いながら面白がる圧倒的な多数派です。
もちろん、”傍観者”がなんらかの契機で”当事者”に変わる可能性がある以上、明確な区別はしづらいですが、
”当事者” - ”傍観者”の関係が、少数派 - 多数派という図式は(おそらく将来的にも)基本的に変わることはないでしょう。
投稿者さんは、「異常な決断が不幸を招いてしまうよ、気をつけなくちゃ」といっているように(僕の個人的解釈では)思いますが、僕たちの大部分が”当事者”ではなくて”傍観者”であることを踏まえると、僕たちが”普通の暮らし”をする上では考える必要のないことのように思われます。
例え”当事者”が麻薬中毒的に異常な行為を起こしたとしても、それはいわば「犯罪や交通事故のように、少数の人間に大きな被害が出るが、どうにも防ぎようがない」ような現象であるように思えるのです。
僕の解釈では、この記事はここでいう”当事者”に向けられたもののように思われたので、そのような少数派にメッセージを投じたところで、僕たちの大部分を成す”傍観者”の人には伝わりにくいのではないかなぁという疑問点(反論点?)が残りました。
次に、僕の意見ですが、
このトピックにおいて責めを負うべきは、”傍観者”の方であると思います。
投稿者さんが記事でも説明なさったように、ネットでの”傍観者”の”飽きの速さ”はかなり異常なものです。
流行が秋の空のようにコロコロと変わる様は、見ていていささか疑問を投じたくなってしまいますね。
そのような”傍観者”に対して言いたいことはたくさんあるのですが、その内ひとつを紹介させていただきますと、
彼らは、”行動する人間の意義(情熱)を放逐”することです。
以下でそのことを説明させていただきます。
人間が行動するには、かならず何かしらのリスクが伴います。
そのリスクに不安を覚えながらも行動を起こそうと決意するとき、そこには必ず情熱がある、と僕は考えています。
もしかしたら、その情熱の出自は”有名になって女を囲いたい”というような(社会的に)薄汚いものかもしれませんが、そういったものを含めて、行動には「ある意義ある結果を残したい」という情熱が必ず伴っています。
と、ここまで書いて、これを詳細に書くにはあまりにスペースをとりすぎてしまうことに気づいたので、
だいぶ端折って書くと、”傍観者”はこの類の情熱を面白がって弄び、飽きたらすぐに引き上げていって、このような類の情熱を駆逐してしまう、ということ、
そして世の中から情熱的な決断をする人、冒険者、アントレプレナーが全くいなくなり、保身に明け暮れる人生を営む人が多数派をしめた面白みのない世の中ができあがってしまう、ということを書きたかった感じです。
かなり荒い議論になってしまったので恐縮ですが、
この記事から読み取った率直な感想を述べさせていただきました。