>>1 コメントありがとうございます。 仰るように、命の本質を学ぶ機会から遠ざかっていることが、現在のさまざまな(取り分け心の問題)の根底にあるとぼくも思います。 今回の記事は、他人の死を通して自分の死をどう受け止めるかの話です。そこでは他人の死はもはや自分の死でもあります。ですので、他人が死ぬことに自分の死のような痛みを味わいつつ、死んでもしょうがないという境地に至ることができると、自分が死んでもしょうがないと思えるようになります。自分が死んでもしょうがないと思えるようになると、人はなぜか逞しく生きられるようになるのです。 この世はなぜかそうした逆相をところどころに見せます。生きようと思うことは死につながり、死のうと思うことが製につながるのです。死んでもいいと思う人ほど長生きだし、死にたくないと思う人ほど早く死んだりします。
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>>1
コメントありがとうございます。
仰るように、命の本質を学ぶ機会から遠ざかっていることが、現在のさまざまな(取り分け心の問題)の根底にあるとぼくも思います。
今回の記事は、他人の死を通して自分の死をどう受け止めるかの話です。そこでは他人の死はもはや自分の死でもあります。ですので、他人が死ぬことに自分の死のような痛みを味わいつつ、死んでもしょうがないという境地に至ることができると、自分が死んでもしょうがないと思えるようになります。自分が死んでもしょうがないと思えるようになると、人はなぜか逞しく生きられるようになるのです。
この世はなぜかそうした逆相をところどころに見せます。生きようと思うことは死につながり、死のうと思うことが製につながるのです。死んでもいいと思う人ほど長生きだし、死にたくないと思う人ほど早く死んだりします。