最近「企業の業績は上がっているのに社員の給料が上がらない」という話をよく聞く。日本経済は、数字は確かに上向きなのだが、生活者、消費者にその実感がない。とりわけサラリーマンは、その恩恵にあずかれていない。

なぜか?
これについては、いろんな人がいろんなことを言っているが、ぼくは一経営者の立場から、自分が今思っている実感を述べたいと思う。これは、定量的なデータがあるわけではないから資料的な価値にはならないが、しかし小さな出版社の社長が何をどう見、どう考えているのかのささやかな参考にはなるだろう。

ぼくは今、岩崎書店という出版社の社長をしている。社員は30人くらいで、創業は80年以上前の老舗だ。児童書の専門出版社で、図書館向けの本と一般書店向けの本の両方を作っている。

なぜぼくがその社長をしているかというと、創業者の孫だからという理由が大きい。いわば世襲みたいな形で、それを引き継いだのだ。
社長をする前、ぼくはフリーのライターをしていた。本を出したりもした。その仕事は、それなりに堅調だった。

そうしたときに、岩崎書店の社長を引き受けたのだ。そして社長業というのは、普通は激務なので、以前の仕事は辞めるものだ。とてもではないが、フリーライターなどはしていられなくなるようにも思える。

しかし、ぼくはフリーライターを辞めなかった。ライター業は今でも続けており、社長になってからも本を出した。あるいは、現在も進行中の企画がある。
さらに、ぼくはライターと社長をしながら、同時に編集者の仕事も始めた。ぼくが社長を務める岩崎書店で、今年計5冊の本を出した。

そんなふうに、今はライター、社長、編集者の三足のわらじを履いている。それに加えて、営業をしたり、プロモーションをしたりもしている。
なぜそれだけたくさんの量の仕事ができるかといえば、それはひとえに「テクノロジーの恩恵」といえるだろう。パソコンが発達し、原稿を書くのが早くなった。インターネットが便利になって、調べ物も速やかになった。スマホができて、移動や連絡が格段に楽になった。

そんなふうに、最新のテクノロジーを可能な限り駆使することで、これまでと同じ時間で、よりたくさんの仕事ができるようになったのである。

おそらく20年前はもちろん、10年前でもそんな仕事量はなかなかこなせなかっただろう。実感値でいうと、10年前の5倍は仕事をこなせるようになった。

しかしながら、そんな時代にも10年前、20年前と同じ働き方をしている人がいる。例えば、会議にいちいち資料をプリントアウトして、それをホッチキスで留め、出席者全員に配り、終わった後にはシュレッダーにかける。そうした、無駄にあふれた旧態依然とした仕事のやり方が、まだ平気でまかり通っているところも少なくない。

いや、実はそういうものがなかなかまかり通らなくなりつつある。そういう働き方をしている人は、徐々に徐々に、社会から取り残されている。
ぼくは、そういう人たちの価値が下がっていることが、給料がなかなか上がらないことの理由の一つではないかと考えている。

というのも、時代の変化に対応して、働き方を変革し、仕事量を10倍にした人は、やっぱり収入が上がっている。今の好景気の恩恵をちゃんと受けている。
ただ、その数がまだまだ少ないため、全体として給料が上がらないのではないだろうか。

ところで、今は昔に比べると転職のハードルは格段に下がった。ぼくの周りにも、新卒から同じ会社に勤め続ける人というのはほとんどいない。また社会も、転職する人をうさんくさい目で見るということは全くなく、むしろ「能力のある証拠」という価値観が築かれつつある。

そういう時代に、給料の低いことが不満だったら、普通は辞めるはずだ。
しかしそれでも辞めないのなら、いろいろな理由もなくはないだろうが、結局は「他に行って給料の上がる当てがないから」というのが本当のところではないだろうか。

ぼくは、多くの人の給料が上がらない理由をそのように見ている。実は、新しい働き方に馴染めず、従って生産性が低いまま推移している人たちが、低い給料に甘んじているから、転職が活性化せず、給料が上がらないのだ。