ホモ・サピエンス――つまり我々人間は、誕生以来進化していない。しかしながら、その性質は絶えず変化してきた。今、『サピエンス全史』という本を読んでいる。これを読むと、いろいろなことに気づかされる。歴史を、大きく俯瞰でとらえることができる。
例えば、サピエンスは最初、狩猟をして暮らしていた。しかし1万年前に農耕が始まった。農耕の始まりとともに、人間の性質も変化した。
まず人口が爆発的に増大した。所有や財産の概念が生まれ、貨幣も誕生した。それまではアミニズムや多神教を信じていたのが、やがて一神教を信じるようになった。あるいは、国という概念もできるようになった。
そして、物語が紡がれるようになった。貨幣、宗教、国は、すべて架空の概念だ。この本では「虚構」としているが、ぼくの言葉では「物語」だ。サピエンスは、物語抜きでは存続し得なくなったのだ。
我々は、もう物語を捨てることができない。虚構なしでは、これだけの人口を維持できないからだ。しかしながら、いつか物語が失われたとき、人口が大幅に減ったり、あるいは絶滅に至ったりするだろう。人類は、そういうもろい存在でもある。
そんな歴史という大河に浮かぶ一個の小石として、我々一人一人の人間がいる。我々は「人間の命は尊い」と考えがちだが、それも虚構で、有史以来、これまで死ななかった人はいない。我々が考える尊さなどとは無関係に、損なわれ、失われるのだ。
それでも、尊いものにしないと社会が成立せず、社会が成立しないと我々の命も存続しないので、嘘だと分かりつつも、それをあるものとしている。虚構を虚構だと知りながら、同時に信じるのだ。人間には、それをできる能力がある。
おかげで、人間の物語は絶えず変わってきた。何しろ嘘なのだから、いつかはバレる。それでも嘘は必要だから、時代にマッチした新しい嘘が紡がれる。もし新しい嘘が紡がれなければ、それは人類が絶滅するときだ。
だから、虚構はすごく重要だ。それが嘘だと分かりながら、人々にそれを信じさせる強い物語が必要なのである。
例えばキリスト教は、過去2000年間、その役割を担ってきた。強力な嘘で、社会を成り立たせてきた。
そのキリスト教も、最初は大いなる迫害に遭った。強力な嘘というのは、えてして古い時代を破壊するため、誕生時には迫害を受けることが多い。
そう考えると、我々にとっての新しい物語は、今、迫害されているかもしれない。今、人々から忌み嫌われているかもしれない。古い社会を破壊しようとしているので、古い社会にいる人々から逆に破壊されようとしているかもしれない。
しかし新しい神話は、そういう中で、じわじわと確実に勢力を広げている。結局、人々はそれに抗えないのだ。
それでいうと、ぼくは今、最も崩れかけているのは「労働神話」でないかと思っている。「働くことが尊い」というのは、農耕革命が始まった1万年前に紡がれた物語だ。それ以前の狩猟民のときには、働くことは必ずしも尊くなかった。毎日食べ物を拾って生きていたので、それはとても労働と呼べるようなものではなかったからだ。野に生きる獣のように、人間も働かずに生きていたのである。
しかし農耕が始まり、人口が爆発的に増えて、人々は労働しなければならなくなった。それで、労働神話が誕生したのである。人は本来、労働に生きる動物ではなかった。それを労働させるためには、神話が不可欠だったからだ。
この労働神話は、キリスト教よりずっと古く、もう1万年も信じられてきた。というより、キリスト教の中に入り込み、より力を増した。キリスト教自身、労働神話の力を借りることで、人々の間に広まっていったところもある。
その労働神話が今、終わろうとしているのではないか。だから、ニートが現れた。ニートは、2000年前のキリスト教徒のようなものだ。強烈な迫害を受けているが、なくなるどころか、じわりじわりとその数を増している。
ぼくも最初、ニートを否定していた。しかし今は、否定し得なくなった。働くことは、それほど重要に思えなくなったからだ。つまり、ぼくの中では労働神話が溶けかかっているのだ。それを信じられなくなってきている。
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