こういう記事がネットで話題になっていた。

長男が、多分初めて「勉強わからない」に突き当たった話

内容は、筆者の小四になる長男が塾に通うようになったとき、勉強が分からなくて立ち往生した。長男は自信家だったので「勉強が分からない」は彼にとって初めての体験で、どう対処していいかのも分からなくなっていた。しかし問題を解決できず立ち往生しているという状況は意思表示できたので(あるいは親が汲み取ることができたので)、その解決方法を示唆した。
ここで筆者は、勉強においてだいじなのは「分からない」を自覚することだという。それを自覚できないと、問題が顕在化しないから対処もできない。そうして臭いものに蓋をしたまま移行し、気づいたときには手遅れになるという。

これに対して、多くの肯定的、賛同的な意見が集まった。しかしぼくは、この記事に釈然としない思いを抱いた。そこで今日は、そのことについて書いてみたい。


その記