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2016年9月9日号
編集長:東浩紀 発行:ゲンロン
目次
- 【特別先行掲載】「現代日本のネット2001-2016」のために 大澤聡×さやわか×東浩紀
- 「幽霊的身体を表現する」開催にあたって 東浩紀
- 浜通り通信 #42 カオスラ市街劇は本当に「地域アート」を終わらせられるのか 小松理虔
- 日常の政治と非日常の政治 #5 「憲法2.0」再考(1) 西田亮介
- ポスト・シネマ・クリティーク #9 イエジー・スコリモフスキ監督『イレブン・ミニッツ』 渡邉大輔
- アンビバレント・ヒップホップ #5 この街に舞い降りた天使たちの羽根はノイズの粒子でできている 吉田雅史
- 人文的、あまりに人文的 #5 山本貴光×吉川浩満
- 批評再生塾定点観測記 #2 趣味・漫画 横山宏介
- メディア掲載情報
- ゲンロンカフェイベント紹介
- 編集部からのお知らせ
- 編集後記
- 読者アンケート&プレゼント
- 次号予告
※黒瀬陽平さん「『ポスト』モダニズムのハード・コア」は今号は休載です。
表紙:9月7日まで五反田アトリエで開催されていたカオス*ラウンジ・梅沢和木さんの個展「画像の紙々」より。
撮影=編集部
「現代日本のネット2001-2016」のために
大澤聡
@sat_osawa
さやわか
@someru
東浩紀
@hazuma
(編集部より)
ここに掲載するのは、11月刊行の『ゲンロン4』に掲載予定の共同討議「平成批評の諸問題 2001-2016」に先立って収録された、大澤聡、さやわか両氏と東浩紀による、この15年間のネット批評史を主題とした鼎談である。本鼎談は、本来は掲載を前提としたものではなかったが、議論が予想外に白熱したために急遽、本メルマガに収録することとなった。共同討議の内容を補う性格があるため、『ゲンロン4』にも掲載される予定である。また、『ゲンロン』シリーズで今後予定されている特集「現代日本のネット 2001-2016」のパイロット版としての位置づけをもつ鼎談でもある。
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はてなダイアリーの時代
東浩紀 共同討議でも述べているように、「現代日本の批評」第3回の時代の批評史は、ネットとの関係抜きには語れません。そこで、その関係について3人で補足するミニ座談会を行おうと思うのだけど――まず、今回さやわかさんに作っていただいた年表[★1]を見て印象的だったのは、2001年がいきなり「インパク(インターネット博覧会)」の開催に始まり、「侍魂」「カトゆー家断絶」と懐かしい名前が並んでいること。あのころはたしかに「個人ニュースサイト」の時代だった。
さやわか インパクから2000年代のネット史が始まるのは象徴的ですね。もちろん悪い意味で、ですが(笑)。いまではみな忘れてますけど、インターネットは場所に依存しないことが特徴であるにもかかわらず、それを博覧会会場に見立てるという発想がダサいし、しかも博覧会なんて近代の権化みたいなものですからね。あまりに前時代的だった。個人ニュースサイトも、当時爆発的なページビューを集めていましたが、ほとんど現在のシーンには残っていません。
年表にはネットに関係が深い社会的な事象も入れています。たとえば2001年の「吉野家オフ」はかなり重要です。ネットで呼びかけたひとたちが集まって牛丼を食べるというだけのもので、これはいまでいうフラッシュモブのはしりでした。このときは政治的な意図はないんだけど、翌年の日韓ワールドカップのときに嫌韓ムードと吉野家オフの手法が結びついてしまう。なんでもいいから祭りがしたいという雰囲気と韓国を嫌う感情がオフ会というかたちでつながり、リアルな空間に出てきてしまった。遠くSEALDsなどのネット動員による運動論にも通じている。2001年はその後長く続く流れが準備された年でした。
東 実際、翌2002年の2月に、津田大介の「音楽配信メモ」と宇野常寛の「惑星開発委員会」がともに開設される。2003年には切込隊長こと山本一郎(やまもといちろう)のブログが始まり、前後して「きっこの日記」と「極東ブログ」が開設。ほか、「はてなダイアリー」が盛り上がり始め、速水健朗、栗原裕一郎、仲俣暁生、町山智浩、荻上チキとつぎつぎに日記を開設。ぼくがはてなダイアリーに参入したのもこの時期ですね。
さやわか 他方で政治的なサイトも増えていきます。同じ2003年には、のち在特会の会長となる桜井誠がサイトを開設しています。前年に日韓の自動翻訳掲示板「enjoy korea」ができ、日本人と韓国人が掲示板で直接争うようになっていたんですが、桜井氏はそこに投稿したコメントを、自分のサイトで公開し始める。さきほどのワールドカップも含め、このあたりにいまのネトウヨ勢の萌芽が見られます。
東 2002年から2003年にかけて、急速にいまの「ネット論壇」の主要プレイヤーが出そろってますね。
大澤聡 佐々木俊尚『ブログ論壇の誕生』(2008年)の巻末の「著名ブロガーリスト」には、10頁以上にわたってかなりの数のサイトURLが一覧化されているわけですが、2008年の本であるにもかかわらず、結局のところ2000年代初頭にサイトを開設したひとたちがリストの大半。アーリーアダプターたちがゼロ年代後半に「アルファブロガー」と化していくわけですね。それから、プラットフォームとしては、はてなダイアリーのプレゼンスが圧倒的に高かった。
東 それは当時の実感にあっています。でもまだ人数は少ない。2004年ごろのはてなダイアリーは、たしかアクティブユーザーが3000人くらいだった。でもそのぶん全体が見渡せた。そのため議論や応答がたいへん活発で、ぼく自身ほとんど自分の読者のIDを覚えていた。そこらへんの空気については、この座談会と同じ号で、「はてな村村長」こと加野瀬未友さんにエッセイを書いてもらう予定です。
さやわか 2005年4月号で、『ユリイカ』が「ブログ作法」を特集するんですね。ぼくは当時、編集の一部を担当した栗原裕一郎さんに対して、ブログといってもはてなの内輪ノリの話ばかりじゃないかと批判した記憶があるのだけど、いま振り返れば逆に、はてなが中心で正しい。
はてながコミュニティを維持できなくなってきたときに、ほかの要素がわっと出てきて急速に「ブログ論壇」が壊れていったのがよくわかります。ネトウヨだとか、「きっこの日記」的なものが増える。あるいはケータイ小説や「電車男」が登場し、どんどん商業性を前面化した、現在につながるインターネットに変わっていく。2004年が転機かなという気がします。眞鍋かをりが「ブログの女王」なんて呼ばれ始める。
大澤 キャズムではないけど、ムラ的共同体の閾値がそのあたりで踏み越えられたわけですね。
東 そもそもはてなダイアリーの隆盛には前史があって、日本のネットにはもともと静的HTMLで書かれる日記サイト文化があった。大森望さんなんかはそのころからの古参の書き手です。それが90年代後半で、それを受けて2000年代のはじめに日記を書きやすくするサービスが出てくる。「さるさる日記」や「tDiary」、そしてはてなダイアリーですね。
これは、同時期にカリフォルニアから入ってきた、いわゆる意識の高い「ウェブログ」――ブログツールのMovable Typeを自分でサーバーにインストールして使うもの――とは、外見こそ似ているものの、出自はまったくちがう。初期にはその認識がかなり共有されていて、はてなダイアリーも当初はブログとは言っていなかった。またそこに集まるひとたちも、ネットユーザーというよりも「物書き」のように自分たちをとらえていた。ちなみに余談ですが、濱野智史はそのころ慶應SFCのサーバーでMovable Typeを使った「意識の高い」ほうのウェブログを個人でやっていて、ぼくはそれをきっかけに知り合いました。
さやわか 日本発の日記サイトとカリフォルニア由来のウェブログの差異が顕在化したのが、2002年の「ブログ騒動」ですね。伊藤穰一や武邑光裕が日本の日記サイトを無視してブログ論を展開し、叩かれました。でも結局、2004年から2005年にかけて、日本でも「ココログ」のような商用ブログサービスが出てきて「ブログ」のほうが認知されることになります。そして、これによって日記サイト時代とはぜんぜんちがう層のユーザーが、大量にブログ界に流れ込むことになる。だれもが簡単に文章を投稿し、情報を発信できるようになり、ウェブ2.0と呼ばれる現象が起きる。そのイデオローグとして活躍したのが梅田望夫ですね。書籍としては『ウェブ進化論』(2006年)がベストセラーになる。
この動きは実際にビジネスの成功とも連動し、2000年代のなかばになると、ライブドアやサイバーエージェントのようなブログ運営企業が企業買収をさかんに行うようになり、渋谷がビットバレーと呼ばれたノリになっていきます。堀江貴文が衆院選に出るのが2005年。逮捕されるのが2006年の頭。
大澤 近代文学の拡散期にツールとしての私小説や日記文学がはたした役割を、ネット上でブログサービスが辿り直したと言ってみてもいい。
東 日本のネット史を考えるうえで、HTMLの日記からはてなダイアリーへという部分はあまり強調されない。普通は、「2ちゃんねる」からSNSという感じで、ゴミ溜めだったネットがみなも便利に使う表舞台の場所へと変化してきたというストーリーで語られるのだけれど、そのあいだに、一部の出版人のアジールとして機能していた時期があるんですよね。2003年くらいに、短い「人文系の時代」があった。政治的には小泉政権の前半ですね。
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