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2016年5月13日号
編集長:東浩紀 発行:ゲンロン
目次
- ダークツーリズム以後の世界――『ゲンロン3』刊行に寄せて 東浩紀
- DMZの「政治的風景」 黒瀬陽平
- 人文的、あまりに人文的 #1 山本貴光×吉川浩満
- 浜通り通信 #38 絶望でもなく、希望でもなく 小松理虔
- ポスト・シネマ・クリティーク #5 真利子哲也監督『ディストラクション・ベイビーズ』 渡邉大輔
- アンビバレント・ヒップホップ #2 ズレる/ズラす人間、機械、そしてサイボーグ 吉田雅史
- 「これがSFだ!」――〈ゲンロン 大森望 SF創作講座〉第1回講義レポート 川喜田陽
- 批評のダイナミズムに触れる30冊――青山ブックセンター『ゲンロン』刊行記念選書フェア開催中
- メディア掲載情報
- 関連イベント紹介
- 編集部からのお知らせ
- 編集後記
- 読者アンケート
- 次号予告
表紙:鉄原、ソイ山の展望台 撮影=編集部
ダークツーリズム以後の世界
『ゲンロン3』刊行に寄せて
東浩紀
@hazuma
(編集部より)今号は「観(光)客公共論」は休載し、現在編集中の『ゲンロン3 特集:脱戦後日本美術』から、東浩紀の巻頭言の一部を特別掲載いたします。
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[前略]さて、ぼくはこの数年、「観光」「ダークツーリズム」といったキーワードを中心にものを考えてきた。
観光は安全を前提とする。安全は英語では secure と言う。この言葉は、「~なしに」を意味する接頭辞 se に、「配慮」「心配」を意味する cura がついて作られたラテン語 securus を語源としている。
この語源からは、哲学的に興味深い分析が引き出せる。cura は、英語の care 、ドイツ語の Sorge に対応している。つまり、安全=セキュリティ security は、care や Sorge がなくてもよい状態を意味している。ところが、20世紀を代表する哲学者のハイデガーは、人間が人間であるのは、まさにその Sorge(配慮)のおかげだと主張していた[★1]。人間は、つねに世界を配慮し、世界と緊張感をもった関係を作り上げているからこそ、「世界内存在」として特殊な存在者(実存)であることができると述べたのである。もしも世界へのそのような配慮がなくなれば、ぼくたちはすぐに、くだらない「おしゃべり」に囲まれた「ただのひと」へと「頽落」してしまうだろう。
ハイデガーのこの主張(実存主義と呼ばれる)は、第2次大戦から冷戦期へと続く政治的な危機と共鳴し、20世紀の半ばにきわめて大きな影響力をもった。それは裏返せば、「安全」「セキュリティ」ばかりを追い求める21世紀のぼくたちの心性が、20世紀の哲学のパラダイムでは「頽落」と言われるほかないものであることを意味している。現代人はつねに、安全を、すなわち、世界への配慮が必要ない状態を求めている。とりわけ観光客がそうである。観光客は、そこが安全な場所であり、だれからも特別の配慮を求められないからこそ、自由に町を歩き、食事をし、お土産を買って自宅に帰ることができる。しかしそれは、ハイデガーに言わせれば「ただのひと」への「頽落」にほかならないのだ。実際ぼくたちは、たいていの場合、まさに「ただのひと」になるために、そしてくだらない「おしゃべり」に囲まれ「頽落」するために、観光地に赴くのである。
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