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田原総一朗『歴史に学ぶ、「政権交代」で人類は何を選択したのか?』
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先日、日本に住む韓国人の方から僕の番組宛てにメールが届いた。要約するとこんな内容だ。
「成熟した資本主義において新自由主義は、限られた富の奪い合いとなる」
「そして、一部の限られた人たちだけが富み、貧富の格差は開くばかりになる。実際、現在の韓国がそうなってしまっている」
「やはり新自由主義はよくないのではないか」
彼の言うことはよくわかる。自由競争を前提とする新自由主義には、そういった負の側面があることは事実だ。では、新自由主義がよくないとして、対する社会民主主義はどうなのか。
社会民主主義では、国民の間でできるだけ格差が生じなようにと考える。そのために社会保障を厚くするから、いわゆる「大きな政府」になる。富の再分配を積極的にするのだから、格差は少なくなるのだけど、人間というのは正直なもので、そうなると社会全体の経済成長もなくなってしまうのだ。このように社会民主主義には、長所と短所がある。同じように新自由主義にも、長所と短所がある。政治に完璧な「正解」などないのだ。
ところが、その「完璧な政治」を目指した国があった。ソビエト社会主義共和国連邦、旧ソ連である。1991年に崩壊したソ連は、マルクス主義を標榜して築かれた、共産主義国家として、長く理想の国だとされてきた。
僕はソ連を訪ねたことがある。1965年に映像関連の文化交流で招待されたのだ。そこで、僕はモスクワ大学の学生と討論をした。そのときのことだ。僕がフルシチョフについて質問したところ、その場が凍りついたのだ。「政治について、触れないでください」と後でガイドにきつく注意された。
その前年に、西側諸国に対する寛容的な政策を理由に、ソ連の最高指導者・フルシチョフが失脚したばかりだったからだ。ソ連に「言論の自由」などなかった。だが当時、日本の多くの知識人とメディア関係者は、ソ連を理想の国だと勝手に思い込んでいたのだ。
平等で、完璧な「理想の国」を実現しようとすれば、必ずどこかに歪みが出る。そのことを、ソ連という国の行く末を見て、僕たちはようやく知った。「理想の国」と言われながら、「粛清」という名の大量殺人が行われ、党幹部や一部の階層は贅沢を極めながら、建前だけの「平等」を謳っていた。ソ連の工業製品は、なんら創意工夫もなく欠陥品ばかりだった。これでは、経済成長など望むべくもないことだろう。
改めて言おう。政治に完璧な「正解」などない。新自由主義にも、社会民主主義にも、正解はない。では、どうしたらよいのか。
やはり政権交代でバランスをとっていくしかないのではないか。たとえば、新自由主義によって自由競争が活性化すれば、経済は上向きになる。しかし一方で、格差は開いてしまうだろう。この状況が行き過ぎたら、社会民主主義の政党が政権をとればいい。社会保障を厚くして、格差を縮めるようにするのだ。
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私は今の政府が自由競争を推進してるとは思えない。やってる事は金持ちを儲けさせ、そのおこぼれで低中所得者にも恩恵がくるだろうという理屈の事ばかりだと思う。結局自分たちの支持者のためのものと思う。(私は別に共産党支持者ではない)
自由競争というならまず公平でなければならないが、(特に経済)政策というのはどこかの業界にのみ偏ってしまうものと思う。やるべき事は誰かがよく言うように、その自由競争を公平なものにしてない縛りをなくすことで、それはお金(税金)が
なくてもできる事と思う。私は何度か政府が何かしないと経済成長しないのかと質問してますが、それに答えてほしいです。