今週のお題…………「格闘技と専門誌マスコミ」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)……………火曜日担当
先月、空手雑誌や本を出していた老舗、福昌堂がついに破産してしまった。格闘技マスコミが冬の時代に入った象徴のような事件である。私が元いた会社であり、その内実は関係者からよく聞いていたが、まあ、ここまでよく頑張ったな、というのが正直な感想で、私自身は読者が武術や格闘技の書籍離れをした現象とは全く捉えていない。むしろ、ようやく、「本物の武術本が売れる時期が来たな」とさえ思っている。
私が『フルコンタクトKARATE』を作っていた80~90年代は、格闘技界も話題が豊富で、『格闘技通信』や、『ゴング格闘技』も元気な時代だった。とくに週刊誌も出していた版元は、速報力があり、『格通』も『ゴング』も大きな大会のあとは、数日で速報号を出し、売り上げを伸ばしていた。
私のいた福昌堂は、月刊誌を出しているのに、印刷に時間がかかり、到底速報では勝負ができない。仕方なく、あまり速報性が必要でない技術編を中心にして、対抗せざるを得なかった。
今日では、試合の結果はインターネットで即日に情報が流れるので、速報を中心にした雑誌が潰れるのは当然だ。これは誰にでもわかる。問題は、速報性と関係のない技術編も、売れるものと売れないものがある。こちらの分析の方が巌流島にとって大切だし、建設的な考察になりそうだ。
私が創刊させ、雑誌コードを取得するまでに安定させたのは、『フルコンタクトKARATE』だけでなく、『格闘Kマガジン』や、『BUDO-RA』など三誌もある。しかし、別な編集者やプロダクションが引き継ぐと、皆、見事に売り上げを落とし、潰してくれた。
皆、私の作った技術編の編集パターンを踏襲しているのに、なぜ急激に売り上げが落ちたのか? 私にはその理由が分かっていたが、無論、詳しく書くわけにはいかない。そのノウハウは企業秘密であるが、大まかなポイントだけ紹介する。
まず、技術編を買う読書は常に強くなりたい、と思っている。そのため、常に新しいコンセプトや技術に興味を持っている。仮に古い技術でも、新しい視点で再認識させれば、それは新しい技術と同じである。
読者にとって魅力的で新鮮な技術は、常に時代の半歩先のものだ。
私が雑誌を始めた80年代は、顔面なしの極真ルールの全盛を少し過ぎた頃。
読者に顔面なしを補う新空手やグローブ空手、ムエタイなどの顔面ありの実戦性をアピールした。当然、最初は売れないが徐々に読者や、業界の認識も変わり出し、そんな中、K-1が誕生し、格闘技界の話題の中心となっていった。しかし、顔面ありが全盛になると、私は次に顔面だけでいいのか? 投げや関節、寝技は? というコンセプトから、大道塾、シューティング、ヒクソン、などを特集。このコンセプトは後に総合格闘技へと繋がっていった。
K-1やPRIDEの人気が出て、一般ファンがグローブ空手が最強、総合格闘技が最強、と言い出したら、次にそのアンチテーゼを提唱する。私は常に読者の格闘技認識が固定化しないよう、問い続ける。これは今も変わらない。グローブ空手には、顔面パンチはグローブを着けたままで追求できるのか? と疑問を投げかけた。その視点から、バンテージをつけたミャンマーラウェイの試合や、素手の実験マッチなども行った。当然、業界には衝撃を与え、素手に対する認識も大きく変わったと思う。
ちなみに、倉本先生の武学や、村井師範の素手の技術本も、このタイミングで出したので、反響は大きかった。
また、総合格闘技は、相手が多人数だったり、武器を持っていたり、街中や、狭い室内など、現実の護身術として有効か? という武術や喧嘩術の視点から、再考を続けた。
私の武術理論書や、林先生の喧嘩術の本も、「環境を武器化する」という格闘技とは全く異なる視点から、実戦観を唱え、多くの読者から支持され、当然本も売れた。
こうした視点から考察すると、格闘技的視点では弱いとされていた合気道や太極拳などの埋もれていた強さも、再認識されるようになる。
井上先生の合気道、竹内先生の24式太極拳、沈先生の呉式太極拳、池田先生の太極拳研究の本もこうしたタイミングで出し、いずれも好評だった。今はさらに過激に論を進めて、横山先生のガチ合戦や、川嶋先生の新しい打撃理論などを制作している。
こうして見ると技術本は、生きている世界だと言うことが良く分かる。読者は常に、より深い真実を知りたいと思い、決して後戻りはしない。
まさに武術界、格闘技界の前衛層である。彼らは非常に頭も良く、偽物と本物を見分ける目も持っている。それだけに陳腐な技術書には見向きもしない。彼らを侮って技術本を作っても、成功する訳がないのである。
巌流島が武術的な本物の大会を目指すのならば、こうした目の肥えたファンにもアピールしなければならない。彼らは既に伝統武術の生きる場も、寝技の限界性にも気づき始めている。
格闘技とは競技であり、武術とは設定条件が異ることも理解している。そして、世界には格闘技の範疇を超えた武術がたくさん存在しているが、これらの武術を統合するルールは存在しない。ならば、発想を変えるしかない。
巌流島は競技ではなく、コンセプトである、という発想だ。K-1は日本発世界というコンセプトで、競技性を謳ったが、その逆を行う。世界発日本である。武術を競技の中に押し込めるのではなく、世界の武術がナマのままで集い、競う場。今回の巌流島のマッチメイクは結果的にそうしたコンセプトに沿っている。
理論を知らなくとも、本能的に「この辺だろう」と辺りをつける谷川氏の感性は一種天才的なものがある。その感性は、プロモーターというより、むしろ雑誌編集者の感性に近いと思う。ひょっとして、技術本を作っても、谷川氏ならば、前衛層にもアピールする面白い本を作るかもしれない。
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『巌流島』のオフィシャルサイトをリニューアル致しました。アドレスが変わりましたので、ご確認ください。→ ganryujima.jp
コメント
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●「ストリートボクシング(略称ストボク)」という新競技を考案してみました。
キックボクシングやシュートボクシングを超える「新しい立ち技の定義」、それが「ストボク」です!決闘感を表現出来る。
これは「一方以上がスタンド状態なら反則以外のあらゆる攻撃が認められる。ここでいうスタンド状態とは足の裏以外を地につけていない状態。寝技は15秒以内でポジショニングのみ認める」というものです。
舞台は「サークリル」。
これなら、古武道の追い討ちとしての極め蹴り、サカボ、踏みつけ、ニーオンザベリーのパウンド、ニーオンザバック、立ちアキレス・アンクルホールド・白目式腕固め等の立ち関節、セントーン、また逆に、カポエイラの蹴り、巴投げ・タックル等の捨身技、下からのヒールホールド等も認められる。
ベタッと座り込むマウントはやはり実戦の1VS複数だと他の奴に頭蹴られて終わりという弱点がどうしても無視出来ない。
理想は佐山理論同様すぐに立てるニーオンザベリーとニーオンザバックです。
判定ポイントは、「立打(空手=ダウン)立投(柔道=投げによるテイクダウン)立極&立絞(合気=掛けられている側がグラウンドに逃げた場合)・寝圧(ポジショニング=ニーオンザベリー(バック)の体勢に入った場合)」、それぞれ1P(反則も)とし、これはそのまま技術体系(技の五輪)を表す。
●「サークリル(circryl)=サークル(circle)+アクリル(acryl)の造語」は分厚い透明アクリル樹脂板で囲った直径9.1mの近未来型円形闘技場。血や汗による「くすみ」防止の為に上から水を落として下で受ける水洗トイレ方式。アクリル樹脂は水族館やアイスホッケーの会場で使用している「あれ」です。集音器も設置しよう。
9.1m=アマレスマットと同じ大きさ=アメフトの10ヤード=土俵の2倍の広さ(30尺)。4枚の湾曲したアクリル樹脂板と4本のクッションカバーのついた支柱にバネを仕込んで、衝撃を受けたらスプリングでその方位の板が前後して衝撃を分散する。床は固め。オクタゴンが古臭く見える筈。
特許も申請しよう。アクション映画と捉えてどんどん改良していくんだ。水を落とす装置やタンクもついでに支柱に仕込もう。下は水を受けれる様にその部分だけ少し傾斜をつけて隙間から外に出そう。あと電光掲示板を活用してポイント表示も。
●ストボクの日本名は「立路(立路道=路上立ち技実戦武道)」。キックボクシングがトランクス、プロ空手がパンタロン、シュートボクシングがロングタイツのイメージだし、OFGだと総合格闘技と被ってしまうから、「ボクシンググローブとショートスパッツのみ着用」で行なおう。
ルールは・膠着はブレイク・サークリルで行なうので転落TKOは無し・階級は、無差別級、重量級(85キロ以上)、軽重量級(85キロ以下)、中量級(70キロ以下)、軽量級(63キロ以下)・名勝負2名と立役者1名を表彰し、ボーナスを与える・現行巌流島ルールとの差異は以下の通り→
●追加の反則ー①両者グラウンド状態でのあらゆる打撃技・投げ技・関節技・絞め技②顔面・頭部への垂直に打ち下ろす縦肘③ひっかく、くすぐる、まさぐる、体毛を毟る④中々起き上がらない、中々場外から戻らない、掛け逃げ、逃げ回る、怪我を装う、マウスピースを頻繁に落とす等の遅延行為
⑤瞼・鼻・耳・唇・鎖骨を掴む⑥目・耳腔・鼻腔・口腔・肛門(粘膜部の五輪)や裂傷した部分への直接的な攻撃
●追加の有効技ー⑦②以外のあらゆる肘打ち⑧喉以外の首への打撃⑨寝技15秒以内のポジショニング⑩一方以上がスタンド状態の場合のあらゆる打撃技・投げ技・関節技・絞め技
●「寝技主体のブラジリアン柔術」に対して地球の真裏の巌流島が目指すべき方向性は「立ち技主体の日本武道」の復権・逆襲。「総合武道=立路+柔術」と考えて、ストボクは立圧でなく逆に寝圧の要素を組み込む事で確立される。これなら巌流島らしい「殺るか殺られるかの緊張感」が体現出来る筈。
附則として・通路型や障害物有りの舞台での集団戦(ジム対抗タッグマッチ等)も行なう ・記者投票による階級別番付制度も将来的に導入・道場マッチを下部組織とする二軍制を敷き、月1で色々実験・メインは5R
・予選を勝ち抜いた8名(ネット投票の推薦枠有り)で「天下一武闘会(最大トーナメント)」を開催。 優勝者には「ラストマン・スタンディング(最後に生き残った男、LMS)」の称号を授け、「立ち技最強、路上最強」とする・背中への縦肘は脊椎以外の箇所へならタックル潰しにも有効なので特色として残すべき
●ニーオンザベリー(バック)は膝を相手の腹(背中)に置いているので「地についていない」、よって有効。15秒以内のポジショニングを認める事で「すぐにブレイクで流れが止まる」という不満も無くなる。「足裏以外を地につけてはならない」、相撲は押し出しより寧ろこちらの極意の方が重要だったんだよ。
これは立ち技の実戦性・優位性をひたすら追求するルールだ。分かり易いし、佐山理論を体現出来るのはこれのみだと自負している。アマレスや柔術も「タックルや引き込み→ポジショニング→ニーオンザベリーのパウンド」の必勝パターンを狙えるので参戦可能。
谷川さんの考える方向性とは違うかもですが、「巌流島ルール(活人剣)・ストボクルール(殺人剣)」は正に「活殺自在の両輪」だと自負しております。
●足タックルは「ルールで守られたスポーツの技術」。だからと言って競技ルールで足タックル禁止には出来ないが。足タックル禁止だとキックも禁止にせざるを得ない。そうなってくると最終的に「グレコMMA」になってしまい、それは巌流島が追い求めるものではないだろうから。
これ以上制限項目を増やしたくないというのもあるし、がぶりやカウンターの膝等足タックル対策を磨いてこその「最高峰の打撃」だとも思うしね。
●問題は「ニーオンザバックで一本」を採用するか否かだ。「ルールは思想の反映」という気もするが、まあ余りに呆気無い決着だから無理だろうな。
●骨法は今ナイフ術やってんのかよ! 何か「ストリートボクシング」も「骨法のジャパニーズボクシングのパクり」みたいに2ちゃんで言われたが (言っとくけどオリジナルルールだからね!)、 「模擬ナイフ戦」とか発想一緒でマジ落ち込むわ~。
●http://koppo.jp/ ここにナイフ(小太刀)術の動画ある。 立ち技に拘るとどうしても似てくるんだよな。まあどう見てもクラヴマガほど洗練されてはいない様だが。
●雷神は四角形のリングで室内・道場を表わす。壁有りの有限で内向きの求心力。1対1想定の道場破り対策。グレイシー柔術が核。寝技中心の護身術。「お互いの持ち味を殺し合う」事で「最強」を決めようという「勝利至上主義、勝負論」を追求したものが総合(陰)。
巌流島は円形の闘技場で屋外・路上を表わす。壁無しの無限で外向きの遠心力。1対複数想定の喧嘩対策。セネガル相撲が核。立ち技中心の喧嘩術(処世術)。「お互いの持ち味を生かし合う」事で「最高」のものにしようという「内容重視主義、観客論」を内包したものが巌流島(陽)。
ストボクは円形のサークリルで既出2つの中間を表わす。クラヴマガが核。立ち技中心の護身術。
●「活人剣(巌流島)・殺人剣(ストボク)、活殺自在」こそ「どの格闘技の選手も輝ける公平な異種格闘技戦」という巌流島のコンセプトを反映する思想であり、世の全ての人々に求められる哲学だ。「自我消えて彼我が生まるるその間合い 一は全なり 全は一なり」。