今週のお題…………「私と『大武道』」

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文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)………金曜日担当


 
 
何?  谷川と山口が活字の世界に帰って来た?  二人がタッグを組んで本を創刊した?  懲りないねえ。しぶといねえ。まるでトカゲの尻尾か?  本のタイトルは大武道?  創刊号のテーマは恥とは何か?  両方ともセンスがいい。さすがだ。それだったらさあ、書道家に恥という字を書いてもらいそれを表紙にドカンと載せる。普通、そう考えるけどなあ。まあ、終わってしまったことを後からぐずぐずいうのは負け犬根性。仕方がない。
 
さて、私はその創刊号で恥を定義しろと言われた。ランチをご馳走になりながらである。それも立派な個室。しかも豪勢な懐石料理を食べながらである。オイ、オイ、取材は茶店でいいんじゃないの?  コスト計算しているの?  ちょっと心配になった。ビジネスはローコストこそが基本。そうは言いながらパクパクといただいたよ。美味しい料理には目がないから。
 
しかも調子に乗りやすい。その時、思ったよ。恥について理論的に語る以上、自分の中に起きた恥の体験を語らなかったらウソになる。説得力に欠けるとね。だからしゃべったよ。結局さあ、人を思わず決定的に傷つけてしまったこと。それだよ。良心の呵責。贖罪感覚。それっていつまでも心の中から消えないんだよなあ。恥は自覚症状のことなのだ。
 
中国では「ものに恥とはまず耳にあらわれる」とある。だから耳辺に心なのた。目は視覚として第一情報をキャッチする。それ以上でも以下でもない。目に恥の感覚はない。そうかわかったよ。恥を感じるには目を閉じろだ。視覚の世界を消す。そうして聞こえてくるもの。見えてくるもの。感じて来るものがある。恥のアイデンティティーはそこにあったのだあ。深いなあ。驚いた。谷川、山口は無意識でそのことを察知していたのだ。勘がいい。編集者にとって最も大事な感覚、いや本能だよ。やるねえ。
 
現代は完全なる情報化社会。恥とは無縁な空間。対極にある。忘れ去られたもの。捨て去られたもの。『大武道!』はもしかしたらう極度に進化した資本主義的情報化にNOを突きつけているのかも。そんな気がしてきた。単に谷川、山口の思い付きからスタートしただけなのにね。面白過ぎる。いい加減な性格は時としてクリエイティブなものを生み出す。その典型だ。
 
ところで武道とはなんだろう。武は力で世界を治めることをいう。天下布武のことだ。その武には人を殺す。あるいはその逆として殺される。殺し殺される。それが武なのだ。そういう宿命を生きることになった人間にははたしてどんな道があるのか?  それがつまり武道なのだ。わかりやすくいってしまえば武道とは死道または殺道のことだ。
 
谷川と山口は武道に大をつけて大武道とした。素晴らしいとしか言いようがないよ。このコンビ、ひょっとしたらひょっとするかも。

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