今週のお題…………「私と『大武道』

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文◎山口日昇(元『紙のプロレス』編集長/現『大武道』編集長)………火曜日担当



全国3千万人の『厳流島』ファンの皆さま、こんにちは。
ワタクシ、山口日昇という者です。
 
『大武道!』(東邦出版)という本を出しました。
元『格闘技通信』編集長であり、元K-1プロデューサーであるサダちゃん(谷川貞治氏)と、元『紙のプロレス』編集長であり、元ハッスル代表のボクの、W編集長という体制です。
第一特集は「"恥"を知る!~現代にとっての"恥"とは何か!?~」。
社会的には失敗し、とーーっても恥ずかしい2人が(詳細は各自調査)、今回は「"恥"とは何か!?」を探る旅に出ています。
 
夏前に企画した段階では「前田日明vs山田英司~あの"女子便所説教事件"20年目の真実~」という超危険対談を組もうとも思ったんですが、ザンスさん(山田英司氏)に協力要請をしに行ったら、
「協力はしますよ。かといって、前田日明との対談なんてやりませんけれどもね~」
と一蹴されてしまいました。
ザンスさん、もしかして"達人"?
 
「前田日明vs山田英司」の一戦は今回実現できませんでしたが、今回、ザンスさんには第二特集の「TATSUJIN~はたして達人はこの世にいるのか~」に出ていただいて、ひと味違う"狂いっぷり"を見せてくれています。
いやぁ、おもしろいわ、ザンスさん。
 
その他の内容や概要については先週も触れたので思いきり省きますが、サダちゃんとボクの中には「これからの格闘技シーン、とりわけ日本の格闘技シーンにおいては、"武道"という概念が絶対に必要になってくる」という考えが通底にあったり、サダちゃんのやっている『巌流島』とボクが来年やろうと思っているコンテンツのヘソの緒が、"武道"という概念で繋がっていたりした中で、とにかく我々も"武道"という概念と向き合えたり掘り下げたりしていける媒体、"武道"という概念を知りたい人の入口になれるような媒体が欲しいということで、今回の発刊になりました。
 
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では、なぜいま"武道"なのか!?
 
『大武道!』も、おもしろくないと読者の方々に判断されれば、これ、すぐになくなってしまうわけです。
つまり、コンテンツをつくる側にとっても読む側にとっても、「おもしろいか」か「おもしろくないか」がすべてです。
 
しかし、すべてとはいっても、その「おもしろいか」か「おもしろくないか」の間にはいろんな要素や局面が絡んできます。
「売れるか売れないか」
「続くか続かなないか」
「おもしろいけど売れない」
「つまらないけど売れた」
ということだったりですね。
 
物事には二者択一のようでいて、常にその間の"グラデーション"が見え隠れします。
 
その見え隠れするものが、思想や哲学だったりするわけです。
そして実験や過程や矛盾も含んで見え隠れする"総合的なもの"が、じつは「おもしろいか」「おもしろくないか」の判断材料になったりもするわけです。
 
例えば「強いか」「弱いか」の間だったり、「勝つか」「負けるか」の間にも、じつは"グラデーション"があり、"総合的なもの"があるはずです。
 
でもいまは単純にその競技・カテゴリーの中での「強い弱い」や「勝った負けた」だけの局面しか見えてきません。
 
人間にとって"闘う"ということは、とてつもなく大きなことで、生き方そのものに関わってくることだと思うんですが、"なぜ闘うのか?"の部分が一向に見えてこない。
「絶対に負けられない闘いがそこにはある」みたいなことよく言うけど、いったい絶対に負けられない闘いがいくつあって、勝ったり負けたりしたあとに、いったいどうなんのさ? というのも一向に見えてきません。
 
かつてボクは、もう25年くらい前になりますけど、"世の中とプロレスする雑誌"というキャッチフレーズで『紙のプロレス』という雑誌を立ち上げました。
 
その頃の"プロレス"にも「勝ち負け」や「強い弱い」や「八百長か八百長じゃないか」や「美しいか狂ってるか」の間に"グラデーション"、つまり思想や哲学が見え隠れし、実験や過程や矛盾も含んだ"総合的なもの"としての厚みとおもしろさがありました。
 
現在の「プロレス」は概念的な部分で"総合的なもの"ではありません。
「プロレス」は「プロレス」で終わり。
 
現在の「総合格闘技」も、総合という文字はあるものの、"総合的なもの"でありません。
「総合格闘技」は「総合格闘技」です。
 
だから、"格闘技"あるいは"闘い"というものを捉えるときに、現在の「プロレス」や「総合格闘技」では、何かが足りないのです。
 
その何が足りないかの鍵が"武道"にはたくさんあると思います。
 
格闘技や闘いを"総合的なもの"として捉えていくときの鍵が"武道"にはまだまだあると思うのです。
 
抽象的になっちゃいましたが、そんなこんなを伝えていくために、『大武道!』、続きます!
よろしくお願いします!