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岡田斗司夫の解決!ズバっと 「努力不足が責められるのはなぜ?」

2016/01/27 06:00 投稿

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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2016/01/27
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。

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「努力不足が責められるのはなぜ?」
岡田さん?いいけつしてるよねさん/27歳/会社員

 才能不足を責めるのはタブーな感じで、努力不足を責めるのは許されがちなのはなぜでしょうか?
 努力が不足するのは精神的に努力することが難しい状況にあることが多いと思うので、才能批判に匹敵するくらい厳しい意見だと思うのですが。

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 この質問文 自体の構造に、面倒くさい感じがあるんだよね。
 
 この人は、「才能不足を責めるのはダメなのに、なぜ努力不足を責めるんだよ!」と文句をつけているわけだ。
 つまり、文句が目的の質問だね。
 でもさ、「努力も才能のうち」なんだよ。


■批判に正当性について考えてみる

 もっと極端に考えてみよう。
 脚が不自由な人に「走れ!」と言っても正当性がない。
 でも健康なのに走らない人に「走れ!」と言うのは正当だよね。

 つまり、批判の正当性に関係している。
 この人は「どんな理由でも、自分が文句をつけられる事に納得できない」という意見に近い。
 この人が納得できないのは、努力不足に関しての批判ではなくて自分に対する批判なんだろうと思う。

 才能って、人の何倍か努力をすれば、他の人より数パーセント伸びるものだと思うんだ。
 なので「才能があること」と「努力も才能のうち」は確かにその通りの部分はある。
 才能が豊かにある人ほど、豊かな青春時代を送っていない傾向にあると思うけどね。
 

【まとめ】
 「努力も才能のうち」という言葉もあります。
 まずは批判に対して正当性があるかを考えましょう
 

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