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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
「宗教があくどい商売に見えます。」
なぜ、無償の愛にお金が必要なのでしょうか?
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個人でやるときは、自分で自分を食わす程度に稼げればいい。
でも活動にした瞬間に「お金は必要だ」と思うようになるよ。
『駆込み女と駆出し男』の原作になってる小説だね。
夫と離婚したい女の人が駆込んできて、その寺の中に1歩でも入ったら、2年間の離婚生活が保証されるという制度があった。
その資産を運用しながら、金貸しをしていたから。
「無償な愛にお金が必要」じゃなくて、「本当に“無償の愛”を必要としている弱者を助けるには、お金が必要」なんだ。
無償の愛を提供する運動に参加するには、参加費が必要になってくると思う。
つまり、無償の愛を与えるにはお金が必要。
その団体に1000円を渡すと、弱者に100円渡る。
つまり、10%還元率だと90%は主催者側にとられちゃう。
これを「あくどい」と考えるかどうか。
世の中の社会運動や社会奉仕のグループに1000円渡して、弱者に100円渡ったら、かなり効率がいい社会運動だと思う。
もう10%なんてものじゃない。
数%しか払われない。
ホワイトバンドを買って手につけると、300円は100%、幻冬舎の子会社へ渡る。
幻冬舎の子会社から、そこの会社のキャンペーンに使われるだけ。
だから僕らはホワイトバンド運動をして、弱者の役に立ってるつもりだけど、実は宣伝にしか役に立ってない。
でも、わずか5%や10%でも還元率があるだけマシだと思う。
その還元率に差があって、そこで「あくどいか、あくどくないか」が見分けれるだけ。
あとはお金の還元率の問題です。
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