自分と同じ立ち位置にいる人に対してなら、理屈も、気持ちも、共有するのは簡単でしょう。
いわゆる家族型社交になるわけですから。
しかし、それ以外の人に、どんなに一生懸命自分の意見の正当性を述べても、なかなか理解してもらえません。
なぜなら、違う立ち位置と話す時点で、公共型社交の場が生まれているからです。
では、どうすれば公共型社交で通じる話し手になれるのでしょう?
ユニバーサル・トークでは、あえて自分の意見について最後の最後まできれいにまとめる必要はありません。
むしろ、自分が共感できない、もしくは自分とケンカになるかもしれない人たちのことを徹底的に考えるんです。
どこまで徹底的かというと、相手の意見に「共感」し、自分の言葉に再構築するまでです。
「それでは、自分の意見を押し通せないのでは?」
おっしゃるとおり。
しかし、がっかりしないでください。
この段階においてはそれでいいんです。
それがユニバーサル・トークの基本です。
少人数で話すときのユニバーサル・トークは、自分が一方的に話すのではなくて、相手に意見を求めていって、相手の顔色を見ながら……、と言うと表現としてネガティブですが、どれぐらい共感してくれているか、賛成してくれるのか推し量りながらつくっていくものです。
A~Dの対立した立ち位置があって、自分の考えはDとします。
対立する相手の意見を徹底的に考え、共感し、再構築するというプロセスを通ってみましょう。
極端にまとめると次のようになります。
「確かにAもわかるよ(共感)A’だもんね(再構築)」
「確かにBもわかるよ(共感)B’だもんね(再構築)」
「確かにCもわかるよ(共感)C’だもんね(再構築)」
なぜ、このようなプロセスを通る必要があるのでしょう?
人間というのは、相手が共感してくれた分、そのお返しとして自分の中にも相手に対して共感する余地が生まれるものです。
ここまでくれば、自分の意見を理解してもらうのも簡単になってきます。
次のように主張するんです。
「AとBとCの考え方もよくわかる。
だから、それぞれの主張を取り入れながら、D’という方向性を探るのはどうだろうか?
あるいはEという方向もあるよね」
これがユニバーサル・トークです。
ユニバーサル・トークというのは、自分の考えDを是が非でも通そうとするテクニックではありません。
みんなの意見を取り入れて一つになるように、再構築したA’とB’とC’をひっくるめて D’やEのような答えをつくることなんです。
具体例については、章末のコラムにまとめています。
▼意外とシンプルな共感の仕組み
こうして見るとユニバーサル・トークの共感のプロセスはすごく理屈っぽく感じます。
しかし、1対1の場面で考えてみると、もう少しスッキリするのではないでしょうか?
刑事ドラマか何かで、刑事と犯人の次のようなシチュエーションを見たことがあるはずです。
「だからあなたは彼を殺してしまったんですね。
私が君の立場だったらきっと……。
早くにお父さんを亡くされたあと、女手ひとつで育ててくれたお母さんがあんなことになったんだから。
あなたはもう1人の被害者だと言ってもいい」
「け、刑事さん……!」
「しかし、あなたが死に物狂いで究極のラーメンをつくったように、私も刑事という職責に誇りを持っています。
だから、どうしてもあなたの腕に手錠をかけなければならないのです」
「わかりました……」
みたいな、犯人が情にほだされるようなものだと考えください。
できるだけ批判する言葉ではなくて、「わかるよ、その気持ち」と感情を乗せて言葉をつくっていくんです。
僕が「朝日新聞」で連載している「悩みのるつぼ」という人生相談コーナーもユニバーサル・トークで考えています。
相談者の考えに対して、「あなたの考えは間違っている! だから私の言うとおりにしろ!」と伝えてしまうと、相手は絶対に動きません。
「あなたはこれを選んだんですね? わかりますよ」と共感し、僕の意見を伝えることでやっと相談者の足元をぐらつかせることができるんです。
これが伝わる瞬間です。
結局、それぐらいしか人間にはできませんが、それで十分なんです。
それが共感であり、わかる、伝わるということなんです。
頭の回転が速い人の話し方
――あなたの会話力が武器になるユニバーサル・トーク×戦闘思考力
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