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あなたが今つらいのは、秘密を打ち明けて相談できる相手がいないからなんです。
年末にはクリスマス、年始には年賀参り。
家族が死んだらお坊さんを呼んで葬式をあげて、結婚式は教会。
こんな無節操な私たちとは違い、世界の大多数の人たちは宗教を、つまり神様を信じています。
神様のせいで人類は悲惨な戦争を何度も経験しました。
いまもなお、宗教の対立で中東では紛争が絶えませんし、インドでは身分差別が当たり前です。
しかし、神様を信じることにはメリットもあります。
「道徳的になれる」というメリットです。
神様を信じてる人たちなら、あなたのような悩み方はしません。
聖書や戒律に反することなら、問答無用でダメです。
行いをただす。
つまり、これまでのウソをバイト上司に告白する。
そして、辞めていった元同僚にも謝らないとアウトです。
そうしないと、神はゆるしてくれません。
たとえ自分に不利な行動であっても「正しいかどうか」で選択できる。
そういう人たちが集まることによって「安全な社会」が低コストで維持できる。
これが宗教のメリットです。
もちろん、宗教抜きでも「正しい行動」「安全な社会」は可能です。
でも、それには自分が信じる強い意志が、つまり「なにが正しいか常に考える」「間違ったことはしない」ということが必要です。
現実には「神様による正しさの保証」なんて、存在しません。
結局、いつも市民たちは話し合いで「これでいいのか?」と、検証せざるをえません。
だから、神も自分自身も信じ切れない私たちは、罪悪感に苦しんだとき「周囲」に聞いてしまうんです。
あなたは自分の行動に疑問を持ってしまった。
つまり自分の判断を信じ切れない。
宗教のある社会なら、あなたの悩みにはこう答えてくれるでしょう。
どんな結果になっても神はあなたを愛している。
宗教を持たない私たちの回答はこうなります。
だからどうするかは任せる。
どんな結果になっても、私たちは友達だから大丈夫。
神も自分自身も信じられないなら、友達を作りましょう。
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