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あなたが今つらいのは、秘密を打ち明けて相談できる相手がいないからなんです。
神様のせいで人類は悲惨な戦争を何度も経験しました。
いまもなお、宗教の対立で中東では紛争が絶えませんし、インドでは身分差別が当たり前です。
しかし、神様を信じることにはメリットもあります。
「道徳的になれる」というメリットです。
神様を信じてる人たちなら、あなたのような悩み方はしません。
聖書や戒律に反することなら、問答無用でダメです。
行いをただす。
つまり、これまでのウソをバイト上司に告白する。
そして、辞めていった元同僚にも謝らないとアウトです。
そうしないと、神はゆるしてくれません。
たとえ自分に不利な行動であっても「正しいかどうか」で選択できる。
そういう人たちが集まることによって「安全な社会」が低コストで維持できる。
これが宗教のメリットです。
もちろん、宗教抜きでも「正しい行動」「安全な社会」は可能です。
でも、それには自分が信じる強い意志が、つまり「なにが正しいか常に考える」「間違ったことはしない」ということが必要です。
現実には「神様による正しさの保証」なんて、存在しません。
結局、いつも市民たちは話し合いで「これでいいのか?」と、検証せざるをえません。
だから、神も自分自身も信じ切れない私たちは、罪悪感に苦しんだとき「周囲」に聞いてしまうんです。
あなたは自分の行動に疑問を持ってしまった。
つまり自分の判断を信じ切れない。
宗教のある社会なら、あなたの悩みにはこう答えてくれるでしょう。
宗教を持たない私たちの回答はこうなります。
岡田斗司夫のニコ生では言えない話
岡田斗司夫の解決!ズバっと 2015/06/14
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おはよう! 岡田斗司夫です。
昨日のメルマガで朝日新聞『悩みのるつぼ』の相談文をお届けしました。
今日は、いよいよ回答文もお届けします
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相談 「罪悪感希薄な私」
19歳女性です。
私はバイト先で、大きなミスをしました。
しかし、店長に報告するタイミングを逃し、何もしないまま一日が過ぎました。
次の日バイト先に行くと、その失敗をしたのは私と同い年のバイトの子という話になっていました。
彼は、いちばん怪しかったために周りから疑われたのです。
彼自身も店長に問いただされたときに、はっきり否定しなかったそうです。
結局、周囲はミスをしたのは彼だと思い込み、しばらくして問題も解決したので、事態は収まりました。
私は犯人に彼の名前が上がった時、ほっと胸をなでおろしました。
これで自分が失敗したことは隠し通すことができると。
そして、ミスや店長に黙っていたことに対する罪悪感も薄らぎ、失敗について忘れることができました。
それで、私が今まで失敗をきちんと報告していたのは、言うタイミングが用意されていたにすぎないということに気づきました。
つまり、私は罪に問われなければ告白をしない。
それ自体を忘れ去って、のうのうと暮らしていける人間だったのです。
しばらくして、彼が急にバイトをやめたとき、ようやく自分は何か悪いことをしたのではないかと思いました。
何かが起こらないと罪悪感に襲われない自分をどうにかしなくては、後々に取り返しのつかない恐ろしいことになるのではないか。
そんなことを不安に思い、つらいです。
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岡田斗司夫の回答文
あなたが今つらいのは、秘密を打ち明けて相談できる相手がいないからなんです。
大半の日本人は特定の宗教を信じていません。
年末にはクリスマス、年始には年賀参り。
家族が死んだらお坊さんを呼んで葬式をあげて、結婚式は教会。
こんな無節操な私たちとは違い、世界の大多数の人たちは宗教を、つまり神様を信じています。
年末にはクリスマス、年始には年賀参り。
家族が死んだらお坊さんを呼んで葬式をあげて、結婚式は教会。
こんな無節操な私たちとは違い、世界の大多数の人たちは宗教を、つまり神様を信じています。
神様のせいで人類は悲惨な戦争を何度も経験しました。
いまもなお、宗教の対立で中東では紛争が絶えませんし、インドでは身分差別が当たり前です。
しかし、神様を信じることにはメリットもあります。
「道徳的になれる」というメリットです。
神様を信じてる人たちなら、あなたのような悩み方はしません。
聖書や戒律に反することなら、問答無用でダメです。
行いをただす。
つまり、これまでのウソをバイト上司に告白する。
そして、辞めていった元同僚にも謝らないとアウトです。
そうしないと、神はゆるしてくれません。
たとえ自分に不利な行動であっても「正しいかどうか」で選択できる。
そういう人たちが集まることによって「安全な社会」が低コストで維持できる。
これが宗教のメリットです。
もちろん、宗教抜きでも「正しい行動」「安全な社会」は可能です。
でも、それには自分が信じる強い意志が、つまり「なにが正しいか常に考える」「間違ったことはしない」ということが必要です。
現実には「神様による正しさの保証」なんて、存在しません。
結局、いつも市民たちは話し合いで「これでいいのか?」と、検証せざるをえません。
だから、神も自分自身も信じ切れない私たちは、罪悪感に苦しんだとき「周囲」に聞いてしまうんです。
「私は、これでいいのかな?」って。
あなたは自分の行動に疑問を持ってしまった。
つまり自分の判断を信じ切れない。
宗教のある社会なら、あなたの悩みにはこう答えてくれるでしょう。
勇気をもって、信じるように行動しなさい。
どんな結果になっても神はあなたを愛している。
どんな結果になっても神はあなたを愛している。
宗教を持たない私たちの回答はこうなります。
けっきょく決めるのはあなただよ。
だからどうするかは任せる。
どんな結果になっても、私たちは友達だから大丈夫。
神も自分自身も信じられないなら、友達を作りましょう。
だからどうするかは任せる。
どんな結果になっても、私たちは友達だから大丈夫。
神も自分自身も信じられないなら、友達を作りましょう。
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