Q6「就職どころか働きたくないのですが、どうしたらいいでしょうか?」
自分には、会社に毎日通ってまじめに働くなんてムリ。いや、もっと極端に、ぜんぜん働きたくないと考えている人もいると思います。
当たり前ですが、働けない、働きたくないとなれば、だれかの世話になって生きていくしかありません。不労所得が十分にある人以外、だれかに養ってもらわないかぎり、働かないことは選択不可能ですから。
だれかの世話になれるという人の場合、そのだれかが具体的に、自分の頭の中で特定できるはずです。親なのか、配偶者なのか、おじいちゃんおばあちゃんなのか、兄弟なのか。
幸いにも養ってくれそうな人が思いつく場合は、自分はその代償として、その人のケアをするしかありません。とにかく感謝して、こまめにご機嫌をうかがい、嫌がることは絶対にしない。
かわいいペットになりきる、ということですね。
それがうまくできない人は、養ってくれる人から小言を言われつづけて不快な毎日を過ごしたあげく、追い出されるのが関の山です。
まとめますと、養ってくれそうな人がいて、しかも、その人の機嫌をちゃんととれる自信がある場合のみ、この生き方をおすすめします。
そういった人がまったく思いつかない、頼る先がないとなれば、それはもう自分のコミュニティ不足と考えるしかありません。
それでも、どうにかして、と言うなら、「働くこと」には入らないような、小さなことをするという方法があります。
たとえば、マンガ業界にはメシスタント(飯担当)という言葉があります。文字どおり、ごはんをつくるだけのアシスタントのこと。マンガを描く作業は、何も手伝わない。あまった時間は、資料として置いてあるマンガを楽しく読んでいるだけ。
マンガ家から見れば、そいつは作品に関しては何も作業をしていないけれど、自分の役には立っている。そういった、仕事とは呼べないような、隙間みたいな仕事。
まるで「お母さん的な仕事」、お手伝いと呼べるような仕事は、案外と世の中にはいっぱいあります。これを三〇個とか五〇個とかではなく二、三個だけこなして、あとはその手伝っている先に養ってもらう。
そうすれば「働かない」にかなり近い状態が生み出せます。
じつは、先ほど説明した「養ってくれそうな人がすでにいて、その人の機嫌をとることができる人」というのは、こういった小さな仕事をさりげなくこなせる人である場合が多いのです。
これこそ、この本で紹介した「愛されニート」ですね。
そんな小さなことすらいっさいやりたくない、ずーっと遊んでいたい、ずーっとゲームをしていたい、ずーっと絵だけ描いていたい……。
でも、「養ってくれそうな人」のアテもない場合。
働かないという選択肢なんてさっさとあきらめたほうが、精神的にもかえって苦しくないと思いますよ。
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