「芸術とわいせつの境界線」
【質問】
“以前、岡田先生が、取り上げておられた、『ろくでなし子』さんが逮捕されました。自分の女性器を型どったマンボート製作費用で3千円以上寄付された方へ 自分の女性器の3Dデータの配布したことが、わいせつ電磁的記録頒布の疑いをかけられ逮捕されたとのことです。芸術とわいせつの境界線はとても難しいと考 えていますが、岡田先生は本件は当局が主張するような違法性があるとお考えですか?”
【回答】
わいせつ物陳列罪、という法律がある以上、そりゃ違法に決まっています。
違法だけど逮捕する意味あるのかよ、というばからしさがこの事件の本質だと僕は思ってるんですけど。
芸術とわいせつの境界は簡単ですよ。
芸術でもわいせつなモノは在る。
芸術だからと言って、わいせつ罪から逃れられると思ったら大間違い。
それがよくないと思うなら、さっさと法を変えてわいせつ物陳列罪などという法律を無くせば良いだけです。
憲法を変えずして集団的自衛権、という議論がありますよね。アレも同じです。国家の利益になるから、という理由で憲法を歪めるのはバカのすること。
同様に、芸術のために法の解釈を翻意的にする、たとえば芸術だからわいせつじゃないとか、そういう議論はとてもバカらしいと思います。
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非公開さん/39歳/独身のサラリーマン/ブロマガ会員
「相手のことが「分かる」というのはどういうことか」
【質問】
“相手と話をしている時に、相手のことが「分かる」っていうのは、どういうことか分からなくなってしまう事がたびたびあって悩んでいます。自分が「分かっ て」いるというのは、単なる自分の思い込みで、分かったつもりになっているのかもしれないと思ってしまいます。「分かって」いないと思ってばかりいると、 相手と親しくもなれないし、会話もできませんから適当に分かった振りをするのですが、どうしても何かの罪悪感に耐え切れなくなって、何もかも自分は分から なくてもいいとさえ思ってしまいます。
どうしたら楽になるのでしょうか。”
【回答】
わかる、というのは「カテゴリ分けできる」ということです。
自分自身のことさえわかんないんだから、他人のことがそこまで深いレベルでわかるはずがありません。
なにより、誰もが「昨日、なんであんなこと言っちゃったんだろう?」という経験がありますよね?つまり「昨日の自分は、今日の自分には理解できない」ということだって普通にあるんです。
だから、人を理解する、というのは常に浅薄で表層的です。
それでかまわない。それでいいんです。
深く人を理解したいとか、理解したと思ったりとか、そういうほうが不遜だと思うんですけどね。
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