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今回は、ニコ生ゼミ6月23日分(#287)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【NHK朝ドラ『なつぞら』を語る 2 】 ついに登場! やっぱりモテモテだった高畑勲」
下山さんが用紙をセットする時に、使ってるんですけど。
こういうふうに、アニメーションの作画用紙上に3つ穴が空いていて、ここにピッタリ入るようになっている。
これだけのものなんですけども。
何が技術革新だったかと言うと、それまでは “隅合わせ” と言う、要するに紙をまとめて、端っこをヘアピンかなんかで止めていたんですね。
これでも作画が出来ないことはないんですけど。
やっぱり紙って、同じところで買っていても、それぞれの形というのは、そんなにね均一じゃないんですよね。
紙の角も完全に直角ではないし、裁断の時のタイミングによって、幅も高さも微妙に1ミリくらいの差があるんですよ。
なので、実は、隅合わせをしていると、徐々に徐々に狂ってきちゃうんですね。
当時、アメリカのアニメスタジオでは、このタップというのが使われていたんですけど、たぶん、今、なつ達が使っているタップは、アメリカから輸入している高級品なんですよ。
まだまだ国産で作られる時代ではない。
ここから先、町工場とかに依頼して作ってもらうようになって、ようやっと安くなるんでしょうけども。
このタップによって正確に紙を重ねることが出来るようになり、たとえば「キャラクターの腕だけを動かす」とか、「口パクだけ動かす」とか、もしくは “ブック” と呼ばれる「背景が前にあって、そこからヌッと顔を出す」というアニメを作る時に、絶対にズレないように組セルが出来る、と。
劇中では、新人の演出助手の坂場という名前なんですけども。
この男が、下山に対して「この絵、動きがおかしくないか?」と、質問に来ます。
この、なつが描いた「馬が坂を駆け下りる」というシーンの、作画がおかしくないかと言ってくるんです。
もう、俺はこのキャラクターを高畑勲として見てるから、以降は「高畑勲」と呼びますけど。
なつは、それに対して、一生懸命「いや、ディズニーのアニメではこういうふうになっている」とか、「キャラクターだ。性格だ」というふうに説明するんですけども。
高畑が言いたいことは「デフォルメするんだったら、まず、正確なデッサンをしてからにしてくれ」と。
たとえば、「急な坂を馬に乗った人が駆け下りる時、乗っている人物が怖くないんだったら、馬にはちゃんと怖がっているように見せろ」と。
さらに「怖がっているということを “表情” で見せるな」と。
「怖がっている顔で伝えたら、それは説明であって、表現ではない」というのが高畑勲の主張なんですよ。
なかなか厳しいですね。
本当の事を言えば、彼は正確なデッサンを元にしてデフォルメをして欲しいわけですね。
「馬が怯えているというのを表情だけで見せるのは手抜きだ」というのが高畑勲の主張なんです。
ディズニーは、『バンビ』において、スタジオ内に馬とか鹿を持ち込んで、スケッチをやってるんですよ。
高畑勲が望んでいるのは、このレベルなんですよね(笑)。
「それが出来ないんだったら、変に中途半端な動きで馬なんか出すな!」という考えなんですよ。
「馬を出すからには真面目にやれ!」と。
これを突き詰めて行った結果、『かぐや姫の物語』は大変なことになったんですけども(笑)。
基本的に、高畑勲というのは、もう最初から主張が変わらない。
そういうふうに考えているんですね。
で、「いや、露木さんの意見です」と言われたら、渋々「直す」と答えるんですよ。
これで、一応は解決するんですけども。
結局、高畑勲がここで言っている「現実的なリアリティを追求すべきか、アニメにしかできない表現を目指すべきか?」というのは、高畑勲の遺作、もう死ぬ何年か前に完成した『かぐや姫の物語』で、ようやっと達成されたようなものなんですけどね。
この後、高畑勲くんは、制作課に帰って、露木に報告するんですよね。
「今、こういうふうになっています」と。
すると、「よくプライドの高い絵描き達を納得させたなあ」と驚かれるんですね。
もう、この段階で、本当に対立が生まれてきているのがわかります。
前に話した「スタッフ全員で今回のアニメのキャラクターを作ろう!」という集まりの中に、演出は参加してなくて、演出には「このキャラクターで行く」という決定事項だけを事後承諾させる形になってしまっているという、この歪み。
後に、労働争議の中で出来ていくセクト主義も、ここに現れていると思います。
ただ、フランス文学科というのは、小説をやるのではなくて、“フランス文学” という哲学を行うから、まあ、事実上は哲学科と言ってもかまわないんですけども。
この仕上げ部にいる女性たちは “お嫁さん候補” であり、その中の女性たちは、作画とか制作の中で偉くなりそうな男達、出世しそうな男達に対して…
…まあ “狩場” って言うんですかね?
自分達をアピールして有利な結婚をする場でもあった、と。
ももっちには、この感覚があるので、なつの世間知らずぶりを笑っているんですね。
高畑勲も爪弾きにされるのではなく、モテていました。
「仕上げの女の子が順番でお弁当を作って持って来た」というふうに言われるくらい、モテモテでした。
じゃあ、宮崎駿はその時どうだったのかというと、高畑勲が後に「あの顔でしょ? 無理ですよ」って言ってたんですけど。
背が低く、メガネがやっぱりハンデだった時代なんですね。
なので、宮崎駿は全然モテずですね、高畑勲はモテモテだったそうです。
そういうふうな部分も頭に入れておくとですね、ももっちのあのセリフも、なかなか味わい深く聞けるのではないかと思います。
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