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今回は、ニコ生ゼミ03月24日(#274)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史 2 】 ピエール瀧も大好き! コカインの真実」
つまり「ドープと呼ぼう、コカ・コーラ!」だった。
ドープというのは “薬品” のスラング。
ほら、薬物とかを使ってスポーツで記録を出したりする時に「ドーピング」って言うじゃん?
あのドーピングのドープというのは、薬品っていういう意味なんだけど。
もともと、コカ・コーラというのは、売り場では「ドープ(麻薬)」というあだ名で呼ばれてたんです。
本当にね、最初イヤイヤ取り除いたんだよね。
世間が色々と「コカインは良くない!」と叫ぶ、と。
当時の社長としては「コカ・コーラの中に入っているコカインなんて、ごく微量であって、あれだけしか入ってなかったら害なんてないのに!」と思いながらも、会社の他の取締役や営業から、散々「コカインを抜いてくださいよ! 今、世間ではエラいことになってますよ!」と言われて、「本当は嫌だけど、しょうがない。抜くか」と言ってコカインを抜いんたんですけどね。
まあ、これ以上、違法薬物のイメージを広げたくない、と。
なので「ドープ」と呼ぶこともやめさせようとして、コークという新たな呼び名を付けたんです。
まあ、モルヒネ中毒者だったんですけども。
彼が万病を治す万能薬として、コカ・コーラを開発しました。
この時、博士が患者としてターゲットにしてたのは、富裕層の男女だったんですよ。
これによって “都市生活でのストレス” というのが生まれたんですね。
それまでは「日が昇ったら起きて農場へ行って働いて、日が沈んだら家に帰って、雨が降ったら休む」という、自然の世界で過ごしていたところから、もうアメリカ人の9割が「みんな街に行って工場で働く」という、時間通りに動かなきゃいけなくなって、これが大変なストレスになったんです。
その結果、都市化によるストレスで “神経症” を訴える人が激増しました。
「不安がすごくて眠れない」とか「頭痛がする」っていう。この神経症という言葉も、当時のアメリカで生まれました。
つまり、当時の神経症というのは、ある種 “セレブの証明” みたいなものだったんですよ。
自分がセレブであることの証明として「不安で眠れなくて」とか言ったり、「自信がなくて」って言ったり、「頭痛がする」と言っていた。
なぜかというと、それがお金持ちの証明だったような時代だったからなんですね。
「農業ではなく工業で儲けている」という証拠だったわけです。
炭酸水。
あれは、当時、ヨーロッパでないと採れなかったんです。
当時のアメリカにはそんなの湧いてなかったから、ヨーロッパの温泉に行ったり、そういう水源に行って飲むしかなかった。
なので、「炭酸水を飲むのは健康にいい」という民間療法も流行っていた。
その結果、天然の炭酸水だけでは供給が追いつかなくなってきて、早速、ドイツで “人工炭酸水” というのが作り出された。
「固定された空気」というふうに言われたんだけど。
アメリカにも、その機械がやってきた。
ヨーロッパの貴族たちも、消化不良や頭痛薬として、炭酸水を飲んでる。
本当にね、当時、炭酸水というのは薬局で売ってたんだ。
炭酸水のタンクが置かれて……もしくは、炭酸水の発生器を直接置いたところもあるんだけど。
それらは「ヨーロッパの天然の泉(ファウンテン)」というのをイメージさせるために、“ソーダ・ファウンテン” と呼ばれた。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかで、よく学生がソーダやコーラを飲んだりしているところあるじゃん?
あれをソーダ・ファウンテンて言うんだけど。
あれが薬局にあるのはなぜかというと、もともとは薬品だったから。
「炭酸水を飲むだけで消化不良が治った」とか、「頭痛が治った」と言われていたので、薬局の隅にソーダ・ファウンテンというのが作られて、それが段々大きくなってきて、そういったファーマシー(薬局)というのが、段々と若者の社交の場みたいになっていった。
ここは後にコカ・コーラを世界で初めて発売する場所だよね。
博士がガーッと新聞をめくると、まあ、1面だけは普通の新聞記事なんだけども、2面3面4面と全部、インチキ薬の宣伝です。
……まあ、自分でも、そんな薬を調合しているけど。
「インチキ薬の宣伝ばっかりだ!」と思いながら、新聞をめくっていると、ようやっと、ペンバートン博士は目当ての記事を見つけました。
広告の隅に埋もれるようにして、アトランタ市議会のニュースが載っていたんです。
アトランタ市議会は、その当時 “禁酒法” 「酒を禁じる」という法律を、全米アメリカに先んじて可決しようとしていたんです。
すると、南米ペルーから届いた荷物の中には、魔法の植物であるコカの葉と、そのコカの葉からコカインを抽出するろ過器のセットが入っていたんです。
「いきなり酒が飲めなくなったら、みんなどうする? 酒屋に行くんじゃなく、薬局のソーダ・ファウンテンで “酒みたいなもの” を飲もうとするだろう」と。
「ならば、この魔法の葉っぱコカから抽出したコカインで、究極のドリンクを作ろう! それは美味しくて、おまけに健康によくて、万病に効く! そんな夢の飲み物が出来るはずだ!」って思ったわけだよね。
まあ、そうだよね。
コカインなんだから(笑)。
いわゆる、精神分析のフロイト博士だよね。
そのジークムント・フロイトも、コカインを万病薬として、ものすごく褒めていました。
というか、褒めるどころか、自分に処方して、おまけに患者にも処方して、もう、コカイン中毒患者を山のように作っちゃったんだけど。
フロイトは、婚約者のマルタ・ベルナイスという女の子に、こんなとんでもないエロ手紙まで送ってます。
「全く、コカインは素晴らしい! 男性の機能まで強くしてくれる! 次にお前に会った時、お前が真っ赤になるまでキスをして、それからコカインの機能でたくましくなった俺の男で、ひーひー言わしたるからな!」ってこれ、本当に、こういう手紙が残ってるんですよ。
マリアーニは “ビン・マリアーニ” という名前の、コカイン入りワインを発売しました。
彼もコカイン中毒者だったんだけど。
この『コカ・コーラ帝国の興亡』という本を書いたマーク・ペンダグラストという人は、「それは信仰心じゃなくて、コカイン中毒だからだよ!」って、メッチャキツいツッコミを入れています。
ところが、その直後、アトランタ市議会は、全米に先んじて禁酒法を成立させます。
アトランタでも、この禁酒法が始まる前に、一応、1年間か2年間の猶予期間があったんだって。
その間にも、「酒が飲めなくなる!」ということで “禁酒ドリンク” というのが流行り始めました。
酒屋で一杯やれなくなった男女も、今度は酒屋ではなく薬局のソーダ・ファウンテンで、何か代わりのものを求めるはずだ。
「酒が飲めなくてイライラする。このイライラを収めるものをくれ!」と。
そこで、ペンバートン博士は、自分のフレンチワイン・コカからアルコール成分を抜いたものを、ソーダ・ファウンテンで売るということを思いつきました。
当時の値段で5セントって、まあ、酒の5分の1から10分の1くらいの値段なんだ。
なのに、酒より遥かに気持ちよくなれるんです。
それも当たり前で、当時のコカ・コーラは原液でしか発売しなかったんですね。
ソーダ・ファウンテンの薬局のオヤジには「その原液を炭酸水で20倍に薄めて売ってくれ」って言ったんだけど、この「何倍に薄めるか?」というのは、オヤジ次第だったんだよ。
なので、どこの店でも、ちょっとチップもらったら4倍の比率で出すとかして、メッチャ濃いのをガンガン出していた。
なので、そりゃあもうね、コカイン成分のおかげで、あっという間に男女ともに気持ちよくなっちゃったんだよね。
すると、子供はもう、全然まっすぐ歩けなくなって、家に帰った後も、3日くらい目がランランとして興奮し、眠れなかったそうなんだけど。
この「子供にコカ・コーラを飲ませて眠れなかった」という事件は、後にコカ・コーラ裁判があった時に、「有毒なコカインでアメリカの子供を中毒にした」ということで、訴訟されることにもなりました。
こういうことが色々あったので、コカ・コーラからはコカインが抜かれることになったんだけど。
それでも、まだ当時は、コカインの中毒性や有害性が知られる前だったので、この魔法の薬コカ・コーラは売れに売れました。
なので、バカ高いモルヒネを買うために、誰彼構わず「一緒にコカ・コーラで一儲けしないか?」と持ちかけて、小さい会社を作りまくっていたんです。
フランク・ロビンソンは「コカ・コーラ」の名付け親です。
「もう、コカの葉とコーラの実だから、コカ・コーラでいいじゃん」と言って、コカ・コーラという名前をつけた。
あと、有名なコカ・コーラの筆記体のロゴデザイン。
リボンみたいになっているこのデザインも、彼が作りました。
エイサ・キャンドラーも、コカ・コーラ社の権利を手に入れ、結局は、彼がアメリカ中にコカ・コーラを広めた2代目の社長になりました。
コカ・コーラを発明したジョン・ペンバートン博士は、発明してからたった2年で死んでしまいます。
コカイン中毒というか、まあ、その他の複合症で。
その後、コカ・コーラ社を乗っ取ったエイサ・キャンドラーは、ペンバートン未亡人に、お見舞金すらも出さず、もちろん、何の権利も与えずに、会社を自分のものにしました。
しかし、そのエイサ・キャンドラーも、20年も経たずに次の人に会社を乗っ取られることになります。
キャンドラーというのは、悪いヤツというか、エグいビジネスマンだったんだけど、コカ・コーラへの愛に関しては、発明した博士以上だったんだ。
だから、ペンバートン博士を軽んじたんだけど、その発明品であるコカ・コーラは徹底的に守ろうとして「オリジナルレシピでなければならない!」って言い続け、オリジナルレシピに手を入れたがらなかった。
コカインの有害性にマスコミが騒いだ時も「コーラ1杯あたり5ミリグラムという量は有害とは言えない! カフェインの分量も紅茶以下だ! 誰が紅茶を有害と言う!?」って言ってたんですね。
しかし、コカ・コーラ社幹部の説得で、ついに1900年、オリジナルレシピからは “X-4” と呼ばれたコカインは取り除かれることになりました。
コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史その2、ピエール瀧も大好きなコカインの真実が。
そうそう。
コカインは全然入ってない。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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