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「【コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史 2 】 ピエール瀧も大好き! コカインの真実」
ドープというのは “薬品” のスラング。
ほら、薬物とかを使ってスポーツで記録を出したりする時に「ドーピング」って言うじゃん?
あのドーピングのドープというのは、薬品っていういう意味なんだけど。
もともと、コカ・コーラというのは、売り場では「ドープ(麻薬)」というあだ名で呼ばれてたんです。
本当にね、最初イヤイヤ取り除いたんだよね。
世間が色々と「コカインは良くない!」と叫ぶ、と。
当時の社長としては「コカ・コーラの中に入っているコカインなんて、ごく微量であって、あれだけしか入ってなかったら害なんてないのに!」と思いながらも、会社の他の取締役や営業から、散々「コカインを抜いてくださいよ! 今、世間ではエラいことになってますよ!」と言われて、「本当は嫌だけど、しょうがない。抜くか」と言ってコカインを抜いんたんですけどね。
まあ、これ以上、違法薬物のイメージを広げたくない、と。
なので「ドープ」と呼ぶこともやめさせようとして、コークという新たな呼び名を付けたんです。
この時、博士が患者としてターゲットにしてたのは、富裕層の男女だったんですよ。
それまでは「日が昇ったら起きて農場へ行って働いて、日が沈んだら家に帰って、雨が降ったら休む」という、自然の世界で過ごしていたところから、もうアメリカ人の9割が「みんな街に行って工場で働く」という、時間通りに動かなきゃいけなくなって、これが大変なストレスになったんです。
その結果、都市化によるストレスで “神経症” を訴える人が激増しました。
「不安がすごくて眠れない」とか「頭痛がする」っていう。この神経症という言葉も、当時のアメリカで生まれました。
つまり、当時の神経症というのは、ある種 “セレブの証明” みたいなものだったんですよ。
自分がセレブであることの証明として「不安で眠れなくて」とか言ったり、「自信がなくて」って言ったり、「頭痛がする」と言っていた。
なぜかというと、それがお金持ちの証明だったような時代だったからなんですね。
「農業ではなく工業で儲けている」という証拠だったわけです。
なので、「炭酸水を飲むのは健康にいい」という民間療法も流行っていた。
その結果、天然の炭酸水だけでは供給が追いつかなくなってきて、早速、ドイツで “人工炭酸水” というのが作り出された。
「固定された空気」というふうに言われたんだけど。
アメリカにも、その機械がやってきた。
ヨーロッパの貴族たちも、消化不良や頭痛薬として、炭酸水を飲んでる。
本当にね、当時、炭酸水というのは薬局で売ってたんだ。
炭酸水のタンクが置かれて……もしくは、炭酸水の発生器を直接置いたところもあるんだけど。
それらは「ヨーロッパの天然の泉(ファウンテン)」というのをイメージさせるために、“ソーダ・ファウンテン” と呼ばれた。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかで、よく学生がソーダやコーラを飲んだりしているところあるじゃん?
あれをソーダ・ファウンテンて言うんだけど。
あれが薬局にあるのはなぜかというと、もともとは薬品だったから。
「炭酸水を飲むだけで消化不良が治った」とか、「頭痛が治った」と言われていたので、薬局の隅にソーダ・ファウンテンというのが作られて、それが段々大きくなってきて、そういったファーマシー(薬局)というのが、段々と若者の社交の場みたいになっていった。
博士がガーッと新聞をめくると、まあ、1面だけは普通の新聞記事なんだけども、2面3面4面と全部、インチキ薬の宣伝です。
……まあ、自分でも、そんな薬を調合しているけど。
「インチキ薬の宣伝ばっかりだ!」と思いながら、新聞をめくっていると、ようやっと、ペンバートン博士は目当ての記事を見つけました。
広告の隅に埋もれるようにして、アトランタ市議会のニュースが載っていたんです。
アトランタ市議会は、その当時 “禁酒法” 「酒を禁じる」という法律を、全米アメリカに先んじて可決しようとしていたんです。
「いきなり酒が飲めなくなったら、みんなどうする? 酒屋に行くんじゃなく、薬局のソーダ・ファウンテンで “酒みたいなもの” を飲もうとするだろう」と。
「ならば、この魔法の葉っぱコカから抽出したコカインで、究極のドリンクを作ろう! それは美味しくて、おまけに健康によくて、万病に効く! そんな夢の飲み物が出来るはずだ!」って思ったわけだよね。
そのジークムント・フロイトも、コカインを万病薬として、ものすごく褒めていました。
というか、褒めるどころか、自分に処方して、おまけに患者にも処方して、もう、コカイン中毒患者を山のように作っちゃったんだけど。
フロイトは、婚約者のマルタ・ベルナイスという女の子に、こんなとんでもないエロ手紙まで送ってます。
「全く、コカインは素晴らしい! 男性の機能まで強くしてくれる! 次にお前に会った時、お前が真っ赤になるまでキスをして、それからコカインの機能でたくましくなった俺の男で、ひーひー言わしたるからな!」ってこれ、本当に、こういう手紙が残ってるんですよ。
マリアーニは “ビン・マリアーニ” という名前の、コカイン入りワインを発売しました。
この『コカ・コーラ帝国の興亡』という本を書いたマーク・ペンダグラストという人は、「それは信仰心じゃなくて、コカイン中毒だからだよ!」って、メッチャキツいツッコミを入れています。
アトランタでも、この禁酒法が始まる前に、一応、1年間か2年間の猶予期間があったんだって。
その間にも、「酒が飲めなくなる!」ということで “禁酒ドリンク” というのが流行り始めました。
酒屋で一杯やれなくなった男女も、今度は酒屋ではなく薬局のソーダ・ファウンテンで、何か代わりのものを求めるはずだ。
「酒が飲めなくてイライラする。このイライラを収めるものをくれ!」と。
そこで、ペンバートン博士は、自分のフレンチワイン・コカからアルコール成分を抜いたものを、ソーダ・ファウンテンで売るということを思いつきました。
それも当たり前で、当時のコカ・コーラは原液でしか発売しなかったんですね。
ソーダ・ファウンテンの薬局のオヤジには「その原液を炭酸水で20倍に薄めて売ってくれ」って言ったんだけど、この「何倍に薄めるか?」というのは、オヤジ次第だったんだよ。
なので、どこの店でも、ちょっとチップもらったら4倍の比率で出すとかして、メッチャ濃いのをガンガン出していた。
なので、そりゃあもうね、コカイン成分のおかげで、あっという間に男女ともに気持ちよくなっちゃったんだよね。
すると、子供はもう、全然まっすぐ歩けなくなって、家に帰った後も、3日くらい目がランランとして興奮し、眠れなかったそうなんだけど。
この「子供にコカ・コーラを飲ませて眠れなかった」という事件は、後にコカ・コーラ裁判があった時に、「有毒なコカインでアメリカの子供を中毒にした」ということで、訴訟されることにもなりました。
こういうことが色々あったので、コカ・コーラからはコカインが抜かれることになったんだけど。
それでも、まだ当時は、コカインの中毒性や有害性が知られる前だったので、この魔法の薬コカ・コーラは売れに売れました。
フランク・ロビンソンは「コカ・コーラ」の名付け親です。
「もう、コカの葉とコーラの実だから、コカ・コーラでいいじゃん」と言って、コカ・コーラという名前をつけた。
あと、有名なコカ・コーラの筆記体のロゴデザイン。
リボンみたいになっているこのデザインも、彼が作りました。
エイサ・キャンドラーも、コカ・コーラ社の権利を手に入れ、結局は、彼がアメリカ中にコカ・コーラを広めた2代目の社長になりました。
コカ・コーラを発明したジョン・ペンバートン博士は、発明してからたった2年で死んでしまいます。
コカイン中毒というか、まあ、その他の複合症で。
その後、コカ・コーラ社を乗っ取ったエイサ・キャンドラーは、ペンバートン未亡人に、お見舞金すらも出さず、もちろん、何の権利も与えずに、会社を自分のものにしました。
しかし、そのエイサ・キャンドラーも、20年も経たずに次の人に会社を乗っ取られることになります。
キャンドラーというのは、悪いヤツというか、エグいビジネスマンだったんだけど、コカ・コーラへの愛に関しては、発明した博士以上だったんだ。
だから、ペンバートン博士を軽んじたんだけど、その発明品であるコカ・コーラは徹底的に守ろうとして「オリジナルレシピでなければならない!」って言い続け、オリジナルレシピに手を入れたがらなかった。
コカインの有害性にマスコミが騒いだ時も「コーラ1杯あたり5ミリグラムという量は有害とは言えない! カフェインの分量も紅茶以下だ! 誰が紅茶を有害と言う!?」って言ってたんですね。
しかし、コカ・コーラ社幹部の説得で、ついに1900年、オリジナルレシピからは “X-4” と呼ばれたコカインは取り除かれることになりました。
いかがでしたか?
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
番組内で取り扱う質問はコチラまで!
岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/04/05
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今回は、ニコ生ゼミ03月24日(#274)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史 2 】 ピエール瀧も大好き! コカインの真実」
タオルくん:
コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史その2! 「ピエール瀧も大好き!コカインの真実」!
岡田:
おお、なかなか言うね。
――――――
「 “コーク” と呼ぼう、コカ・コーラ!」っていうふうに言うよね?
じゃあ、なんで「コークと呼ぼう」なのかというと、実はコカ・コーラは元々 “ドープ” って呼ばれてたからなんだ。
つまり「ドープと呼ぼう、コカ・コーラ!」だった。
つまり「ドープと呼ぼう、コカ・コーラ!」だった。
ドープというのは “薬品” のスラング。
ほら、薬物とかを使ってスポーツで記録を出したりする時に「ドーピング」って言うじゃん?
あのドーピングのドープというのは、薬品っていういう意味なんだけど。
もともと、コカ・コーラというのは、売り場では「ドープ(麻薬)」というあだ名で呼ばれてたんです。
20世紀に入ってから、コカ・コーラ社は渋々、コカ・コーラの成分の中からコカインを除いたんだけど(笑)。
本当にね、最初イヤイヤ取り除いたんだよね。
世間が色々と「コカインは良くない!」と叫ぶ、と。
当時の社長としては「コカ・コーラの中に入っているコカインなんて、ごく微量であって、あれだけしか入ってなかったら害なんてないのに!」と思いながらも、会社の他の取締役や営業から、散々「コカインを抜いてくださいよ! 今、世間ではエラいことになってますよ!」と言われて、「本当は嫌だけど、しょうがない。抜くか」と言ってコカインを抜いんたんですけどね。
まあ、これ以上、違法薬物のイメージを広げたくない、と。
なので「ドープ」と呼ぶこともやめさせようとして、コークという新たな呼び名を付けたんです。
「コークと呼ぼうコカ・コーラ」というのは、日本では、すごい自然に入ってきたんだけど。
実は本国アメリカの「 “コーク” と呼んでください!」というのは、「皆さん、うちのコカ・コーラを指して、もう2度と売り場で “ドープ” と呼ばないでください!」という意味だったんですね(笑)。
・・・
では、なぜ、コカ・コーラは「ドープ(薬品、薬物)」と呼ばれたのか?
コカ・コーラを生み出したペンバートン博士は、漢方薬医です。
まあ、モルヒネ中毒者だったんですけども。
彼が万病を治す万能薬として、コカ・コーラを開発しました。
まあ、モルヒネ中毒者だったんですけども。
彼が万病を治す万能薬として、コカ・コーラを開発しました。
この時、博士が患者としてターゲットにしてたのは、富裕層の男女だったんですよ。
南北戦争によって、アメリカの特に南部は、農業国から工業国に変わったんです。
これによって “都市生活でのストレス” というのが生まれたんですね。
これによって “都市生活でのストレス” というのが生まれたんですね。
それまでは「日が昇ったら起きて農場へ行って働いて、日が沈んだら家に帰って、雨が降ったら休む」という、自然の世界で過ごしていたところから、もうアメリカ人の9割が「みんな街に行って工場で働く」という、時間通りに動かなきゃいけなくなって、これが大変なストレスになったんです。
その結果、都市化によるストレスで “神経症” を訴える人が激増しました。
「不安がすごくて眠れない」とか「頭痛がする」っていう。この神経症という言葉も、当時のアメリカで生まれました。
もちろん、工業社会になったと言っても、依然、農村で働いている人はいるし、農業をやっている人もいっぱいいたんですよ。
でも、「俺は、南北が統一され、これから金持ちになる、素晴らしい近代アメリカにちゃんと適応してるんだぞ!」とアピールしたい人達は、そのために、わざと「頭痛がする」とか「神経症だ」とか言い出したんですよね。
つまり、当時の神経症というのは、ある種 “セレブの証明” みたいなものだったんですよ。
自分がセレブであることの証明として「不安で眠れなくて」とか言ったり、「自信がなくて」って言ったり、「頭痛がする」と言っていた。
なぜかというと、それがお金持ちの証明だったような時代だったからなんですね。
「農業ではなく工業で儲けている」という証拠だったわけです。
・・・
さて、「忙しすぎて神経症」という他にも、当時のセレブの病気といえば、「身体を動かさずに美食ばっかりしているから “消化不良” 」というのも、やっぱりセレブっぽい悩みでした。
そこで注目されたのが、ヨーロッパの天然水、炭酸水です。
発泡ミネラルウォーターってあるじゃん?
炭酸水。
あれは、当時、ヨーロッパでないと採れなかったんです。
当時のアメリカにはそんなの湧いてなかったから、ヨーロッパの温泉に行ったり、そういう水源に行って飲むしかなかった。
炭酸水。
あれは、当時、ヨーロッパでないと採れなかったんです。
当時のアメリカにはそんなの湧いてなかったから、ヨーロッパの温泉に行ったり、そういう水源に行って飲むしかなかった。
だから、「いやあ、食欲不振だから、ヨーロッパから取り寄せた炭酸水を飲んでるよ」なんて言うのは、もう本当にセレブだけがやっている、一番カッコいいことだったんだ。
なので、「炭酸水を飲むのは健康にいい」という民間療法も流行っていた。
その結果、天然の炭酸水だけでは供給が追いつかなくなってきて、早速、ドイツで “人工炭酸水” というのが作り出された。
「固定された空気」というふうに言われたんだけど。
アメリカにも、その機械がやってきた。
ヨーロッパの貴族たちも、消化不良や頭痛薬として、炭酸水を飲んでる。
本当にね、当時、炭酸水というのは薬局で売ってたんだ。
もちろん、あっという間に、アメリカ中の薬局の隅に “炭酸水を飲むためだけのブース” が出来た。
炭酸水のタンクが置かれて……もしくは、炭酸水の発生器を直接置いたところもあるんだけど。
それらは「ヨーロッパの天然の泉(ファウンテン)」というのをイメージさせるために、“ソーダ・ファウンテン” と呼ばれた。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかで、よく学生がソーダやコーラを飲んだりしているところあるじゃん?
あれをソーダ・ファウンテンて言うんだけど。
あれが薬局にあるのはなぜかというと、もともとは薬品だったから。
「炭酸水を飲むだけで消化不良が治った」とか、「頭痛が治った」と言われていたので、薬局の隅にソーダ・ファウンテンというのが作られて、それが段々大きくなってきて、そういったファーマシー(薬局)というのが、段々と若者の社交の場みたいになっていった。
ペンバートン博士は、その当時、この炭酸水にオレンジとかいろんなフレーバーを入れて飲むことが流行り始めてきたのを見て、炭酸水で割るための原液となる新たな薬を探し求めていました。
・・・
もう、これね、正確な日付もわかっているんだけど。「1885年8月」と言われています。
ペンバートン博士は、行きつけの “ジェイコブズ・ファーマシー” の角で、新聞を買いました。
ここは後にコカ・コーラを世界で初めて発売する場所だよね。
ここは後にコカ・コーラを世界で初めて発売する場所だよね。
博士がガーッと新聞をめくると、まあ、1面だけは普通の新聞記事なんだけども、2面3面4面と全部、インチキ薬の宣伝です。
……まあ、自分でも、そんな薬を調合しているけど。
「インチキ薬の宣伝ばっかりだ!」と思いながら、新聞をめくっていると、ようやっと、ペンバートン博士は目当ての記事を見つけました。
広告の隅に埋もれるようにして、アトランタ市議会のニュースが載っていたんです。
アトランタ市議会は、その当時 “禁酒法” 「酒を禁じる」という法律を、全米アメリカに先んじて可決しようとしていたんです。
それを見て、ペンバートン博士は「やっぱり!」というふうに思ったわけだよね。
博士は、そのまま薬局の2階の自分が借りてる部屋に向かい、ペルーから届いたばかりの大きな荷物を開けました。
すると、南米ペルーから届いた荷物の中には、魔法の植物であるコカの葉と、そのコカの葉からコカインを抽出するろ過器のセットが入っていたんです。
すると、南米ペルーから届いた荷物の中には、魔法の植物であるコカの葉と、そのコカの葉からコカインを抽出するろ過器のセットが入っていたんです。
「やっと間に合った!」と。
「禁酒法が成立すれば、アトランタだけでなく、アメリカ中で代わりの飲み物をみんな欲しがるようになるだろう」と。
「いきなり酒が飲めなくなったら、みんなどうする? 酒屋に行くんじゃなく、薬局のソーダ・ファウンテンで “酒みたいなもの” を飲もうとするだろう」と。
「ならば、この魔法の葉っぱコカから抽出したコカインで、究極のドリンクを作ろう! それは美味しくて、おまけに健康によくて、万病に効く! そんな夢の飲み物が出来るはずだ!」って思ったわけだよね。
・・・
コカの葉というのは、インカ帝国の宗教儀式にも使われて、「インカの奴隷たちは、コカの葉を噛んでいる限り、何十時間でも働いた」って言われてるんだよね。
さらには「コカの葉を噛んでいると、悩みがなくなり、頭がスカっとする」という。
まあ、そうだよね。
コカインなんだから(笑)。
まあ、そうだよね。
コカインなんだから(笑)。
このコカの葉というのは、ヨーロッパでもすごいウケたんですよ。
当時、 “精神分析” という全く新しい医学を発明した、オーストリアの医者として、ジークムント・フロイトという博士がいました。
いわゆる、精神分析のフロイト博士だよね。
いわゆる、精神分析のフロイト博士だよね。
そのジークムント・フロイトも、コカインを万病薬として、ものすごく褒めていました。
というか、褒めるどころか、自分に処方して、おまけに患者にも処方して、もう、コカイン中毒患者を山のように作っちゃったんだけど。
フロイトは、婚約者のマルタ・ベルナイスという女の子に、こんなとんでもないエロ手紙まで送ってます。
「全く、コカインは素晴らしい! 男性の機能まで強くしてくれる! 次にお前に会った時、お前が真っ赤になるまでキスをして、それからコカインの機能でたくましくなった俺の男で、ひーひー言わしたるからな!」ってこれ、本当に、こういう手紙が残ってるんですよ。
いや、もう、フロイトさんって偉人だから、全ての手紙が残されていて、結構、恥ずかしいんだけどね(笑)。
この当時のコカインの処方記録の中には「コカの葉を噛みながら山登りをしたら、朝ごはんも昼ごはんも食べずに食事抜きでも、全く疲れず夕方まで山登りが出来た。しかも、爽快感のみで、疲れが全くない」というふうな報告があります。
みんな、副作用のこととかには全然気づかずに、「これはすごい万能薬、アルカロイドが見つかったな!」と言ってたんだよね。
このコカインに注目したのが、イタリアのコルシカ島のアンジェロ・マリアーニという人です。
マリアーニは “ビン・マリアーニ” という名前の、コカイン入りワインを発売しました。
この麻薬ワインは……ビン・マリアーニって、本当にコカインが入っているから、完全に麻薬ワインなんだけど、ビクトリア女王とかトーマス・エジソンもガンガン飲んでて、宣伝のための推薦文まで書いてるんだよ。
エジソンは「寝なくてもメッチャ働ける!」っていう推薦文を書いてて。
彼もコカイン中毒者だったんだけど。
彼もコカイン中毒者だったんだけど。
中でも最大の推薦文を書いたのは、当時のローマ法王のレオ13世。
レオ13世が死んだ後に発表された伝記の中には「レオ13世は、信じられないほど、ほんの少しの食事とワインしか飲まなかった」って書いてあるんだけど、そのワインというのは “コカイン入のワイン” だったんだよね(笑)。
伝記には、さらに「しかし、神を信じる強い心は、その瞳をギラギラと輝かせていた。あれっぽっちの食事とワインで、なぜ、あそこまで強い目の輝きを出せるのだろう?」なんて書いてあるんだけど。
この『コカ・コーラ帝国の興亡』という本を書いたマーク・ペンダグラストという人は、「それは信仰心じゃなくて、コカイン中毒だからだよ!」って、メッチャキツいツッコミを入れています。
・・・
ペンバートン博士は、この南米の魔法の葉っぱコカと、さらにアフリカ原産の “コーラの実” ……これは、4%ものカフェインが含まれていて、現地の部族も興奮剤として使っていたんだよね。
「そのコカの葉とコーラの実を両方使う」というとんでもないことを思いつき、この2つの薬品を混ぜて、1年くらい掛けて、アメリカ製の初の麻薬ワイン “フレンチワイン・コカ” というのを完成させました。
このフレンチワイン・コカは、ものすごく売れたんだけど。
ところが、その直後、アトランタ市議会は、全米に先んじて禁酒法を成立させます。
ところが、その直後、アトランタ市議会は、全米に先んじて禁酒法を成立させます。
実はアメリカの禁酒法というのは、1920年代に一斉に全米で成立したわけではなくて、「まずアトランタが最初に行って、その後、アメリカ中のいろんな都市や州で次々と成立していって、最後に連邦アメリカとして、全アメリカで禁止になった」という流れがあるんだけど。
この禁酒法がきっかけになって、1920年代に、アメリカ中にイタリアン・マフィアが蔓延るというような異常事態になったんだけど。
アトランタでも、この禁酒法が始まる前に、一応、1年間か2年間の猶予期間があったんだって。
その間にも、「酒が飲めなくなる!」ということで “禁酒ドリンク” というのが流行り始めました。
「とにかく、酒の代わりに飲むものが欲しい!」ということで、みんな禁酒ドリンクというのを開発したんです。
ペンバートン博士はフレンチワイン・コカというコカイン入りワインを作ってたんだけど。
酒屋で一杯やれなくなった男女も、今度は酒屋ではなく薬局のソーダ・ファウンテンで、何か代わりのものを求めるはずだ。
「酒が飲めなくてイライラする。このイライラを収めるものをくれ!」と。
そこで、ペンバートン博士は、自分のフレンチワイン・コカからアルコール成分を抜いたものを、ソーダ・ファウンテンで売るということを思いつきました。
それがコカ・コーラです。
1杯わずか5セント。
当時の値段で5セントって、まあ、酒の5分の1から10分の1くらいの値段なんだ。
なのに、酒より遥かに気持ちよくなれるんです。
当時の値段で5セントって、まあ、酒の5分の1から10分の1くらいの値段なんだ。
なのに、酒より遥かに気持ちよくなれるんです。
それも当たり前で、当時のコカ・コーラは原液でしか発売しなかったんですね。
ソーダ・ファウンテンの薬局のオヤジには「その原液を炭酸水で20倍に薄めて売ってくれ」って言ったんだけど、この「何倍に薄めるか?」というのは、オヤジ次第だったんだよ。
なので、どこの店でも、ちょっとチップもらったら4倍の比率で出すとかして、メッチャ濃いのをガンガン出していた。
なので、そりゃあもうね、コカイン成分のおかげで、あっという間に男女ともに気持ちよくなっちゃったんだよね。
しまいには、オヤジたちは、クリームソーダを飲みに来た子供にも、ちょっとサービスするつもりで、規定分量の5倍くらいのコカ・コーラを飲ませちゃったと。
すると、子供はもう、全然まっすぐ歩けなくなって、家に帰った後も、3日くらい目がランランとして興奮し、眠れなかったそうなんだけど。
この「子供にコカ・コーラを飲ませて眠れなかった」という事件は、後にコカ・コーラ裁判があった時に、「有毒なコカインでアメリカの子供を中毒にした」ということで、訴訟されることにもなりました。
こういうことが色々あったので、コカ・コーラからはコカインが抜かれることになったんだけど。
それでも、まだ当時は、コカインの中毒性や有害性が知られる前だったので、この魔法の薬コカ・コーラは売れに売れました。
・・・
しかし、この頃のコカ・コーラは、会社の中心人物達が揉めていて、事業拡大が出来ないという状態でした。
というのも、発明者のジョン・ペンバートン博士は、もう末期モルヒネ患者だったんだよね。
なので、バカ高いモルヒネを買うために、誰彼構わず「一緒にコカ・コーラで一儲けしないか?」と持ちかけて、小さい会社を作りまくっていたんです。
なので、バカ高いモルヒネを買うために、誰彼構わず「一緒にコカ・コーラで一儲けしないか?」と持ちかけて、小さい会社を作りまくっていたんです。
なので、権利が分散しまくっていて、どこが本当にコカ・コーラの製法の特許を持っているのかわからなくなっていた、と。
そんな権利を持っていた人物の中で、有名なのが、フランク・ロビンソンです。
フランク・ロビンソンは「コカ・コーラ」の名付け親です。
「もう、コカの葉とコーラの実だから、コカ・コーラでいいじゃん」と言って、コカ・コーラという名前をつけた。
あと、有名なコカ・コーラの筆記体のロゴデザイン。
リボンみたいになっているこのデザインも、彼が作りました。
もう1人、ビジネスマンのエイサ・キャンドラーという人がいます。
このエイサ・キャンドラーという人は、ろくな写真が残ってないので、今回は写真を見せません。
エイサ・キャンドラーも、コカ・コーラ社の権利を手に入れ、結局は、彼がアメリカ中にコカ・コーラを広めた2代目の社長になりました。
コカ・コーラを発明したジョン・ペンバートン博士は、発明してからたった2年で死んでしまいます。
コカイン中毒というか、まあ、その他の複合症で。
その後、コカ・コーラ社を乗っ取ったエイサ・キャンドラーは、ペンバートン未亡人に、お見舞金すらも出さず、もちろん、何の権利も与えずに、会社を自分のものにしました。
しかし、そのエイサ・キャンドラーも、20年も経たずに次の人に会社を乗っ取られることになります。
そのキャンドラーの最後の仕事は、「最後までオリジナルレシピに拘ったが、渋々コカインを成分から外したこと」でした。
キャンドラーというのは、悪いヤツというか、エグいビジネスマンだったんだけど、コカ・コーラへの愛に関しては、発明した博士以上だったんだ。
だから、ペンバートン博士を軽んじたんだけど、その発明品であるコカ・コーラは徹底的に守ろうとして「オリジナルレシピでなければならない!」って言い続け、オリジナルレシピに手を入れたがらなかった。
コカインの有害性にマスコミが騒いだ時も「コーラ1杯あたり5ミリグラムという量は有害とは言えない! カフェインの分量も紅茶以下だ! 誰が紅茶を有害と言う!?」って言ってたんですね。
しかし、コカ・コーラ社幹部の説得で、ついに1900年、オリジナルレシピからは “X-4” と呼ばれたコカインは取り除かれることになりました。
――――――
岡田:
ということで、タオルくん、わかったかな?
コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史その2、ピエール瀧も大好きなコカインの真実が。
コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史その2、ピエール瀧も大好きなコカインの真実が。
タオルくん:
つまり、今のコカ・コーラには、コカインがぜんぜーん入っていないってこと?
岡田:
うん。
そうそう。
コカインは全然入ってない。
そうそう。
コカインは全然入ってない。
タオルくん:
つまんない!
岡田:
まあまあ、やめなさいって。
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