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「生きる意味を見いだせなくなった時、どうしたらいい?」
質問:
心が弱ってるときに、今自分がやってる事を信じることが出来なくて、焦燥感に駆られ身もだえする。
『もっと、いい方法があるんじゃないか?』『今やってることって無駄なんじゃないのか?』から始まって、果ては『こんな状態の俺って、生きてる意味あるのか?』まで行ってしまう。
判断力がグニャグニャになってしまうので、たとえばスッパリやめて行動するといった事が出来ず、精神的に不安なまま、惰性でフラフラします。
それがまたしんどい。
まずこの状態にならない為には、どうすればいいのでしょうか?
この状態から抜け出す為には、どんな事をすると良いのでしょうか?
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だいたい “方法” から人間は具体的な事から悩みだして、抽象的な方向へ行くんだよね。
で、「この方法でいいのかな?」から「別のやり方はなかったのか?」「そういえば、あの時も……」「そもそも、俺って……」「俺なんて、生きてる意味もない」っていうですね。
だから、具体的な領域で悩んでいるウチは、それは「悩み」なんだけどさ。
抽象的な事にいってくると、もうこれは「自己否定」という趣味をしているような感じがするんです。
僕はアレを採用してるんだけど、まず地盤を固めるんだ。
デカルトって人は、いろんな事を「それは信じられない!」「信じられない!」「信じられない!」と言って、すべてを疑問に考えるときに、「ちょっと待てよ! すべてを疑問に考えたらあまりにもフラフラする。 そうじゃなくて、1個だけでいいから、とりあえず足場を作ろう」と考えるんだ。
ということは、僕という存在、自我だけはあるというふうに仮定してみても構わないよなあっていうのがデカルトの第一歩。
で、そっから方法論序説っていうものの考え方の分厚い本をバーっと1冊書いちゃったっていう、昔の哲学のおじさんなんだけども。
一歩目を固めるっていうのがすごく大事なんだ。
で、「僕って生きてる意味があるんだろうか」っていうさっきの疑問。
これはねえ、明らかに地盤がもうグラグラしちゃってるんだよね。
デカルトが固めたように、まず基礎の一歩目の地盤が作れないと。
で、こういう時って普通、「じゃあどうやって地盤を固めるんでしょうか?」とか、「じゃあまず、自分が自信を持って言い切れることは何ですか?」っていう話になっちゃうんだけども。
デカルトぐらい理性的で、考えるのが趣味のやつだったら、そっちの発想法でいいんだよ。
でも普通の人間は、そんなふうに年がら年中考えてるヤツほど暇でもないし。
基礎の足場を組んでから、やっていくっていう方法って、日本人には無理があると思うんだよね。
なので、僕のオススメは、「自分は地盤が緩い方だ」という自覚を持つことだよね。
つまり、何か悩んだら、「僕って生きてる意味あるの?」 という、一番基礎の地盤の方まで疑ってしまうっていうような、癖があるっていうふうに考えたほうがいい。
わかるかな?
地盤っていうのは強くならないんだ。
たとえば、僕ってこれでいいんだっていう自信とか、「いやいやいや、そこまで疑ってもしょうがないよ」っていうような、そういうのって個性なんだよね。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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コメント
コメントを書く(ID:14190815)
自分に生きる意味があると思える時点で凄く傲慢で図太いからすぐには死なんだろ。
生きたくないなら辞めろ。死にたきゃ死ね。生まれるときは多分選べてないけど死ぬときは選べるぞ。
人生最後の贅沢というやつだね。寝たきりとか心身に致命的な問題が起きたらそれも無理だけどね。
(ID:7566725)
どうしたらいいか、という疑問が湧いてくる時点で根本的には生きていたいんだよなぁ
(ID:66356388)
デカルトを引き合いに出していながら論理がグチャグチャ。
「僕はアレを採用してる」と言っておきながら結論は「地盤っていうのは強くならないんだ」。
おまけにデカルト解釈も間違ってる。
デカルトは何もかも疑った末に「疑っている自分は確かに存在する」ことを発見した。
ここの読者は滅茶苦茶なこと書いてるのに気づかないのか?