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「“不条理” の化身としての初代ゴジラ」
なので、口に関しても、そう簡単にパクパク開かないわけですね。
なので、ギニョールと呼ばれる、下から手を入れるマペットみたいなものを作って口を開いて、その口の中からスプレーをシャーッと噴射して、そのスプレーに斜め横からライトを当てることによって、まるで白い息というか、何かを放射しているように見せているんです。
これらは全て、後のゴジラシリーズで生まれるお約束の「放射能火炎のシーン! 背中が光ります! 口からパーッと出します! すると、景気のいい爆発がドンドンと起こります! ゴジラ、強いぞー!」というシーンとしてではなく、「海から上がってきた怨念のようなものが、口から何かを吐き出すことによって、周りのものを溶かしてしまうエゲツなさ」というのを描こうとしているんです。
つまり、「強い」という表現じゃないんですよ。
この時のゴジラというのは「敵わない」とか「不条理」というものの塊なわけですね。
これは実は『シン・ゴジラ』も同じなんですけど。
「なぜ、ゴジラが東京を襲うのか?」、「なんで毎晩、夜になったら上陸してきて、東京をひとあたり破壊すると、朝になる前に理由もなく海に帰って行くのか?」について、全く答えが出されない。
怖いでしょ、これ?(笑)
もともとは水性爬虫類、水中で生まれて、水中で生きて行くものですから、もっとヌルっとした姿だったはずなのに、水爆実験のせいで、身体中にコブのような鱗のようなものが出来てしまった。
しかし、東京を襲ってくるんです。
そんな存在が、夜になると現れて、東京の街を破壊するだけ破壊して、何も言わず帰っていく。
その原因に関して、この映画の中では何も教えてくれないんですね。
だから、みんな、そういった不条理を耐え忍ぶことになるんですよ。
「これも我々が受ける罰なのだ」というように。
ここらへんの、説明されない怖さというのがジワジワくる映画なんですよ。
だから、呪う相手というのは誰でもいいんです。
別に、エボシ御前に撃たれてタタリ神になったからといって、イノシシの神はエボシ御前に復讐するわけではなく、そこから本州を東北の方へと怒りでもって駆け抜けて、その結果、アシタカたち蝦夷の暮らす村を襲いました。
それと同じなんです。
そうではなくて「その怒りをどうか鎮めてください」と、ただただお願いして、お祓いをして、帰って頂くものなんです。
「もし、死んでしまったんだったら、その場所に塚を築いて、いついつまでもお祀りする」というような対象なんですね。
「海に帰って頂くことが出来た」と。
そういうふうに出来ている。
1954年の夏に公開されたというのも、ホラー映画というか、お盆のお化け映画のような流れで公開されているんです。
まあ、ピッタリ夏に公開されたわけではないんですけどね。
『エクソシスト』というのも、プロテスタントが中心のアメリカの中で、そういえば、カソリックの中には、こうした悪魔祓いというものがあった。
私達はそれを忘れていたんだけど、そうやって封印していた部分には「お前らが信じている神には、こういった裏側があるんだぞ!」というふうにドンと突きつけられたような怖さがある。
『ゴジラ』も同じなんですよ。
戦争を忘れて、繁栄に向かっている日本。「もうすぐオリンピックがやってくる!」と言われていた日本に対して、「お前らの繁栄の影には、戦争によってこんなことがあっただろ!?」というふうに、急に昔のやったやましいことがバッと現れる。
それも巨大な姿になって現れるから、人間に敵うはずがないじゃない。
だから、お祓いして、海に帰って頂こう。
こういう流れになっている映画だったんです。
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