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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/12/17
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今回は、ニコ生ゼミ12月9日(#260)から、ハイライトをお届けいたします。

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 かつては幻の映画だった!? ホラー作品として作られた映画『ゴジラ』


 映画『シン・ゴジラ』の総監督の庵野秀明は1960年生まれ。

 そんな彼がなんで『シン・ゴジラ』をやりたくなったのかというと、それはもちろん映画『ゴジラ』を見て感動したからなんですけども。

 このゴジラ、公開されたのが1954年なんですね。

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 1954年に公開された映画ですから、今と違ってビデオデッキとかも無いですし、当たり前ですけどネット配信も無い。

 DVDもビデオデッキも無い時代ですから、本当に見れないわけですね。


 じゃあ1960年生まれの庵野秀明が、なんでこの映画『ゴジラ』にそんなに憧れを持ってリメイクをしたいと思ったのか。

 それは総監督の庵野秀明だけではなくて、監督の樋口真嗣もなんです。

 けども彼は1965年で、もっと遅い生まれなんですね。


 「なんでこの二人が」というより、この時代に、1960年代から1970年ぐらいに生まれた特撮ファンというのは、ほとんど全員1954年のオリジナル版のゴジラに絶対の憧れを持っている。

 それと同時に、『ゴジラ』という映画、ゴジラ・シリーズというモノ自体に対して、たいへん複雑な感情を持っていると。

 この辺りをおさえて『シン・ゴジラ』を見ると、「何でこんな映画を作ったのか?」というのが分かって、より楽しむことが出来るんじゃないでしょうか。

・・・

 という事で、一番最初は「そもそも~」という所から話を始めたいと思います。

 1954年のゴジラの衝撃というのを語るために、“ゴジラ初登場” というのをフリップにしてみました。

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 3枚の写真で出来ています。

 これは映画が始まって20分ぐらいしてからのシーンなんですけども、ようやっと山の向こうにゴジラが現れる。

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 みんなが「山の向こうで、すごい地響きがある」と。

 それはゴジラの足音なんですけども、それが分からずに村民たちというか島の人々が山道を登っていると。 

 その山の向こうに、大きい影がヌッと動く。

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 それで「あぁっ!?」って驚くと、その向こうからゴジラが現れる。

 これが初の顔出しになります。

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 ゴジラが顔を出すと、全員がパニックになって「うわーっ!?」と逃げ出す。

 そうすると、その向こうでゴジラが吼えるっていうですね。

 ま、こういう流れになってるんですね。


 これ、実はものすごい衝撃を持って受け止められたんですよ。

 今になってみれば、“山の向こうから怪獣が出てきて吼える” っていうのは当たり前のシーンだし。

 こういう特撮の構図的なものも、「単純な合成だな」とか「あぁ、山の向こうから怪獣」っていうように見えるかも分かりませんけども、なんせ “怪獣映画” っていうのが存在していなかった時代なんですね。


 なので、この時の様子をうまく語ってくれる証言者が見つかりました。

 証言したのは誰あろう宮崎駿です。

 宮崎駿が特撮研究家の池田憲章さんという人に凄い自慢げに語った事なんですけども。


 池田憲章さんも1954年には、まだ生まれてなかったんですね。

 なので当然、ゴジラを映画館では見てないんですよ。


 もう日本の特撮の研究者っていう人のほとんどが1954年に生まれていなかったので、映画館でゴジラを見てなかったんです。

 けども、宮崎駿は見てたんですね。


 宮崎駿は、弟を連れて行って、ちゃんと映画館で見たと。

 もう席が満員だったから、映画館の周りを人が何周もしているんですよ。

 あまりにヒットしていて。

 で、それが公開二日目なんですね。


 公開二日目でそんなに満員になるという事は、ネットとかツイッターとかがない時代ですから、一日目から口コミでウワーッと広まって、「あの映画、面白いぞ!」という事で山のように人が押しかけた。

 それで公開二日目に宮崎駿が弟を連れて見に行った。


 もうこの辺からね、宮崎駿の家のブルジョアぶりが分かるじゃないですか。
 
 公開二日目に親を連れずに弟を連れて映画館に行けるような家族ですから、まぁまぁいいかげん金持ちなわけなんですけども(笑)。


 で、弟を連れて行ったけど、席なんか座れずに、映画館の座席の後ろにある格子の所にガッと捕まって弟と一緒に見ていたと。

 それでゴジラが最初にヌッと顔を出した瞬間に、映画館中の人の頭が「ウワッ!」と仰け反ったのが見えたそうです。


 「映画館中の人の頭が、前から順番にウワーッと仰け反って見えたので、人の頭が波になったんだよ」と。

 「いやぁ、アレはあの時に映画館で見ないと、絶対に分かんないよ。 池田君、羨ましいだろう!」というふうに散々 自慢したそうなんですけどですね(笑)。


 それぐらい衝撃的だったんですね。

 これを見た人たちにとっては。


 それで、結構 “怖い映画” というふうに捉えてたという事なんですよ。

 『ゴジラ』という映画が出来た頃には “怪獣映画” というジャンルも無い時代なので、とてつもなく大きいサイズの化け物が、理由も分からないのに襲ってくると。
 
 いわゆる完全に “ホラー映画” の文脈なんですね。


 みんな、『リング』とか『呪怨』とか、ああいう映画として見てるんですよ。

 だから「怖い」と。


 巨大で、“怪獣” というカテゴリーが無いから、そういうものが襲ってきて、理由も無くて、「何か自分たちが呪われているんじゃないか?」「日本は呪われているんじゃないか?」というふうに思って、「怖い」って感覚で受け止める。

 だから、この最初の『ゴジラ』っていうのは、すごくインパクトがあった訳なんですね。


 それで特撮研究の第一人者である池田憲章さんが、宮崎駿に自慢されるぐらいですからですね。

・・・


 これ、最初の『ゴジラ』っていう作品は、長い間 “幻の映画” だったんですね。

 っていうのは、白黒映画ですから、僕が小学生になった頃には、もう映画館では絶対にかからないんですよ。

 もう映画は全部カラーになってましたから。


 映画館でリバイバル公開もされないと。

 テレビでも放送されないと。


 そんな “幻の映画” と言われて、 “名作”と言われてて、そんな怪獣映画が見たくて見たくてしょうがないのに、「どうやって見たらいいの?」って状態だったんです。

 もうウワサ話ばっかりが広まっていったと。


 (中略)

 『ゴジラ』も、テレビの「懐かしい作品を振り返ります」というような番組で5秒ぐらい映像が流れたら御の字です。

 僕が生まれて初めてゴジラの動く絵を見たのって、17、8歳ぐらいだったんです。


 高校3年生ぐらいのときに、テレビで、ゴジラが火炎を吹きかけて鉄塔が溶けるシーンっていうのの5秒ぐらいのシークエンスが流れて、その時に「うわーっ!?」って言って、目に焼き付けたぐらいだったんですけども。

 だから18歳になるまで『ゴジラ』という映像には1秒たりとも出会えなかったんですね。


 あとはもう、たまたま特撮を取り上げてくれた雑誌の切抜きをずーっと大事に持つしかなかった。

 そんな状態でした。


 もちろん特撮系の単行本とかもゼロの時代です。

 そんな特撮の研究は、誰も商業出版でやっていません。


 それでブログも無ければネットも無い。

 そういう時代ですからですね、もう絶望的に情報が無いんですよ。


 最初のゴジラっていう映画が「どんなお話だったのか?」っていうのも、身近な人に聞くしかないんですね。


 それでウチの父親も見たはずなんですけど、よく覚えてない。

 「怖かったよ」と言うだけで、教えてくれないんですよ(笑)。


 それで、ゴジラ以外に『キングコング対ゴジラ』っていう映画があるのは知っている。

 それで僕が映画館でちゃんとゴジラ・シリーズを見たのって、多分最初に見たのは『ゴジラ・エビラ・モスラ、南海の大決闘』だと思うんですけども。

 『南海の大決闘』と『キングコング対ゴジラ』と、最初の『ゴジラ』の間に、いったいいくつ『ゴジラ』という映画があるのかっていう全貌すらまったく分からない。


 それで、こんなにゴジラが好きな人間が日本中に何万人もいたのに、多分、何十万人という人間が全員中学校に入って、高校に入って、大学に入るまで、この絶望的に情報が無い時代が延々と続いたんですよ(笑)。

 それは、なかなか凄い絶望感ですね。


 なので、1960年代から1970年代の前半生まれぐらいまでの特撮ファン、オタクと言われる人は、昔の作品に対する愛が強いんですね。


 多分、新しいファンの人とかオタクの人は「過去の作品を美化しているだけ」って言うんですけども、そういうニュアンスはもちろんあります。

 ただ、我々のこの若かりし頃の絶望的な飢餓状況。


 いわゆる、10歳ぐらいまで貧しく育った人間は、一生涯、食い物を見ると目の色が変わるじゃないですか。

 あんな感じだと思ってくださいよ。


 16歳ぐらいになるまで “美少女” のウワサは聞いた事があるが、“女” を見た事が無いのと、ほぼ同じなんです。

 「女のスチール写真は3枚見た事がある」とか(笑)。


 そんな感じだったんですね。
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