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「【『億男』の感想とお金の話 3 】世界をゲーム化させてしまうお金の怖さ」
だから、成功して勝っているうちに降りたかった。
成功するまでの間は、ツクモと一緒に仕事してた人達というのも、わりと創造的でクリエイターだったんだけど。
それによって、上がる売上、上がる収益を気にした瞬間にギャンブラーになっちゃった。
そして、ギャンブラーになった結果「次に成功したら降りよう。次に勝ったら降りよう」と、そんなことばっかり考えるようになってしまった。
ゲーム化という感性は、「ゲームの勝敗は人間性とは関係ない」ということになっちゃうんだよね。
つまり、仕事の面白さよりも、仕事で上がる成果という数字の方に着目しがちになっちゃう。
なぜかというと、ゲームだから。
そういった、ゲーム的にこの世の中を見ることは、宮崎駿的な感性では、やっぱり「勘弁してくれ」ってことになる。
でも、この大儲けをする時の罪悪感というのは「これは所詮ゲームなんだから」と言うことで、薄められたり無効化される。
しかし、現実的には「結果として、この世界ではお金を儲けた人は勝者。お金を奪われた人は敗者」というふうに分類される。
かつて、日本人は、アメリカ人みたいに「金持ちを尊敬する」という文化を持ってなかったんだよね。
どちらかというと、クラスの中の金持ちというのは、『ドラえもん』でいうところのスネ夫的なキャラであって、主役にはあまりなれないタイプだったんだ。
これについて、当時の日本人としては「なんで、あんな変な文化があるんだ?」と言ってたんだけど。
ちょっとずつ、この世界が変わってきちゃってる。
「社会はいつも理不尽に、色んなことを縛ってくるんだけど、自分が経済的な独立性さえ持っていれば、その中で自由を得ることが出来る」と。
まあ、つまり「お小遣いさえあれば、家から持ってくる弁当や、学校で充てがわれる給食以外に、パン屋に行ってパンが買えるよ」というくらいの意味なんだけど。
でも、こういった「お金を持って自由になることは良いことだ」という考え方が、「人間は、誰しも独立とか自由を得るために、経済的に自立しなきゃならない。そんなふうにならなきゃダメだ」という義務になっちゃったら、正直、お金なんていくらあっても足りないんですよね。
こんなふうに、作らないプラモデルを山のように並べることも、段々とシンドくなってきたんだけども。
まあ、俺は「これは “オブジェ” として好きだから」って言ってるんだけども(笑)。
まあ、そういうふうに考えるわけだよね。
お金というのは、今言ったように「いろんな側面があるな」というふうに、面白がりさえすれば、怖くなくなるし使いこなせると、自分自身の経験から思います。
面白がる以外の目標をあまり持たないようにすること。
面白がる以外の価値観をあんまり持たないようにすることが、実は案外、自由への近道じゃないかなと思ってるんだけど。
ということで、無料枠はここまでにしておきます。
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