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「【『紅の豚』ジーナとポルコは最後どうなったのか? 3 】豚であることを気にしているのは女性だけ」
「なぜ、ポルコは豚になったのか? 彼は人間に戻ったのか?」の解答編ですね。
これは、ポルコがカーチスと対戦する前、冒頭でマンマユート団を倒した次の日の昼間に街へ行って、銀行のオヤジと話しているシーンです。
つまり、ポルコというのは「豚になってしまった」んじゃなくて、「自分で豚を選んでる」んですよ。
「今どきこのご時世、この当時のイタリア、もしくはアドリア海で、豚じゃなく人間をやってるようなヤツらは、みんな豚以下だ」と思ってる。
だから「人間に戻れない」んじゃなくて、「人間に成り下がるほど、俺はまだ落ちぶれちゃあいないぜ」という、このポルコの自意識を、まず最初に押さえておいた方がいいと思うんですよ。
言ってしまえば、社会主義という実験が無残な失敗に終わって崩壊している時、「俺は1匹だけでもいいから飛んでいるぜ!」と言ってるんですよ。
それで、パリ・コミューンの歌(『さくらんぼが実る頃』)が好きだという図式が出来上がったんです。
(宮崎駿インタビュー/『紅の豚』パンフレット1992年7月 より)
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この解釈の場合「どうすればあなたを人間に戻せるのかしら……」というジーナのセリフや、フィオの「私がキスしたらポルコは人間に戻るかな?」というセリフも全て、意味が変わってきます。
これは60年代に学生運動をしていた人達が、みんな、恋人や家族に言われたセリフとそっくり同じなんですよ。
「あなたが本当の愛を知ったら、あなたも悪夢のような共産主義から目覚めるんじゃないかしら?」と。
そして、この「本当の〇〇を知ったら、あなただってきっと~」という、上から目線の忠告が、ポルコをメチャクチャイラつかせるわけですね。
「余計なお世話だ! そもそも人間が豚より上だと誰が決めたんだ、おい!?」って怒ってる。
これが、「紅の豚という言葉は、共産主義者のメタファー」説の考え方です。
この映画が公開された時に、わりと「『紅の豚』っていうのは、実は共産主義者ってことだよね?」って言われてたこともあったんですけど。
これは、まあ第1段の解釈です。
なので、もうちょっと奥まで読み込んでみましょう。
ピッコロオヤジも、マシンガンを売ってる武器屋のオヤジも、ポルコがガソリンを入れに寄った店の爺さん達も、「ポルコ、おい、煙草くれよ」と親しげに話しかけてくる連中も、「ポルコが豚である」ということをまるで気にしてないんですね。
マンマユート団も、空賊連合も、「豚」とは言っているんけども「なんでお前は豚なんだ?」なんてことは、実は一切、気にしてない。
初対面のカーチスですら「この辺りにブイブイ言わせてる豚がいると聞いたが~」とは言うものの、「なんでお前は豚なんだ?」とはツッコまない。
誰も疑問に思ってないんですよ。
これは、ポルコがマンマユートを撃墜した後で、ホテル・アドリアーノに行った時のシーンなんですけど。
この女性たちの正体は何かというと、この『紅の豚』が公開された直後に『アニメージュ』に掲載されたジブリの女性アニメーターや、背景や、色指定をやっていた人達の座談会で、彼女たちは「ポルコを取り巻く “娼婦” のような女たち」と表現してるんです。
つまり「商売女だ」って言ってるんですよ。
つまり、普通の人間として見てるわけですね。
それに対して、ジーナとフィオだけが、ポルコが豚であるということを「人間以下である」と見なして、そんな彼を何とかして人間に引き上げようとしてるんですよ。
この逆説の構造に気付けないと、ポルコが豚になった理由というのは、なかなか分かりにくいんです。
この辺で、そろそろ40分を超えましたので、後半の限定放送に移りたいと思います。
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