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「【『紅の豚』ジーナとポルコは最後どうなったのか? 1 】 JALの機内上映だけで公開された幻のエンディング」
誰もいない東屋を映すことで「結局2人がどうなったのかはわからない」ということを語っているんですけど。
この賭けの結果については簡単で、『紅の豚』の作品内で答えが出ています。
これは、物語が終わった後、成長して大人になったフィオが、おそらくは自分でデザインしたジェット飛行艇で、ホテル・アドリアーノに行くカットです。
この絵の中に答えがあります。
フラップがちゃんと降りていて、エアブレーキが開いていて、“前縁スラット” という着陸の際に揚力を生む乱気流を発生するための部分が開いてて、なかなか凝った仕掛けになっています。
ここに真っ赤なサボイアが停まっている。
なので、単純に映画を見ていると「ああ、ポルコはジーナの元に行ったんだ。昼間にアドリアーノに出かけて、きっと人間に戻ったんだろう」と思うところですね。
これが “普通の見方” です。
もちろん「カーチスとの対決の後でボコボコになったポルコは、フィオのキスのおかげで人間に戻りました」という幸せな話と捉えても全然構わないし、「人間に戻れなくても、ジーナと一緒に暮らしました」という、ちょっと苦いハッピーエンドでも、もちろん構わないんです。
次に、ジェット機の中から見たポルコの飛行艇が見えます。
二重反転プロペラで、超高空を音速以上の速度で飛んでるわけですね、こいつは(笑)。
これが、ボーイング727と思しきジェット旅客機を追い抜いていくサボイアです。
これを見ればわかる通り、背景もちゃんとあるし、セル仕上げもされている。おそらくは撮影までされているんですよね。
というのも、ジブリとしては「JALの国際線で公開した」と公式に言っているんですけど、「それと劇場公開版のラストシーンが別モノであったかどうか」については言及されていないんですよ。
その上、当時の目撃情報もよくわからなくなっている。
だけど、ここまで作られているということは、おそらく撮影もされているし、僕はJALでは公開されたんじゃないかなと思っています。
なにより、モデルグラフィックス誌の92年5月号で…
…もう本当に、20数年前の雑誌なんですけど。
その雑誌の中でのインタビューで、宮崎さんは「このカットを描くのが楽しみでしょうがない。
1カットだけ、サボイアにターボプロップエンジンを付けて、二重反転プロペラで飛ぶところを描くんだ。で、ジェット旅客機を追い抜くんだよ。
それを描くのが、もう、今から楽しみだ!」とまで言ってますから、作ったんでしょう。
でも、実際に劇場では公開されなかったんですね。
それが現役でピカピカの機体で映っているということは、このシーンの時代設定は1963年から65年の間くらいではないかと思います。
それがこれなんです。
よく見ると、このサボイアには「ハートにG」のマークが付いています。
まあ、これはいわゆる “撃墜マーク” というやつで、ジーナの頭文字と受け取ってOKでしょう。
つまり「ついに俺はジーナを口説いたぞ!」というサインなのか、もしくは「俺はジーナに撃墜されちゃった」という意味かもしれません。
ポイントは、このジェット機を追い抜いた時のポルコのポーズなんです。
この時のポルコは親指を立てているんですね。
これは何かというと、先週の初歩編で説明したこのシーンと同じポーズなんです。
『紅の豚』冒頭で、マンマユート団を追いかける際に、アドリア海の観光用の飛行艇とすれ違い、それに乗っていた女の子から「キャア! 豚さんよ!」と言われた時、「そんなとこにいると誘拐されちゃうぜ?」と言って親指を立てた。
この「カッコイイー!」と言われる時と、全く同じポーズなんです。
こういった「全く同じポーズをする」というのは、作者にしてみれば “映像的な伏線回収” でしかありえないわけです。これらは対になっているシーンなんです。
それも、ご丁寧に、飛行機が飛んでいる方向や、ポルコの構図まで同じにすることで「韻を踏んでますよ」と比較的わかりやすく作っています。
ポルコとカーチスの対決があった、あの夏の日から40年くらい経った今、フィオはホテル・アドリアーノを訪れる。
すると、桟橋にはポルコのサボイアが停まっている。「ああ、やっぱりポルコはジーナさんと幸せに暮らしたんだ」と。これが普通に映画を見ている人が思う第1のオチなんですけど。
実は桟橋に停めてあるポルコの飛行艇は、もう古い機体で、すでに使っていないものなんです。
つまり「ポルコは、ターボプロップにエンジンを換装した新型のサボイアで、今日も大空を飛び回っている」ということなんですね。だから、東屋には誰もいなかったんですよ。
新型サボイアに描かれている “ジーナの撃墜マーク” というのは “結婚指輪” と同じであって、要するに「俺は結婚して指輪を付けてるんだけど、キャバクラとかに行ってお姉ちゃんと遊んだりすることを忘れてるわけじゃないぜ」という意味なんです。
「家に嫁がいるけど、俺は外で女の子と遊んでる。だけど、別に浮気してるわけじゃないから、それくらいはいいよね?」と。
でも、若い女にモテようとする色気を忘れちゃいけない」というメッセージが入っていたんです。
JALの機内上映版だけでこのラストシーンが残っていたというのは中年オジサンのための映画というのを残していたんですね。
ラストのスタッフクレジットが終わった後で映るこれが、劇場版のラストシーンなんですね。
ラストのスタッフクレジットが終わった後で映されるのが「サボイアが積乱雲の上の超高空を飛んで行く」というカットなんです。
仮にジーナのところに行ったとしても「危険だから、もう空を飛ぶのなんかやめてくれ」という彼女の願いは聞かずに、今も自分の好きに生きてます、ということなんですね。
それだけで2人の関係というのは描けるんですから。
だけど、宮崎駿監督が描きたかったのは、ジーナとポルコの関係ではなく、ポルコ・ロッソという個人なんですね。
なぜなら、私小説だから。
だから、今でも空を飛んでいる飛行艇というのを描いたんですよ。
「ポルコの心は、アドリアーノに留まるのではなく、今も空の上にあります」と。
言い方は悪いんですけど「女に縛られていない」というのを描こうとしているから、このカットがラストに入るわけなんです。
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