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「『ハウルの動く城』に登場する9人の魔法使い “ソフィーやカカシは魔法使いだった?” 」
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1. ハウル(本体は鳥)
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たとえば、ソフィーがハウルの城を最初に訪れた時、なんですんなり中に入れたのかというと、城に着く前にカカシがくれた “握り手に鳥の彫刻がついた杖” が通行証の代わりになっていたからなんですよ。
だって、変でしょ?
あのカカシがくれた杖によって、門番の役割をしていたカルシファーが騙されたからなんですね。
ということで、本体は鳥。
それがハウルです。
彼女は光を徹底的に嫌っているんですよね。
だから、輿にも黒いカーテンを付けているんです。
実は、一番最初に暗がりの中、ソフィーの店に来た時は、メッチャクチャ美人なんですよ。
……まあ、デカいはデカいんですけど、すごく綺麗な顔立ちとして描かれているんですよね。
ところが、中盤の王宮へ続く階段を登って行くシーンでは、急にブサイクになる。
これ、「ああ、階段を登ったから、疲れて汗かいてブサイクになったんだ」って思っちゃうんですけど、違うんです。
宮崎アニメには法則性というのがあるんです。
つまり、この魔女は光が弱点なんですね。
なので、この光を遮るカーテンのついた輿から降りて、明るい光の中を歩くことを強要されると、階段を上がって行く中で、どんどん魔力を失ってしまう。
その結果、あっという間に老けてしまったんですよ。
そして最後には、サリマンに騙されて連れ込まれた部屋で、周りから電球の光でガッと照らされて “影” がなくなっちゃったんです。
そして、この荒れ地の魔女というのは力を失ってしまった。
こんなふうに、それぞれの魔法使いには弱点というのがあるんです。
これ、違うんですね。
たとえば、中盤でソフィーが洗濯物を干すシーンというのがあるんですけど。
この時、カカシは自分からそれを手伝うんですよ。
「ああ、洗濯物が好きなんだな」というふうに、マルクルもソフィーも言うから、映画を見ている人はついついその言葉を信じちゃうんですけど。
カカシは、その時、遥か山の彼方を、じーっと見つめているんです。
これ、何かというと「故郷に帰りたいな」と思っているに決まってるんですよ。
高いところに立って、山脈の向こうにある隣の国を見ているんですね。
こいつは、そうやって人間に戻るチャンス、国に帰るチャンスというのをずーっと探しているんです。
ここで、ソフィーたちが手を振っている中、やっと王子様に戻れたカカシは、棒に乗ったまま空を飛んで国に帰るんです。
変ですよね?
もう呪いは解けてるはずなのに。
じゃあ、なぜ棒に乗って空を飛んで帰るのかというと、「こいつが魔法使いだったから」に決まってるんですよ。
だって、ハウルたちがいる国では、王様は魔法を使えないからこそ、科学の力で戦おうとしているんですよ。
だからこそ、サリマンが王立魔法学校というのを作って魔法使いを育成しているんです。
ということは、この王子の故郷である隣の国というのは、ハウルたちの国とは国体が違うんですよ。
王子が魔法使いということは、隣の国ではもちろん王様も魔法使いのはず。
つまり “魔法使いが建国した国” なんですね。
そうやって科学&魔法の力で、隣国の巨大な魔法力に対抗しようとしているわけです。
隣の国に対して攻撃を仕掛けたのは、もちろんハウルたちが住む国であり、そして、それはおそらくサリマン先生です。
これについては、もうちょっと後で説明します。
ハウルたちと一緒に暮らしている小さな男の子ですね。
これに関しては、そんなに深いツッコみはありません。
ただ、このマルクル、“魔法使いの弟子” なんですけども。
特に、幼い頃のハウルの近くに星が降ってくるあたりの描写というのは、まんま『ファンタジア』なんですよ。
『ファンタジア』の中に、水の精みたいなのが飛んでいくシーンがあるんですけど、それに対して「俺の方がもっとすごいぞ!」と言わんばかりに作っているんです。
その1つ目は『ファンタジア』。
そして、もう1つは『ハリー・ポッター』なんですよね。
『ファンタジア』という古典的な魔法アニメっていうのに対して、「違うだろ! こうだろ!」っていう正解を叩きつけるのと同時に、『ハリー・ポッター』に出てくる都合のいい魔法描写に対して、「違うだろ! 魔法っていうのはこうだろ! 魔法戦闘というのはこうだろ!」という喧嘩の売り方が、なかなかカッコいいんですよね。
マルクルは、そういうマスコット的な役割が与えられています。
こいつらを指して、ハウルは「三下の同業者が現れた。」というふうにカルシファーに言うと、「あいつら、もう人間に戻れないな」と言います。
そんな魔法使いたちが、もう人間に戻れないくらいの変身をさせられているという設定です。
たぶん、『ハウルの動く城』って、あの辺りを舞台にしてるんですね。
ハウルの家や街の看板は英語。
なので、ハウルたちを支配してる国はドイツ語圏で、もともとは英語文化圏だったと、僕は考えています。
だから、最後にヒンがサリマン先生の失敗をあざ笑うと、「この浮気者!」というふうに言うんです。
だから、ソフィーは「なんであんたはこんなに重いのよ!」って言いながら一生懸命に持ち上げることになったんです。
あんなシーンをわざわざ入れたのは、この不自然な体重を見せるためなんですよね。
「あんた重いわね」じゃなくて、「なんでこんなに重いのよ」と言うのは意外な重さがあるということですから。
犬のヒンというのは、そのために出てくるんですけど。
でも、同時に二重構造の良いところとして、そんなふうに “女の怖さ” を表現しながらも、かわいい犬のキャラクターが出てきたら、子供は喜ぶんです。
サリマン先生は言うまでもなく魔法使いです。
王国の魔法学校の校長みたいな立場でもありますけども、かなり怖い人です。
『ラピュタ』でいうところの “ムスカ” みたいなポジションだと思っています。
まあつまり、子供の頃のハウルそっくりの姿をしている男の子達ですね。
自分の身の回りに仕える、執事代わりに使っている者たちを、全員ハウルの幼い頃と同じ姿にしているところに、かつてのサリマン先生とハウルの関係のエロさというか、ドロドロさというのを感じますね。
宮崎駿は、別に手を抜きたいから、あそこに出てくる小姓たちを同じ顔にしたんじゃないんですよ。
「ここには何かあるよ? 気がつくだろ? 女って怖いからな」というふうに描いてるわけですね。
ソフィーは、最初に外出するシーンから、外に出るときには必ず麦わら帽子を被っているんですけど。
その麦わら帽子には “赤いリボン” が付いているんですね。
赤いリボンと赤い肩掛けを、ずーっと持っています。
これは「お婆ちゃんの姿になっても、自分は女の子だ」という印として持ってるんですけど。
このラストシーンでだけ、帽子に付いているのが急に “黒いリボン” になってるんですよね。
つまり、宮崎さんとしては「ここで黒いリボンを見せたんだから、ソフィーは魔女だってことなんて、みなさんにも言わなくてもわかるでしょ?」という、メッセージを残してくれているということなんですね。
その通りなんです。
宮崎駿の作品は一筋縄ではいかないんです(笑)。
だから、言われるような “ご都合主義” なんか描かない。
そういうところが、また面白いところなんです。
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