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「『ラピュタ』の矛盾点を発見しました!」
ラピュタに住んでる人が全員地上に降りて生活するようになったら、ラピュタが まだ空を飛んでるのは変じゃないですか?
岡田さんの妄想で何か面白い理由を考えてください!
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この方は、以前、僕が おこなった『ラピュタ』の解説を見て、もう一度『ラピュタ』を見てくれたそうなんですけど、こう言われたので考えてみました。
住む人が徐々に徐々に少なくなって、最後の1人もいなくなったか、もしくは、その土地で死んでしまうということで、ゴーストタウンになるわけです。
ラピュタも同じです。
たぶん、最後まで残っていた人もいたんでしょうけど、その人達も、結局、地上に降りることもなく死んじゃったので、無人のまま浮遊していただけだと思います。
だって、地上に降りたとしても、いざという時には、たとえば、高度な医療技術とか欲しい時とかなんかには「ラピュタに帰って助けが欲しい!」と思うのが人情じゃないですか。
なので、いざという場合の帰る手段くらいは確保していたと思うんですけど。
そういった帰るための手段というのが、地上に降りた以降は、維持が難しくなったり、動かなくなったりして、徐々に徐々にラピュタに帰れなくなった、と。
こんなくらいに考えておくと、矛盾というのも解決するんじゃないでしょうかね。
そこら辺で、おそらく意見の対立があったはずなんです。
居残った人達は、地上に降りた人達をラピュタの高度な武器を使って攻撃することが出来てしいますよね。
つまり、「ラピュタに まつわる いろんなコードキーを持っている王族を、人質として一緒に地上に連れて行く。その代わり、ラピュタの中に居残る人がいることを許す」と。
おそらく、このあたりが収めどころのはずなんです。
この辺の事情を、元から自然派で地上に降りることにも賛成だった王族の末裔であるシータは、ご先祖さまから伝え聞いていなかったと思うんですよ。
ところが、ムスカの先祖は人質として無理やり地上に降ろされたので、こういうことに関して恨みを抱いていた。
そう仮定すると、ムスカが「いずれラピュタに帰って地上を支配する!」と思うようになった動機にも繋がるんじゃないかと思います。
こういう点について、この『誰も語らなかったジブリを語ろう』という本の中で押井さんは「『ラピュタ』は矛盾しているんだよ! だから、ダメなんだよ! 俺に言わせれば、宮崎駿はアニメーターとしては天才なんだけど、映画監督の才能がないんだ! 宮崎駿というのはそういった構造的な矛盾が全然わかってないんだよ!」と、かなりボロクソに言うんですけど。
「押井さんが言っているようなことを借りて、『ラピュタ』を批判するのは浅い」と言ったんですからね。
押井さんは、この本の中で、すごく面白くて色々と複雑な面を見せています。
これについては、後でまたゆっくり語りますね。
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