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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2017/09/09
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今回の記事はニコ生ゼミ8/27(#193)よりハイライトでお送りします。


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「【捨てられないTシャツ・シリーズ】庵野監督vs赤井監督 作品をめぐる戦い」

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 DAICON3が終わり、2年後のDAICON4に向け、その宣伝とスタッフ育成のため、いくつかの映像作品を作ることに。


 庵野秀明を監督にして作り始めた『帰ってきたウルトラマン』は、制作がなかなかすすまず、当初の予定には間に合いませんでした。

 制作途中で、庵野監督は『超時空要塞マクロス』を手伝いに東京に行ってしまいます。

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 庵野がマクロスに行っている頃、僕は大阪の桃谷という駅の近くに、ゼネプロっていうSFショップをオープンさせました。

 2月のことです。

 毎日店を開けて、毎日レジを打って、おまけに商品の企画も全部 僕がやってました。

 最初は僕、本当に朝に行ってシャッター開けてたんですよ。
 一緒にやってた武田さんなんて、なかなか来ないから。

 で、Tシャツ屋さんとかグッズ屋さんとかに電話かけたり、実際に行ったりして交渉して、商品発注もやって、アメリカに年に4、5回、おもちゃとかの買い出しに行ったりもしてました。


 その頃に庵野も帰ってきて、ようやっとその『帰ってきたウルトラマン』の後半の製作が再開できたんです。

 ところが正月休みの間に、できてるフィルムの編集を済ませるという約束だったんですけど、庵野はそれをしてこなかったんです。


 もう赤井君が怒り心頭!


 というのも、『帰ってきたウルトラマン』って実質、作っているのは赤井孝美なんですよ。

 現場でカメラを回すのも赤井だし、セットの作りの指示も赤井だし、ミニチュアワークとか特撮監督をやってるのも赤井。

 スタッフに対する励し役も赤井、役者に対する演技指導も赤井、すべて赤井なんですね(笑)。


 「庵野くん、これでいい?」って言ったら、庵野は、「うん。」って言うだけ。

 庵野秀明が『帰ってきたウルトラマン』でやったことで一番 大きい事って、ウルトラマンを演じたっていうことと、絵コンテを書いたことだけです。


 あと、庵野がやったのは、ミニチュアの飛行機の飛び方をものすごく細かく指示したくらいですかね。

 「ここで、こういうふうに急旋回して」とか。


 で、それを見て赤井君が、また怒りだす。

 「庵野、これはアニメの動き方だ。特撮ではムリ」って。

 アニメだったら1フレームの中で戦闘機がこう飛ぶっていうのは、自由自在なんです。
 でも、俺らがやっているのはミニチュア特撮だと。

 「ミニチュア特撮の場合は、物理的属性というものに、すごく制限されるだろ!」 って。


 具体的に言うと、大きさ1mのミニチュアを長さ1.5mか2mのワイヤーに吊って振り回すと、絶対に旋回半径というのは、2mを超える。

 「そうするとお前が狙っているような画は撮れない!」

 そういうふうに、論理的に説明するんですけど、庵野はそれに対して、「うーん。」って言うだけなんですよね(笑)。


 どうやれば庵野が絵コンテで描いたように飛んでいるように見えるのか、赤井君はさんざん苦労して、カットつないだり、アングルを工夫したりしてやっている。

 そういうのを僕らも現場で見ているから、「これ、実質の監督は赤井孝美だよな」ってみんなも思いながら、作ってるんです。


 それでも最後の編集は庵野に任せようと思って任せたわけです。
 庵野も、もちろんやるって言うし。


 でも、庵野は山口県の宇部の実家に帰るとき、8ミリの編集機を持って帰ったのに、年明けて出てきたら、「すみません。 山口で友達と一緒に酒を飲んでました。」 という、衝撃の告白を(笑)


 「もうこれ絶対あがらないだろう」と、みんなが思いました。


 当時、流行った映画『八甲田山』にちなんで、“ウルトラマン死の峠”と僕ら呼んでたんですけどもね。

 「雪が降ってウルトラマン峠が越せないと、このまま我々は凍死を迎えてしまうんじゃないか」とか冗談を言いながらやってたんですよ。


 それで正月明けに「どうしようか」ということでみんなで話し合って、みんなから「岡田さん、庵野君をクビにして下さい。」って言われたわけです(笑)。


 「なんでそんなこと、俺が庵野に言わなきゃいけないんだよ」と思ったんですけどね。
 プロデューサーは武田さんだし。

 でも文句を言ってしょうがないから、喫茶店に庵野を呼び出しました。

 「庵野、悪いけども、ウルトラマンの監督、赤井にするよ。」って話したんです。

 庵野君はものすごくショックだったらしく、そのあと喫茶店のカウンターで、マジで半日間、動かなかったです。

 で、監督を赤井くんにしたら、そっから1か月半くらいでフィルムは完成してしまったんです。


 もともとの〆切だった東京のSF大会には間に合わなかったけど、冬の間に上映会をすることができて、DAICON4の宣伝という名目は果たせたわけです。

 中略

 映画が完成して全国で上映をしたら、さすがにすごく評判が良かったです。

 それまで色物扱いだった我々DAICONFILM は、一気にアマチュア映画界のトップに躍り出ることができました。


 後略

 
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