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今回は、面白い作品には“機能”と“表現”の“せめぎ合い”が必要という話をします。
今回の記事はニコ生ゼミ6/18(#183)より一部抜粋しました。
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─────────────────────────────「表現だけの芸術作品アニメじゃ、つまらないよね」
アニメのベスト10をメジャーな人がやると、どうしても“芸術”として語っちゃうんだよね。
僕の“芸術”の定義はシンプルで、「“表現”自体が目的化した“工芸”」なんだ。
本来、“芸術”なんてものは無くて、“工芸”しかないんだよ。
絵画も、元々は用途があったものが、いつの間にが“絵”単体に値打ちがある事になっちゃうんだよね。
それが芸術の始まりだと思う。
教会の絵画も、本来はキリスト教の教義を教える為のもの。
それが独立したものが“絵画”だと考えてるんだよね。
でも優れた絵画というものは、一時的に芸術になるけども、最終的に工芸に戻って行く。
襖(ふすま)や屏風(びょうぶ)に描いてある絵みたいに、どんどん実用品に戻って行くものだと思ってる。
だから、“表現”自体が目的化したけども、それはいずれ機能に戻ると思う。
アニメとは「ファミリー層に見せる」という“機能”があるんだ。
その“機能”を置き去りにして、アニメの表現が目的化しちゃった作品もある。
そんな作品は「芸術的だ」と言って、評価されやすい。
たとえば押井守の作品なんかが、そうだよね。
これは芸術が悪いって話でもないんだ。
機能のみを守って、「子供の為」というのだけを守ろうとしている作品は、建前ばっかりで面白みが無いんだ。
だからといって、表現だけで走っちゃった作品というのも、僕から見たらつまらない。
少なくとも僕は“機能”と“表現”がぶつかり合って、いい感じで緊張感がある作品が、いちばん面白い。
そんな“せめぎ合い”に、面白みがあるんじゃないかなと思います。
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