大統領選挙だから政治だと思っちゃったんですよ。
それが、みんなが予想を外した最大の理由です。
今回の大統領選は、政治じゃないんです。
政治はあくまで半分。
そうでなくて、実は「キャラクター投票」なんです。
その意味では、AKB48の総選挙に近い。
ヒラリーは、わかりにくくてキャラクターになってなかった。
だからヒラリーはセンターに立てなかった。
日本はまだ、小池百合子を都知事に選んでいる。
つまり、ヒラリーを選ぶ社会。
『選挙』が「政治のもの」なんですよね。
「政治は、政治家にしかできない」と、思ってる社会なんですよ。
でも、もしもこの夏の都知事選挙に、“ビートたけし”がでていたら、どうなってたのか?
そう考えてみたら、もうわかりますよね。
ビートたけしは、あきらかにトップ当選するんですよ。
でも、ビートたけし は選挙に出ない。
なぜかというと、「政治なんて、二流のタレントがやることだ」と思ってるから。
弟子の“そのまんま東”が出ても、そこそこ優秀な県知事になれちゃう。
でも、一流のタレントがやる事ではない。
つまり、「タレントは一流の人材が集まるんだけど、政治は二流の人材で回してるんだ」という認識がある。
だから、ビートたけしは都知事に出ないわけですよね。
政治家よりタレントの方が影響力もあるし、評価も高い。
このへんがシュワルツェネッガーがカリフォルニアの州知事になったり、イーストウッドが、カーメルの市長になったりする理由ですね。
これが土壌が十分でないアメリカでは、すでにズレつつあるわけです。
すでに僕らも、性能の見分けがあまりつかないなら、キャラクターで選ぶじゃないですか。
たとえば、ソフトバンクのお父さんシリーズとか、auの三太郎シリーズで、自分の携帯のキャリアを選んじゃう。
性能によって選ぶ人もいますよ。
たとえば「LTEが速い」とか「こっちの方が安い」とか、合理的な判断をする人も多いんです。
でも、その合理的な性能による判断は半分で、キャラクターによる印象で選ぶ人が半分。
それが実際だと思うんですよ。
現に僕らは、選挙みたいなことだったら、まじめに大げさぶって、選挙番組とか見る。
政策を勉強するっていう真面目ちゃんキャラで、僕らは投票する。
だけど、何を買うかでは、あまり考えない。
本来、「消費社会」では、「投票」と「購買」は、まったく同じ意味なんです。
僕らが何か買うのは、「その商品がいい」と投票してるのと同じなんですよ。
僕の番組を見るために、「有料放送に入る」または「自分の時間を使う」という投票をしてるわけですね。
僕みたいな評価で生きてる人間っていうのは、そういう賛成票によって稼いだり、生き続けたりするわけです。
「消費」と「投票」がほとんどイコールの世界に、僕らは生きている。
なので、日常的に買うものにこそ、投票結果が現れやすい。
「政治」っていうのは、まだまだ僕らの中にかすかに残ってる「真面目キャラ」を動員してるんです。
民主主義が行き着いて、過ぎていった国家であるほど、日常の投票が消費と近くなっていくんですね。
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