今日は「健康」について考えてみました。
「健康」というと、どういう状態をイメージしますか?
「自然で、人間があるがままの姿」
そう考える人が、多いと思います。
でも、僕の考えはちょっと違います。
「不自然だけど、いちばん都合のいい状態」
これが「岡田斗司夫流・健康の定義」です。
自然の状態は、あまり健康にはよくない、と考えています。
理由を説明しましょう。
ネアンデルタール人や縄文人の平均寿命は30数歳と言われています。
乳児・幼児の死亡率が50%近かった、とも言われています。
つまり、「もともと虚弱な個体は、半数程度は間引きされていた」と考えるべき。
生まれてきた子どものうち、身体が弱い子はすぐに死んでいました。
生き残れたのは元々が体格が大きく、呼吸器や消化器も強い子どもばかりです。
そういう「強い個体」だけが大人になれます。
生き残った彼らの平均寿命は40~50歳ぐらいでしょう。
これが「野生動物としてのヒトの寿命」です。
「人間は自然のままに生きるのが一番いい」と考えるなら、乳児の半数が生き残れない状態を想定すべき。
「玄米や魚を頭から食べる」「自然の恵みだけで生きる」というのは、まず弱い個体を間引きしないと成立しないのです。
そうやって生き残っても、寿命は50年以下。
これはローマ帝国時代の平均寿命と同じです。
人類の平均寿命が延びたのは、近代医学と上下水道などのインフラ整備、なにより大量生産できる穀物などで栄養供給が充分になったから。
つまり、この100~200年ほどのことなんですね。
「病気になったら、すぐに医者に行く」
「冷暖房の効いた家で暮らす」
「栄養のあるモノを毎日、お腹いっぱいに食べる」
こういう生活を「不自然なもの」と断定する人がいます。
彼らに言わせると、このような「不自然」な状態が、健康を奪い、人間本来の「生きるチカラ」を奪ってる、というのです。
絶対自然派の人たちが考える「健康」とは、「自然のままで、大昔の人間の生き方に近い状態」でしょう。
でも、ですよ。
その「自然のまま」な状態とは、乳児の半数が死亡する状態なんです。
「本来の生きるチカラ」だけで生きられるのは、寿命50年なんです。
大昔の人間の生き方にロマンは感じますが、彼らの生活を真似るのはスタイル程度にとどめるべき。
僕は、生まれてきた子どもは、できるだけ生き延びれる社会がいい。
つまり「虚弱な子どもでも、生きられる社会」が好きです。
となると、「不自然だけど、上下水道や医療のある世界」ということになります。
健康とは、人間本来の状態ではありません。
人間本来の「乳児の半数を間引きし」「平均寿命50年」という状態に逆らうことです。
生まれる子どもをできるだけ生かし続け、子どもの成長を見届けた親もできるだけ長生きしてもらう。
そういう「生存確率を引き延ばすため」の不自然な働きかけが、人間を「健康」にします。
「健康」とは、人間本来の状態ではありません。
子どもの命や、平均寿命を引き延ばすための「不自然」な状態なのです。
以上、『岡田斗司夫の毎日メルマガ~力尽きるまで』よりお届けしました。
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