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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
これに対する僕の考え方を言うね。
主人公のように批評によって落ち込むタイプは、批評なんて聞かないほうがいいことになる。
なので批評を聞いても大丈夫ということになる。
だから“批評”は個人の問題という事になりますね。
でも、ここに第三者を導入することによって、この人自身のあり方や物の見方の問題に変わってくるんだ。
作品を見たらあれこれ言いたいタイプだと思う。
そんな人たちが、こういう漫画を見せられると、自分の存在意義を否定された気分になってしまう。
作品を作ることはえらいけど、それの批評は誰でも出来るからね。
でも僕がアニメを作っていたときは、「代わりにやってみろ!」とは絶対に言わないようにしていた。
変な言い方だけど、それを言うクリエイターは、絶対に三流なんだ。
漫画家でも、ちゃんと面白い漫画を作ってる人は、こういうことを言わない。
それがプロの誇りなんだ。
アニメはちゃんと作られているから、それを見て語るだけのことは、誰にでも出来る行為。
だから、「つまらない」とも言えるし、好きなように言ってもいい。
批評のプロなら「だったらツイッターじゃなくて、ちゃんと批評として読めるものを書いてみろよ!」とは言わない。
この方法で注目を浴びて漫画作品を出しちゃったから、この人はもう“弱者の立場”を使えなくなる。
強者の立場になっちゃうと、弱者の時に言えた楽な事が、通用しなくなってしまう。
不利なポジションという程でもないけど、追い込まれることになる。
ここから先は見ものだなと思っています。
この漫画を描いた人は“弱者の立場”を使えなくなるので、見ものだと思っています。
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