ニコ生の辛口の説法を継続して頂きたいと切にお願い申し上げます。 日本人は自らの力で基本的人権や民主主義の概念を築きあげることができない との論説が、天皇陛下、高村光太郎、伊丹万作、の3つの論評により述べられています。400年前の徳川幕府による封建制度の開始以来、強烈に押さえつけられて小さく縮こまってしまった大衆の思考様式がその原因一つ、日本民族生来の素朴な自然崇拝指向あるいはアニミズムが、ある種の諦め(仏教とは違う)をもたらして、それ以上の思考を停止させてしまう(まあお天道様がそのうち何とかしてくれるわさ)、が2番目にあるのではないかと思います。2つの状態を合わせて「ムラ社会」とも言えます。 明治維新と先の敗戦という2度の外圧によるショック療法にも拘わらず、ながいものには巻かれたほうが得だ といった感じの遺伝子を、体内から追い出すのには長い時間がかかるのではないかと考えます。 私の体験によると15歳までの教育が重要だと思います。知的には10歳から15歳からの知的体験が、人間の思考の根源となりやすいのだと思います。敗戦時の1945年初、私は7歳になったばかりでしたが、乳飲み子の妹を背負った母と3人で、疎開先に向かう汽車のデッキにようやく這い上がれたと思ったら、2人の隆とした軍装と口髭の陸軍軍人がやってきて降ろされてしまい、列車はあっというまに発車してしまいました。「軍人のバカヤロー」と怒鳴ると、私らの後ろで順番を待っていたおじさんが「兵隊さんにそんなことをいうものではない」といわれました。「何故だ」というと「お国のために働いてるからだ」でした。この二言は当時呪文のように唱えられ受け入れられていたものですが、道理というものは、7歳の児童をも納得させることができるものでなくてはならない、と思います。理不尽だと思いました。 新憲法制定1年後の1948年11月3日、(私10歳余)小学校5年の教室に登校してみると、教室は満艦飾、日の丸の他に万国旗、中には紙箱ピースたばこの鳩の絵もぶらさがっていました。疎開列車での経験と、疎開先での教員による軍隊教育のびんたの嵐(7~8歳ですよ)、飢えのために教師用のおひつから一掬い盗んだ誰かを詮索し折檻した陰湿さ(山陰の舞鶴という土地柄もある)、を知る私にとっては、「ああ平和ってこんなに良いものなんだなあ」と腹の底から幸せ感いっぱいになった「文化の日」でした。この後受けた中学校教育までは、新憲法と同時に成立した教育基本法に則って教育が行われたと思われ、教師はそれぞれ好き勝手に自分の思うような授業を進めてくれていたように感じますが、「よみかきそろばん」はキッチリ身に付させて頂きました。親たちはそれぞれ食べるために血眼で動き回り、教育に口を出す暇等はなさそうでした。子供たちは相変わらず貧しいが、心は自由でした。戦後民主主義の光のほんの一閃を浴びたように感じています。思うに天皇陛下は4歳上ですがほぼ同世代、宮中とはいえバイニング夫人から教育を受けられた。同じ戦後民主主義の空気を吸われた。今回の彼のお言葉は、一字一句、100%、ピタリと胸に落ちます。「全くそのとおりだ。」と。 高等学校以来は、将来何で飯を食うかを主体に考えてきたような気がします。ただ憲法は守らなければという気持ちは一貫して持ち続けていました。私が真に変えて欲しくないと思うのは、第3章「国民の権利と義務」です。世界民普遍の原理です。あとはその系として付随して考えられると思います。まず「ムラ社会」からの脱却をはかるべきです。 教育、とりわけ義務教育が、過去の歴史と日本国憲法を、どの程度に詳しくまたは実質的に教えてきたのかは、怠けていて知りません。報道されているのは、教科書問題に文科省(文部省)が絡んでいるというワンパターンで、食傷したからかもしれません。前述したように義務教育はムラ社会を脱するために、基本的人権は尊重し尊重されるべきことを体得するように構成されているべきであること、1931年の満州侵略に始まった軍国主義の繁殖を他国民の人権を無視した良くないことだったと知らせること、最後は「よみかきそろばん」に徹して余分なことに注意をそらせないようにすることです。英語を早くから教えたからと言って、国語や歴史や倫理(人権意識)がだめだと、薄っぺらなムラ社会意識を直ちに見透かされる道具になるだけではないですか。 またこれらの基本的な事項を教える時間を、教師に十分に与えることのできるような教育システムを保証することだと思います。 教育は政治的には地味ですが、将来の国の基本の形を決めます。 極東問題研究所も折々に取り上げて下さい。極東の政治首脳陣も、うち内には、常に日本人のこの点に注目していると思います。首脳外交は決して外務官僚が考えるようなテクニックを必要とはしないと考えます。 経済面での日本人の貢献には、彼等は心から感謝してくれていると思います。 この貢献の源泉は、日本人の勤勉さであって、勤勉さは、上では述べなかった「ムラ社会」の一大属性、でもあるのです。実はこの良い属性は、「ムラ社会」の95% を占め、上に述べた「ムラ社会」なるものは、僅か5%の悪い属性に過ぎないのだと考えます。 この悪い 5%の属性を利用して既得権を固持拡大しようとする政官癒着構造の打ち出す悪知恵(浅知恵)を、我々は賢い知恵を武器に用いて、糾弾し続けなければなりません。
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ニコ生の辛口の説法を継続して頂きたいと切にお願い申し上げます。 日本人は自らの力で基本的人権や民主主義の概念を築きあげることができない との論説が、天皇陛下、高村光太郎、伊丹万作、の3つの論評により述べられています。400年前の徳川幕府による封建制度の開始以来、強烈に押さえつけられて小さく縮こまってしまった大衆の思考様式がその原因一つ、日本民族生来の素朴な自然崇拝指向あるいはアニミズムが、ある種の諦め(仏教とは違う)をもたらして、それ以上の思考を停止させてしまう(まあお天道様がそのうち何とかしてくれるわさ)、が2番目にあるのではないかと思います。2つの状態を合わせて「ムラ社会」とも言えます。 明治維新と先の敗戦という2度の外圧によるショック療法にも拘わらず、ながいものには巻かれたほうが得だ といった感じの遺伝子を、体内から追い出すのには長い時間がかかるのではないかと考えます。
私の体験によると15歳までの教育が重要だと思います。知的には10歳から15歳からの知的体験が、人間の思考の根源となりやすいのだと思います。敗戦時の1945年初、私は7歳になったばかりでしたが、乳飲み子の妹を背負った母と3人で、疎開先に向かう汽車のデッキにようやく這い上がれたと思ったら、2人の隆とした軍装と口髭の陸軍軍人がやってきて降ろされてしまい、列車はあっというまに発車してしまいました。「軍人のバカヤロー」と怒鳴ると、私らの後ろで順番を待っていたおじさんが「兵隊さんにそんなことをいうものではない」といわれました。「何故だ」というと「お国のために働いてるからだ」でした。この二言は当時呪文のように唱えられ受け入れられていたものですが、道理というものは、7歳の児童をも納得させることができるものでなくてはならない、と思います。理不尽だと思いました。 新憲法制定1年後の1948年11月3日、(私10歳余)小学校5年の教室に登校してみると、教室は満艦飾、日の丸の他に万国旗、中には紙箱ピースたばこの鳩の絵もぶらさがっていました。疎開列車での経験と、疎開先での教員による軍隊教育のびんたの嵐(7~8歳ですよ)、飢えのために教師用のおひつから一掬い盗んだ誰かを詮索し折檻した陰湿さ(山陰の舞鶴という土地柄もある)、を知る私にとっては、「ああ平和ってこんなに良いものなんだなあ」と腹の底から幸せ感いっぱいになった「文化の日」でした。この後受けた中学校教育までは、新憲法と同時に成立した教育基本法に則って教育が行われたと思われ、教師はそれぞれ好き勝手に自分の思うような授業を進めてくれていたように感じますが、「よみかきそろばん」はキッチリ身に付させて頂きました。親たちはそれぞれ食べるために血眼で動き回り、教育に口を出す暇等はなさそうでした。子供たちは相変わらず貧しいが、心は自由でした。戦後民主主義の光のほんの一閃を浴びたように感じています。思うに天皇陛下は4歳上ですがほぼ同世代、宮中とはいえバイニング夫人から教育を受けられた。同じ戦後民主主義の空気を吸われた。今回の彼のお言葉は、一字一句、100%、ピタリと胸に落ちます。「全くそのとおりだ。」と。
高等学校以来は、将来何で飯を食うかを主体に考えてきたような気がします。ただ憲法は守らなければという気持ちは一貫して持ち続けていました。私が真に変えて欲しくないと思うのは、第3章「国民の権利と義務」です。世界民普遍の原理です。あとはその系として付随して考えられると思います。まず「ムラ社会」からの脱却をはかるべきです。
教育、とりわけ義務教育が、過去の歴史と日本国憲法を、どの程度に詳しくまたは実質的に教えてきたのかは、怠けていて知りません。報道されているのは、教科書問題に文科省(文部省)が絡んでいるというワンパターンで、食傷したからかもしれません。前述したように義務教育はムラ社会を脱するために、基本的人権は尊重し尊重されるべきことを体得するように構成されているべきであること、1931年の満州侵略に始まった軍国主義の繁殖を他国民の人権を無視した良くないことだったと知らせること、最後は「よみかきそろばん」に徹して余分なことに注意をそらせないようにすることです。英語を早くから教えたからと言って、国語や歴史や倫理(人権意識)がだめだと、薄っぺらなムラ社会意識を直ちに見透かされる道具になるだけではないですか。 またこれらの基本的な事項を教える時間を、教師に十分に与えることのできるような教育システムを保証することだと思います。
教育は政治的には地味ですが、将来の国の基本の形を決めます。 極東問題研究所も折々に取り上げて下さい。極東の政治首脳陣も、うち内には、常に日本人のこの点に注目していると思います。首脳外交は決して外務官僚が考えるようなテクニックを必要とはしないと考えます。 経済面での日本人の貢献には、彼等は心から感謝してくれていると思います。 この貢献の源泉は、日本人の勤勉さであって、勤勉さは、上では述べなかった「ムラ社会」の一大属性、でもあるのです。実はこの良い属性は、「ムラ社会」の95% を占め、上に述べた「ムラ社会」なるものは、僅か5%の悪い属性に過ぎないのだと考えます。 この悪い 5%の属性を利用して既得権を固持拡大しようとする政官癒着構造の打ち出す悪知恵(浅知恵)を、我々は賢い知恵を武器に用いて、糾弾し続けなければなりません。