日本は今、曲がり角にある。
それを示す言葉の一つが、80歳の誕生日における天皇陛下の言葉である。
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戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
(略)
今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。
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天皇陛下の言葉はまさに日本の現状に危機感をもっての発言と思う。
「平和と民主主義を、守るべき大切なものと位置付けた」「そして憲法を作った」その離脱を図る日本はこの国をどうしようとするのかという思いと思う。
そして象徴的なのは公益の放送局たるNHKが「NHKニュース」を見る限り、「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り」の部分を除き報じた点にある「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り」と発言したのに注目した。安倍首相のNHK支配が強まり、憲法改正を図り、「平和と民主主義」から逸脱する日本にNHKは危機感を持つどころか助長の側に立っている。そこまで日本のマスコミの危機がある。ちなみに、米国の報道の中には、天皇陛下の発言として、「平和と民主主義を、守るべき大切なものと位置付けた」をちゃんと報道したものがあった。現下の日本政治の動きを見る時、この発言は極めて重いものがある。政治ジャーナリストであれば、真っ先に報道すべきだと思う。
こうした中で「報告(智恵子に)」高村光太郎著『智恵子抄』を読んでみよう。
日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲かこひの中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐おひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。」
自分の手で獲得したので獲得したものでない、「平和と民主主義の国家」これが今、日本からこぼれようとしている。
そあいて今一つ伊丹万作著「戦争責任者の問題」がある。
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多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。(略)
「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。(略)
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。(略)
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。(略)
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。(略)
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。」
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日本人が「自ら騙される」という道から脱せるか。
原発、TPP,集団的自衛権、秘密保護法、さまざまな試金石がある。
(孫崎享)
コメント
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ニコ生の辛口の説法を継続して頂きたいと切にお願い申し上げます。 日本人は自らの力で基本的人権や民主主義の概念を築きあげることができない との論説が、天皇陛下、高村光太郎、伊丹万作、の3つの論評により述べられています。400年前の徳川幕府による封建制度の開始以来、強烈に押さえつけられて小さく縮こまってしまった大衆の思考様式がその原因一つ、日本民族生来の素朴な自然崇拝指向あるいはアニミズムが、ある種の諦め(仏教とは違う)をもたらして、それ以上の思考を停止させてしまう(まあお天道様がそのうち何とかしてくれるわさ)、が2番目にあるのではないかと思います。2つの状態を合わせて「ムラ社会」とも言えます。 明治維新と先の敗戦という2度の外圧によるショック療法にも拘わらず、ながいものには巻かれたほうが得だ といった感じの遺伝子を、体内から追い出すのには長い時間がかかるのではないかと考えます。
私の体験によると15歳までの教育が重要だと思います。知的には10歳から15歳からの知的体験が、人間の思考の根源となりやすいのだと思います。敗戦時の1945年初、私は7歳になったばかりでしたが、乳飲み子の妹を背負った母と3人で、疎開先に向かう汽車のデッキにようやく這い上がれたと思ったら、2人の隆とした軍装と口髭の陸軍軍人がやってきて降ろされてしまい、列車はあっというまに発車してしまいました。「軍人のバカヤロー」と怒鳴ると、私らの後ろで順番を待っていたおじさんが「兵隊さんにそんなことをいうものではない」といわれました。「何故だ」というと「お国のために働いてるからだ」でした。この二言は当時呪文のように唱えられ受け入れられていたものですが、道理というものは、7歳の児童をも納得させることができるものでなくてはならない、と思います。理不尽だと思いました。 新憲法制定1年後の1948年11月3日、(私10歳余)小学校5年の教室に登校してみると、教室は満艦飾、日の丸の他に万国旗、中には紙箱ピースたばこの鳩の絵もぶらさがっていました。疎開列車での経験と、疎開先での教員による軍隊教育のびんたの嵐(7~8歳ですよ)、飢えのために教師用のおひつから一掬い盗んだ誰かを詮索し折檻した陰湿さ(山陰の舞鶴という土地柄もある)、を知る私にとっては、「ああ平和ってこんなに良いものなんだなあ」と腹の底から幸せ感いっぱいになった「文化の日」でした。この後受けた中学校教育までは、新憲法と同時に成立した教育基本法に則って教育が行われたと思われ、教師はそれぞれ好き勝手に自分の思うような授業を進めてくれていたように感じますが、「よみかきそろばん」はキッチリ身に付させて頂きました。親たちはそれぞれ食べるために血眼で動き回り、教育に口を出す暇等はなさそうでした。子供たちは相変わらず貧しいが、心は自由でした。戦後民主主義の光のほんの一閃を浴びたように感じています。思うに天皇陛下は4歳上ですがほぼ同世代、宮中とはいえバイニング夫人から教育を受けられた。同じ戦後民主主義の空気を吸われた。今回の彼のお言葉は、一字一句、100%、ピタリと胸に落ちます。「全くそのとおりだ。」と。
高等学校以来は、将来何で飯を食うかを主体に考えてきたような気がします。ただ憲法は守らなければという気持ちは一貫して持ち続けていました。私が真に変えて欲しくないと思うのは、第3章「国民の権利と義務」です。世界民普遍の原理です。あとはその系として付随して考えられると思います。まず「ムラ社会」からの脱却をはかるべきです。
教育、とりわけ義務教育が、過去の歴史と日本国憲法を、どの程度に詳しくまたは実質的に教えてきたのかは、怠けていて知りません。報道されているのは、教科書問題に文科省(文部省)が絡んでいるというワンパターンで、食傷したからかもしれません。前述したように義務教育はムラ社会を脱するために、基本的人権は尊重し尊重されるべきことを体得するように構成されているべきであること、1931年の満州侵略に始まった軍国主義の繁殖を他国民の人権を無視した良くないことだったと知らせること、最後は「よみかきそろばん」に徹して余分なことに注意をそらせないようにすることです。英語を早くから教えたからと言って、国語や歴史や倫理(人権意識)がだめだと、薄っぺらなムラ社会意識を直ちに見透かされる道具になるだけではないですか。 またこれらの基本的な事項を教える時間を、教師に十分に与えることのできるような教育システムを保証することだと思います。
教育は政治的には地味ですが、将来の国の基本の形を決めます。 極東問題研究所も折々に取り上げて下さい。極東の政治首脳陣も、うち内には、常に日本人のこの点に注目していると思います。首脳外交は決して外務官僚が考えるようなテクニックを必要とはしないと考えます。 経済面での日本人の貢献には、彼等は心から感謝してくれていると思います。 この貢献の源泉は、日本人の勤勉さであって、勤勉さは、上では述べなかった「ムラ社会」の一大属性、でもあるのです。実はこの良い属性は、「ムラ社会」の95% を占め、上に述べた「ムラ社会」なるものは、僅か5%の悪い属性に過ぎないのだと考えます。 この悪い 5%の属性を利用して既得権を固持拡大しようとする政官癒着構造の打ち出す悪知恵(浅知恵)を、我々は賢い知恵を武器に用いて、糾弾し続けなければなりません。